クマさん視点
「暇だな……」
狭い洞窟に寝転がって腕を伸ばす。
むさ苦しいを通り越した分厚い毛で覆われた自分の手に、げんなりと溜め息をついた。
三ヶ月になると言うのに未だに慣れないこの――姿。
森で身を隠すならこれが一番だと言った人物の清々しい程の笑顔を思い出し、ぐぅっと唸り声が出る。反射的に口を塞いだ、が。……やばい。これじゃマジで獣だ。猟銃で撃たれたらどうしてくれる。
森の奥深くと言えども、誰も通らないという保障は無い。
出会い頭に鉛を撃ち込まれて、そのまま敷物にでもなれば、本当にシャレにならない。
洞窟の壁に刻んだ傷を眺めて溜息する。
しかしまぁそれもあと少しの辛抱だ。
既に森に潜伏して三ヶ月、知人からの連絡によるとあと一ヶ月でカリアバンの定住権が手に入る。
眩しい太陽の光を遮る様に俺は腕を目の上に落として、こんな森の奥深くに潜む事となった経緯をつらつらと思い出していた。
子供は親を選べない。
それが最大の不幸だったのだと俺は思う。
産まれたのは大国リデイマ、その頂点にいた好色家の王は、無責任にあちこち種をバラまき、その内の一つが俺だった。お忍びで来ていた鹿狩りついでにお袋も狩られてしまったらしい、とは俺の予想でしかないが、苦虫噛み潰した様な顔で俺を見ていた祖父の態度からしてそんな所だろう。
内側から崩していこうとする連合軍の総指揮官に調べ上げられ、俺は分かりやすく表舞台へと引き上げられた。変に傭兵上がりで中途半端に腕が立つのが悪かったのだろう。
つまり愚王を庶子である王子が討つのだと、安易ながら国民の支持を得やすい物語が連合軍によって筋書かれ、実行された。
……本人の意志を無視して、だ。
革命は成功し、国内情勢も落ち着きを取り戻した頃行われる予定だった戴冠式の一週間前、俺は隙を見て王城から逃げ出し傭兵時代に知り合った仲間に協力して貰い、身を隠した。
次代の王に、と周囲は声高に詰め寄ってくるが、そんなもの連合軍にとって操りやすい傀儡になるなら誰でもいいのだ。茶番には十分付き合った。緋の絨毯の先にある王座より、野を駆け回る自由の方が価値がある。俺にとっては、だが。
根無し草の様に各地を放浪し金が無くなれば、傭兵として雇用される――そんな気ままな生活が性に
あっている。
そしてそんな俺に賛同し、内密に協力してくれているのは今回の討伐で知り合ったカリアバンの王弟だった。
変わった男だとは聞いていたが、初めて顔を見たその時、気持ち悪い位綺麗な顔だな、と思った。 しかもうっかり口に出してしまったらしい俺の周囲は一瞬にして動きを止め、神官に至っては、固く両手を組んで一心に祈っていた。
やばい、と思いながらも俺はいっそ不敬罪で首が飛ぶのもいいか、と鼻で笑い王弟を見る。取り巻くもの全てにうんざりしていたのだ。
しかし、厳しい処分を言い渡されると思ったその場で、宰相はさも嬉しそうに笑ったのだ。
――面白い男だ、と。
……まぁ、一癖も二癖もある男だと言うのはこの時点で分かった、が、奴は王弟である上に宰相であり、大陸一といわれる魔術の使い手でもあった。奴の魔法により、俺の気配は綺麗に断たれこうして熊の姿へと変化したのだが……それにしたって、狼やら他にもいたろうに何故に熊。
「うん、可愛いねぇ」
と、満足そうに微笑んで俺の肉球をぷにぷにしていた奴の趣味はよく分からない。
「……あ~……腹減ったなぁ」
やる事は無いと言っても日がな一日ゴロゴロしてたらあっという間に筋肉は落ちる。トレーニングも兼ねて魚を採りに行く途中で、草むらに揺れる影を見つけたのだった。
反射的に気配を殺し目を凝らせば、少女らしい華奢な肩の上で揺れる黒い髪に、ぎくりと心臓が跳ねる。
