その九、災難は忘れた頃にやってきます
ぱんっとシーツを伸ばして物干し竿に、掛ける。
明らかにハイ○ーが足りない感じの黄ばんだシーツの向こうは、雲一つ無い青空だった。
「よいしょっと」
まだまだ残っている洗濯物の一つを掴んで物干しに引っ掛けると、じんわりと浮いた汗を拭う。冬の入り口も見えてきた時期だけど、遊び盛りの子供達が数十人もいれば季節なんて関係なく大量だ。結構な重労働なので干し終わった頃には汗だくになったりする。
あー……でも、天気良いし、洗濯物良く乾きそう。
そんな事をぼんやりと思っていたら、突然、背後から声が掛かってぎょっとした。
「セリ殿」
「っぅわあっ」
振り返ればそこには、びっくりした様に目を瞬いている騎士さん。
ちょ……っ気配無く立たないで下さい!
心の叫びが聞こえたのか、目が合うとすぐに申し訳無さそうに眉を寄せて頭を下げて来た。ここでは珍しい、でも見慣れた黒髪がさらりと流れて落ちる。
「驚かせて申し訳ありませんでした」
綺麗な角度で頭を下げられ、逆に焦る。
……この人、悪い人じゃないんだけど下僕体質で困る。あたしに女王様役は無理だと、やっぱ口に出さなきゃ伝わらないのだろうか。
許しを出すまで頭を上げないつもりか、深く頭を下げたまま微動だにしない騎士さん。長い前髪からちらりと見える瞳は心無しか潤んでいて、あ、お尻にへたれた尻尾の幻覚が。でも残念あたしは猫派です。
「いえ、むしろあたしの方が驚きすぎてすみません。……あの、顔上げて下さい」
何だか逆にこっちの胃も痛くなってそう言えば、騎士さんはようやく顔を上げてくれた。まだもう少し申し訳無さそうな顔をしてるけども、目が合えばふわりと柔らかく微笑んでくれた。
……ああ、うん。お金取れそうな笑顔を有り難うゴザイマス。
危機回避能力から来る警鐘に直視しない様に斜め明後日を向きつつ、あたしは手にしていたシャツを籠に戻した。ああ、久し振りの快晴だし朝の内に全部干したかったのになぁ、さすがに身分の高いらしい騎士さんと洗濯の片手間に話す訳にはいかない。
「今日はどうかしたんですか?」
時間が勿体無い。失礼にならない位に言葉を選んで訪ねてみる。目の前の騎士さんを含めたあの三人が訪ねてくる時は、面識のあるあたしも園長先生と一緒に出迎える事が多いので、必ず前もって話がある。
朝食の時は先生何も言ってなかったし、アポ無しで来たって事で……緊急とかだったら嫌な予感しかしないな!
「ええ、迷ったのですが……、これを王弟殿下から預かってまいりました」
はい、ドンピシャ!
もうあたしの嫌な予感の的中率パねぇな!
「……王弟殿下、ですか」
差し出されたのは、何の変哲も無い手紙。マジで受け取りたくないんですけど、受取拒否は出来ませんか出来ませんよね。
なんか変態と言う名の危険なオーラが漂うその手紙を、恐る恐る受け取ってひっくり返す。裏には差出人の名前は無く、赤いシールみたいな紋章って……あ! これが噂の封蝋ってやつか。なんか手触り面白いし可愛い。
「何かまた不穏な事を企んでいなければ良いのですが」
軽く眉を顰め、騎士さんはあたしの手に、いや握っている手紙に厳しい視線を向ける。……うん、そんな手紙運んで来たのあなただけどね。いっそ食べるかあたし! あ、でもお手紙書いてまた返って来たらエンドレスやぎだ。もちろんあっちはお腹も真っ黒の黒ヤギ、これは譲れない。めぇ!
「えっと、ここで読んでも構いませんか」
「ええ。私も気になりますので是非」
間髪置かすに返ってきた言葉に、あ、と気付いて舌打ちしたい気分になった。……恐ろしい手紙の道連れが出来たのは嬉しいけど、手紙の内容教えろって事だよね。王弟殿下があたしに手紙とかよく考えれば小説の事だろう。新作書けたら読ませろって言われてたし。騎士さんは大事な孤児院のパトロンの一人。バレる訳にはいかない……なんでわざわざこの人に頼むんだよ変態王弟め!
ちょっと騎士さんから距離を置いて、封筒を開けてみる。封蝋はばらばらとあっけない程簡単に外れ、何だか勿体無い気持ちになった。中の便箋を開いたらどこかで嗅いだフローラル系の甘い香り。やだなこれ、いい匂いなのにあたしの中で変態臭として定着しそう。
視線を流して読む。
予想はこれまた大当たりで、要約すればさっさと新作書いて持って来い。だ。しかも。
「日没まで……!」
何その鬼締め切り……!
「セリ殿、日没とは?」
そう言っていつの間にか間合いを詰めていた騎士さんが、手紙を覗き込もうとした。げ、と呻いたと同時に、ぱんっと派手な音が手元からして、思わず手紙を放り出す。
「っわっ」
くるっぽー。
次の瞬間あたしの手のひらにいたのは小さな白い鳩。かくん、と鳥らしく首を傾げた後、バサッと翼を広げて空に飛び立った。
手紙は跡形も無く消えている。
「……手品?」
呆然と呟けば、騎士さんは鳩が飛び去った空を見上げたまま、呆れたように溜息をついた。
「いえ、王弟殿下の魔法でしょう。本当にあの人はくだらない事に力をお使いなさる」
「魔法……ああ、なるほど」
種も仕掛けもありません、か。本当、あの人規格外だよな。……規格外すぎて『変態』でバランス取ってんのかもしれない。あれで聖人君子だったら出来すぎて信仰団体の教祖になりそう。
「ええ、大陸でも一、二を争う魔術師でもありますし、賢者にも引けを取らないと言われる程の知識人でもあります」
「知識人?」
「この世界であの方が知らない事など無いとまで」
「へぇ」
相槌を打ちながら頭を巡らせる。
……それって、もしかしてあたしみたいに異世界からやって来た人間の事も、知ってる可能性もあるって事にならないかな。
ちなみにランドさんに、「小説のネタとして」なんて、さり気無く探りを入れた事はあった。答えは、
「また妙な事思いついたなぁ」なんて感心してた位で、笑い話にしかならなかった。
……これは一度聞いてみるか。
ただ、これ以上弱味を握られない様にしなきゃいけないのは大前提だけど。
「……殿下からカラタ族の歴史についてお書きになると聞いています。その期限が日没と言う事でしょうか」
目の前で起こったイリユージョンに魂を抜かれてたあたしは、思わず、は? と聞き返しそうになって慌てて口を噤んだ。
……カラタ族云々は王弟なりに考えてくれた表向きの理由なのだろう。
「しかしセリ殿にも予定があるでしょう。それを日没までになどと……私から王弟殿下にお断りしておきましょうか」
気遣し気に眇められた目、ふわっと頬に固い手のひら……甲? まぁどっちかが触れる。……美形って得だよな、不細工が無許可で女子に触れたらタコ殴りか社会的抹殺の選択肢しかないのに。
これ角度によったら、密着してる様に見えなくもないよな。で、ここでお約束の。
「クラウド、セリから離れなさい」
はいややこしいのキター。
「神官長様」
天使を思わせるような麗しき美声の主にひょこっと顔を傾けて、おはようございます、と挨拶する。
……美形とか男前ってただ見てる分にはいいんだけど、こうやって挟まれちゃうと、自分の肌のかさつき具合とか毛穴の汚さとか、無意識で比べていたたまれなくなるのあたしだけですか。
「騎士ともあろう方がこんな明るい内から何をなさってるのです」
あたしには笑顔で、騎士さんにはやや険のある表情で挨拶した神官長さんは、ゆっくりと歩いてくる。小高い丘故にさんさんと降り注ぐ日射しに、腰まである長い髪がきらきらして眩しい。なんか後光みたいでどこかの宗教画にでもありそうな絵面である。
騎士さんはあたしからゆっくりと身体を離して、神官長様の方へ振り返る。表情は分からないけど、なんか上の方で微妙に舌打ちっぽい何かが聞こえた気がした。あれ、騎士さんそういうキャラでしたっけ?