まさか、と目を見張って見直してみても、それは色を変えず、柔らかい日差しを浴びて、上質な絹のような艶やかな光沢を放っていた。
――カラタ族。
一瞬で、口の中が乾いていく。
思わず漏れた呟きは、呻き声に近かった。
なんで、こんな所に。
彼の一族は、王の不興を買い全滅した筈だ。王討伐のきっかけとなった事件、確かに……ただ一人生き残りがいたと、小耳に挟んではいた。
可哀想に、と、同情はした。いっそ家族と共に一緒に死んでいた方が幸せなのではないかとすら思った。
カリアバンが保護したと伝え聞いていたが、しかし何故こんな国境に近く、人気の無い森にいるのか――足元の籠を見て納得する。
そうか秋の実り。
確かにこの辺りには食用のきのこが大量に生えていて、自分自身もここ最近は、その恩恵に預かっている。
一心不乱にきのこをもいでいる後姿は小さくまだ子供の様に見えた。
気付かれ無い内に立ち去るべきだ、と頭の中の冷静な部分が警鐘を鳴らしたが、俺は聞こえないふりをして、その場から動かず様子を窺った。少女は一旦立ち上がり、空にむかって身体を伸ばした。それでもまだ小さい。
切り取られた僅かばかりの森の空の下、縦横無尽に伸びた枝が、まるで今にも少女を閉じこめようとしている様にも思えて、思わず足を踏み出した。
彼女が立ち上がり、籠を持ち上げ歩き出したその後を、ほぼ反射的に追い掛ける。
……声、掛けたらビビんだろうなぁ。
普段の俺もそれ程人好きのする顔でも無いが、今はむさ苦しいとかそんなレベルじゃない人外である。
熊がいきなり喋り出したりしたら、間違いなく驚かせる。否、逃げられるだろう。そして役人に訴えられて化熊討伐隊が結成されてしまうかもしれない。
期日まで平穏に暮らしたいなら、さっきも思った通り、静かにここを去るべきだ。 ……そう思うのに、足はなかなか動かず目だけが忙しなく彼女の行動を追う。
ただ一人の生き残り――が、どうしてこんな場所に、一人でいるのか興味があった。
少女が足を止めたのは、太陽の光が降り注ぐ明るい広場だった。
慌てて木陰に隠れて身を潜める。
……何やってんだ、俺は。これじゃただの覗きだ。
どうやらここを拠点としていたらしい、少女には不似合いな古い大きなリュックの前にしゃがみ込むと、ごそごそ荷物を漁り出した。程無くして、赤い包みを取り出し、それを膝に置く。
可愛いらしいチェックの布に包まれていたのはどうやらお弁当らしい。
三ヶ月振りに見る、マトモな食事。
そのささやかな家庭料理の一つであるそれが、俺の大好物だったのも悪かった。目にした途端、理性が消えた、本能ってマジこわい。
「――食ってもいいか……っ!」
思わずそう聞いてしまったのも仕方のない事だろう。
何せ急な潜伏に調味料は塩のみ。加えて料理が得意な訳でも無い。採った魚やうさぎを焼いてほんの僅かばかりの塩をふるだけ、素材をこれでもかって言う程生かした料理に、最初は塩があるだけマシだと我慢していたが、いい加減飽きていた。
結論から言うと、弁当はうまかった。
すっかり空っぽになってしまった弁当箱に我に返り、少女を見れば、目を見開いたまま固まっていた。
「っあ……わり、全部食っちまった……」
そう漏らすと、少女もはっとした様に我に返って首を振った。
「いえ、あんまりお腹すいてなかったんで大丈夫です」
想像より落ち着いた声。十四、五歳位だろうと思っていたが、もう少し上かもしれない。異国情緒漂う浅い顔立ちながらも、それぞれのパーツは収まる場所に綺麗に収まってるというかんじだ。バターの様な柔らかそうな肌に吸い込まれるような黒い瞳、同じ色を持つ髪が短いのが勿体無いと思った。
……もう少し年を重ねれば、神秘的な美人になるかもしれない。
しかし、間髪置かずに淀みなく返って来た返事に、かなり驚いた。
いや待て、俺クマだよな?
自分で言うのも何だが、喋るクマを前に落ち着き払ったこの態度は一体何なんだろう。肝が太いにしたって、この冷静さは異様である。
俺なら、弁当食われてる間にダッシュで逃げてる。間違い無い。
内心首を傾げながらも、俺はそれを表に出さなかった。わざわざ自分の得体の知れなさを主張するのも馬鹿らしいし、問われても本当の名前は明かせない。
打てば響くようなテンポの良い会話に、自然と顔が緩むのが分かる。
三ヶ月振りとなる会話を楽しむ。ああいいな、会話出来るって。やたらと独り言が多いなと自覚していた所に、この出会いは嬉しい。
しかし、だ。
それはそれとして、問題は昼食であろう彼女のお弁当。
「いや、それにしたって、なぁ? 参ったな、代わりになんかやれたらいいんだが」
空っぽの弁当箱を見下ろし、考える。
自分は彼女の昼ご飯を残らず食べてしまった訳で、予備などある訳が無い。自分が食べようとしていたいつもの食事は野性味溢れ過ぎてて、年頃の少女の口には合わないだろう。
「あ、じゃあ撫でさせて貰っても良いですか?」
ひとしきり唸っていると、少女が改まって真面目な顔でそう尋ねて来た。
「ン? そんなんでいいのか?」
首を傾げれば、少女は嬉しそうに目を輝かせて、ぶんぶんと頷いたので、どっからでもどうぞと言う感じにその場にうつ伏せてみた。……いやむしろ俺が警戒心の欠片もねぇ。
小さな手がそっと優しく毛を撫でる。
柔らかいですね、と意外そうに言われて首を捻る……が、理由はすぐに思い至った。
この姿になってからも、人間の頃の習慣で、二日に一度は必ず水浴びはしている。
宰相殿下に、「これで身体洗ってね」と笑顔で渡された液瓶を使っているが、虫除けの効果があった。……妙に良い匂いがするし、変身した当初と比べても毛並みが良くなったと思っていたが。
……まさか宰相、毛並みが良くなった所で刈る気じゃねぇだろうな。
奴ならやりそうだ、とぞっとしていると、少女は、少し言いにくそうに言葉を濁した。それでもこちらをちらちらと見上げてくる姿に、ナニかが一瞬反応した。いやいやいや待て俺。お前、変態王弟まで堕ちる気か正気になれ。
「抱きついてもいいですか」
けれどたっぷりな間を空けて、吐き出された言葉に、一瞬声が上擦った。
「あん? ……別にいいけどよ」
動揺を押し隠しそう許可を出せば、少女は背中に顔を埋めて嘆息した。
すりすり、と柔らかい頬が押し付けられる感触がくすぐったくて、つい笑ってしまう。
……なんつーか。
「どっちかっつぅとこっちだろ」
俺は身体を起こすと、少女の手を引っ張り胸の中へと抱き込んだ。
「ほわー……」
満足そうな声に苦笑する。
「……お?」
その小さな身体を抱き込めば、むにゅっと意外な程柔らかい感触がした。位置的に考えれば少女の胸である事は間違いなく、首を傾げる。これは思っていたよりも、年を重ねているかもれない。 物言いや雰囲気がしっかりしていると言っても顔は幼いし、髪もお洒落とはほど遠い感じに無造作に短く切られていたのですっかり子供だと思っていたが……。
見下ろせば、うなじの白いなだらかなラインや丸みを帯びた体つきは子供と言うよりは女性のものである。もしかすると小さいのは民族的な特徴なのかもしれない。
「骨折れそうです」
思わず力が籠もった腕の中から非難の声が上がる。
「やー悪い。意外に乳あんだなぁと思って」
思わず本音がだだ漏れた。
しまった、と そう思ったと同時に、胸の中の小さなものが、バタバタと暴れ出す。
「ぎゃあああっ何!」
おい、こら、ちょっと落ち着け。
「お前だって触りたくったろ。おあいこだ」
「毛以外に興味は無いです!」