「王弟殿下からお手紙をお預かりして来ました。返事を頂いて帰れとのご命令ですので、日没までセリ殿のお手伝いをさせて頂くつもりです」
「……王弟殿下から?」
神官長さんの麗しい表情が一気に険しいものへと変わる。あのお茶会から二週間ちょっと、よく分からないけどヤバい魔法をかけられたらしい記憶は未だ生々しいのだろう。王弟殿下イコール変態の共通意識は揺るがない。
「どの様な?」
「謎の多いカラタ族の歴史について、です。覚えている事を書き起こして頂くと仰っていました」
騎士さんの言葉に、神官長さんはますます険しく眉間に皺を寄せて、何故か物言いた気にあたしを見た。その意味有りげな視線に、冷たい汗が背中を流れる。
あれ、なんかバレてる……?
神官長の前であたし何か怪しまれる様な事したっけ!? 高速で頭をフル回転させてみるけど、心当たりらしきものは無い。
何か言うべきかと口を開けた所で、ふ、と神官長さんの表情が緩んだ。
ゆっくりと歩み寄って来た神官長さんの手が衣擦れの音と共に上がって、肩に手が掛かる。
「セリ、随分顔色が悪いですよ」
囁く様な呟きに、ぎくっと肩が跳ねる。
明らかに怪しいと分かっていながらも、視線を彷徨わせていたら、神官長さんは慈愛溢れる穏やかな笑顔を浮かべて少し腰を屈めると顔を覗き込んできた。
「無理をしないで下さい。カラタ族があんな事になってまだ二年なんです。未だ混乱している部分もあるでしょう。殿下にも困ったものです……まだ幼い少女に随分残酷な事を仰る」
あ。
「いっいえ大丈夫です! ……あの、えーっと、……歴史に埋もれて忘れ去られていく方が悲しいですし」
ばれてない! セーフ!? 多分セーフ!
「セリ……!」
もっともらしい言葉を返せば、感極まったとでも言う様に神官様は目を潤ませ、そのままあたしを抱き寄せた。びっくりした、と言うより神官長様の服って絹なんだけど、それって外気に晒されるとめちゃくちゃ冷えるのだ。故にひやっとして鳥肌が立った。驚きより寒いです!
数秒後、べりっとあたしと神官長さんを剥がす様に間に入ったのは、騎士さんだ。顔の系統は似てるのに仲は悪いなこの二人。
「クラウド……」
「まだ幼いとはいえ未婚の婦女子に抱きつくなどと、尊き神官長様の所業とは思えませんね」
……もう勝手にやってて下さい。
あたしはとりあえず目の前の洗濯物を片付けてしまおうと、ネタを考えつつ再開する事にした。
王弟ってエログロ好きって言ってたよなぁ……ああ、ヤダヤダ。そんなのあたしの頭の萌えフォルダには入ってません。
「セリ殿! 手伝います!」
「私も及ばすながら」
「え」
騎士さんと神官長様と洗濯物干し? いや、量多いから手伝ってくれたら純粋に嬉しいけど、園長先生に見られたら間違いなく怒られる、って言うか泣かれる。さめざめと。ぶっちゃけ怒鳴られるより精神的に来るのだ。
「大丈夫ですそんな。あ、中入って待ってて下さい。ここちょっと寒いし」
孤児院に行って貰えば、誰かお茶位入れるだろう。騎士さん上がるまで待つって言ってたし……ってアレ? さっきまで短い締め切りに抗議してくれるって言ってなかったけ?
「やらせて下さい。これでも従騎士としても長かったのでは一通りの事はこなしていましたから。ああ、神官長様は孤児院の方へどうぞ。洗濯物などさせる訳にはいきませんし」
「いえ、市井の生活を身を以て知るのも尊き仕事ですから、お気遣いなく」
頭上で舞い散る火花。
あー……もう、いいや。ここまで言うならあたしが園長先生に怒られたら庇ってくれるだろう。
そう結論付けてじゃあお願いしてもいいですか、って遠慮がちを装って頼めば、二人は嬉しそうに頷いた。が。
まず騎士さんは、自己申告通りまぁ問題無い。欲を言えばもうちょっと風通しの良い配置にして欲しいけど。
……問題は神官長さんだ。まず干し方がなってない。皺は伸ばさないし、洗濯バサミがゆるゆるで地面に落ち、洗い直さなきゃいけない衣類多数出た。
騎士さんは基本表情を崩さないけれど、そんな神官長様を横目で見て鼻で笑うので、こめかみに青筋を浮かせた神官長様は意地になって余計に空回った。
「……わータスカリマスー」
うっかり棒読みでお礼を言うと、神官長様はしゅんとうなだれて、対照的に騎士さんは「いえ」と控えめながらもイイ笑顔。
「あとちょっとですから、もう大丈夫ですよ」
本当に邪魔ですから、さっさと孤児院戻っとけ。
本音と建前を使い分けるのが日本人の良い所!
「いえ、それならば尚更お手伝いします」
騎士さんは、まぁいてくれて構わないけど、でもこの人一人残して神官長様が孤児院行ってくれる訳ないしなぁ。……ここは最終奥義! 『乙女のはじらい』発動!
「いえ……あの、後はその下着とかなので」
年少組のな!
あたしを含めた年長組は各自で手洗い、部屋干しするのが暗黙の掟である。
まだまだ中身の残る洗濯籠を隠すように抱えて後ろに下がって、ちょっと視線を伏せて恥じらってる感じを演出する。
手前にいた騎士さんが、少し慌てたように洗濯物から視線を逸らしたのを視界の隅でチェックしつつ、うまくいったとほっとしたら爆弾が投げられた。
「私は気にしませんが?」
ぎょっとして顔を上げたのはあたしだけじゃなく、騎士さんも同様だった。
二人の視線を受けた神官長さんは、心底分らないとでも言うように、きょとん、首を傾げてあたしを見下ろしている。
そこはめいいっぱい気にしろよ!
って言うか前から薄々感じてたけど、この人神官長なんて立場のせいか常識知らなさ過ぎ! 一番性質の悪いタイプの天然だ!
「……気遣いが足らず申し訳ありません。では中で待っていますね」
痛いものでも見る様に神官長さんからちょっと距離を置いていた騎士さんも、さすがに見かねたらしく、少々強引に神官長の腕を掴むと、孤児院の方へ引きずる様に歩いていった。
……何か必要以上に疲れたけども、邪魔者はいなくなった。
あたしは神官長が干したくしゃくしゃの洗濯物をもう一度手に取り皺を伸ばして干し直した。
お昼前にようやく洗濯物を終えたあたしは、それから園長先生の許可を取って、一人で落ち着いて書きたいから、と部屋に籠もり何とか日没までに一本書き終えた。
伯爵とメイドさんのなんちゃってSM小説。可愛い女の子をエロエロに調教してやんぜ! って思わせつつプレイボーイを調教するロリ顔女王様と言う意表をついた設定。まぁツルペタ好きそうな王弟の嗜好もちゃんと取り入れてるし、突貫にしてはよく出来たんじゃね? って感じ。誤字脱字は勘弁して下さいっていうか、……読み書きヒアリングも日本語通じるって改めておかしな世界だよなぁ。最初外人顔のシスターが漢字普通に書いてるの、めちゃくちゃ違和感あったもん。
……まぁ何にせよ、あたしには好都合。
結構な量になった原稿を、トントン、と端を揃えて考える。
……これ、王弟が良いって言ったら冊子にして、また『カイン・ダンケ』再開しようかな。執筆活動については応援してくれてると思うんだよね。……多分、萌えとエロを提供すれば。
そういえば、団長がガザ入れに来た理由ちゃんと聞いて無いし、異世界人の事とか聞きたい事あるし、一回会った方が良いだろう。
でも。
「……超行きたくない」
防犯ブサーとか催涙スプレーとか身を守るものが欲しい。切実に。
いやでもあの人ロリだし、貞操的には大丈夫だろう。精神的にはアウトだけれども。
結局迷ってあたしは封筒に原稿を入れ、ぴったりと糊付けしてクラウドさんに手渡し、くれぐれも開けない様にと念押しして預けた。 神官長様 は、既に孤児院を出ていて、結局あの人何しに来たんだ、と言う謎だけが残った。
そして数時間後、どこからか聞きつけたらしい園長先生に、「尊き方々に洗濯物なんて……!」と二時間ほどお説教される事になる。
もう、時間差のばか!