「ひでぇ」
と、言っても少女の抵抗など片手で抑え込めるものだ。
「大丈夫だって、さすがにこの姿じゃ入んねーし」
ひくっと顔をひきつらせた少女に、にやりと笑って続けた。
「ナニが」
「心を読まんで下さい!」
……うむ、いっちょまえに照れる所を見れば、やはりそれなりに年頃らしい。
今度こそ本格的に逃げようとする少女を、逃がしたくなくて、また少し力を入れる。
ヤバい、やりすぎた――。
と感じたのは彼女の身体の力がくたりと倒れ込んでからだった。
「……っ!?」
いや、俺が力を入れ過ぎたのか、この身体で人なんて抱き締めた事無かったせいか、どうやら加減を間違えたらしい。
「っオイっ、大丈夫か……っ」
慌てて身体を離してほっぺたをぽふぽふすれば、眉間の皺はあっというまに解けて何故か、きつく結ばれていた唇は、柔らかく弧を描いた。
それどころか、ふにぁ、と表情を緩ませ、すりすりしてくる。
……王弟と言い、こいつと言い、肉球のどこにそんな魅力があるのか問い詰めたい心地になる。
「どーすっかなー……」
頭の後ろを掻いて一人ごちる。
揺り動かしても起きない上に、冬に差し掛かり始めた今の季節は太陽が沈むのも早い。
俺は溜息をついて、少女のリュックに弁当箱をしまい少女を背中に抱え込む。おんぶするよりも乗せて運ぶ方が早いとバランスを取りつつ、リュックを咥えた。
背中の温もりは分厚い毛皮の下でも感じる事が出来る。
その柔らかさに自然に溜息が漏れた。どうやら思っていた以上に自分は人恋しかったらしい。途中、昨日見つけたばかりの珍しいキノコを思い出し、少し寄り道して籠に幾つか入れておく。
弁当の礼をからかい過ぎた侘びも兼ねて。カリァバンでもおそらくいい値で売れるだろう。
――背中で、もぞりと動く心地がした。
……とりあえず目が覚めて変態熊と罵られたが、逃げようとする気は無いらしい。
最初に会った時から思ってたが、少女は警戒心が強い割りに無防備だ。こんなアンバランスな対処をするのは、平和な場所で、『危ないこと』を体験では無く、紙の上で学んで育ってきた人間の特徴だ。知っているが、実感が湧かないのだ、と言う俺にして見れば羨ましい感覚。
けれど不思議な事に、少女は決して自分の正体を探ろうとも勘ぐろうともせず、名前すら聞こうともしない。――この一線置かれている感じは、やはり、あの事件が影響しているのだろうか。
胸の奥に砂みたいなものが詰まった。
俺はあいつの血を引いている――それは確かな事実だ。だからこそ。
「熊さん大好き!」なんて無防備に寄り付かれて、心の底から――困った。
……もしかして娘とかいたらこんな感じなんだろうか。
いや、あの十代の、若さに任せて色々暴走してたあの辺りに失敗してたらこれくらいの子供もいるかもしれない。
――父性本能か? そんな年齢じゃないと思っていたが。
「……なぁ」
「何ですか」
慎重にリュックにキノコを詰め込むんでいたセリに声を掛ける。こっちを見ない。ちくしょう、こっち見やがれ。
「また遊びに来てくれるか?」
妙に掠れた小さな声はなんだか、ガキみたいな心細さが出ていて、恥ずかしくなる。良かった今熊で。顔の赤さを分厚い毛が隠してくれる。
ちらり、と少女を見れば、驚いた様にきょとん、としていた。パチパチと睫を動かすその姿は幼子のようだ。
「え、……何ですか淋しいんですか」
「ああ」
自分でも思っていた以上に素直に頷いた。
彼女はその後、快く了承してくれた。
――ああヤバい。これはかなり嬉しいぞ。
「じゃあな」
「はい、じゃあまた」
夕焼けに赤く染まった空の中、小さくなっていくその影が消えるまで俺は見送っていた。




