4.エギル・レイサー
「そろそろ戻ろっか」
モンスターを解体して十分な量の素材を得た後、ウィストに提案した。ウィストはすぐに「うん」と返事をして一緒にダンジョンの出口へと向かう。得られた素材の量から、十分な稼ぎを得られると推測できた。ハルトに勧められたから来てみたが、言葉通りの難易度と収穫だった。
遠征に誘われてから三日後、僕達はローグ中級ダンジョンに来ていた。入院して腕が鈍っていたことを恐れ、またウィストとの連携を確かめるための活動だった。遠征の準備のために資金を稼ぎたかったこともあったが、どちらも上々の結果だった。体の動きや連携に問題は無く、この三日間で十分な資金を得た。遠征には万全の状態で同行できそうだ。
「今日が約束の日だよね。朝には何もなかったけど、帰った頃には何か聞けるのかな」
ロードさんは今日に遠征の詳細を教えてくれると言っていた。朝、ギルドに行ったときには何もなかったが、今からエルガルドに帰れば夕方になる。その頃には何か情報を得られるだろう。
「多分ね。けどもしかしたら夜か明日になるかもしれないし、気長に待とうよ」
「そだね。けっこう大事な遠征らしいから色々とごたつくかもしれないしねー」
今回の遠征のようなおおごとな仕事では、全ての予定が順調に進むことは少ない。それぞれの事情や思惑があり、トラブルが起こることもある。関係者が増えれば増えるほど、予定が遅れる要因が増える。今回もそれに当てはまるかもしれない。そうなれば予定が遅れても仕方ないだろう。
「けど楽しみだなー、遠征。未開拓地だよ、未開拓地! いつか行きたいなって思ってたけど、こんなに早く行けるなんて!」
興奮を隠さずにウィストが言う。余程、遠征に誘われたのが嬉しかったのだろう。
「うん。僕も楽しみだよ」
未知のモンスターが生息していることに恐怖はある。だがウィストと一緒ならばどんな困難も乗り越えられると思っている。それに遠征には実力も実績もある冒険者が同行する。彼らと一緒ならばそれなりに安全だとも考えていた。
「ウィストは今までの遠征のこととか知ってるの? 人数とか期間とか」
「ちょっとだけ知ってるよ。たしか今までは一年に四回遠征に出てたよ。で、未開拓地には調査用の拠点があって、そこにいる人達と交替してるって。だからだいたい三ヶ月間くらいいることになるかな。人数はたしか……五十人くらいだったかな」
「じゃあ今回はそれ以上の人数と期間になるのかな……」
長ければ長いほど報酬は増える。だが慣れない土地での長期滞在は疲労が溜まる。また時間がかかるほど邪龍体を見つけにくくなるので、出来れば早めに片づけたいところだ。
「大丈夫」
明るい声でウィストが言う。
「今回はたくさん冒険者が来るからすぐに邪龍体を見つけられるよ。それに私とヴィックが一緒なら、どんなモンスターにも勝てる。私はそう思ってるよ」
ウィストの言葉を聞いて、ハッと気づく。
ウィストと一緒でも鬼人達に捕まった。邪龍とは戦う気力すら湧かなかった。二人一緒でも勝てない敵がこの世界にはいる。その事実はウィストも知っているはずだ。
だがそれでも、ウィストは勝てると言い切った。僕も同じ気持ちだと思っていたが、彼女はそれ以上の自信を持っている。その精神力こそがウィストの強いところであり、僕がウィストに惚れたところだった。実力差は縮めたと感じていたが、メンタル面ではまだまだウィストと差がありそうだ。
「そうだね。一緒なら大丈夫だ」
「そうそう。ということだから、早く帰ってご飯でも食べよ。フィネも誘ってさ。今日は早く終わるんでしょ。久しぶりにみんなで食べようよ」
無邪気な彼女の笑みに、僕の顔にも自然に笑みが浮かんだ。
「いいね、それ」
ローグダンジョンから出てエルガルドに戻った頃には、予想通り夕方になっていた。僕以外にもエルガルドの外から帰って来た冒険者が多く、街路は冒険者達が多かった。彼らを避けながら冒険者ギルドに向かう。道中、僕達と同じようにギルドに向かう人達の姿があった。目的は同じなのだろう。
冒険者ギルドに着くと、さらに高い人口密度を目の当たりにする。依頼の成否報告をする者や仕事を終えて併設する食堂で食事をする者。多くの冒険者がギルドに集まっていた。特に買取用の受付前には長蛇の列ができている。フィネを含めた五人の職員が対応しているが、それでも処理しきれていない。この様子だと一時間近く待たされるだろう。
予想はしていたが、この人口密度の高さには毎度辟易する。人口が多い王都のマイルスに住んでたお陰で少しは慣れていたが、この時間のこの場所以上の人の多さは経験したことが無い。「今日もけっこう待ちそうだねー」とウィストは呑気に言っている。一年くらいこの街で過ごせば慣れるだろうか。
「僕が並んでおくから、ウィストはお店探して来てよ。ギルドじゃ食べられなさそうにないし」
「オッケー。じゃあゲンを担いでお肉でも食べよっと。お肉、お肉」
ウィストは軽快な足取りでギルドから出ていく。我慢ができる僕が並び、社交的なウィストが店を探す。適材適所だ。
列に並んで待っていると「ヴィック」と名前を呼ばれる。振り向くと冒険帰りの格好をしたセイラさんがいた。
「調子はどう? それ」
セイラさんの視線が、僕の腰に下げているナイフに向けられている。
「良いですよ。力が入れやすくて切れ味も良いです。このまま使い続けたいです」
「不安なところとかなかった。ちょっと気になったところでもいいんだけど」
「あるとしたら……ちょっと脆そうかなって。変な方向に力を入れたら折れちゃいそうな気がして……」
「そっか」
セイラさんは特にショックを受けた様子はなかった。ある程度予測していたのだろう。
「見た目を重視すると、どうしても実用性の部分で甘いところが出てきちゃうな。出来る限りバランスを整えたつもりだけど、まだちょっと造りが粗かったのかな」
「慎重に使えば大丈夫ですけど、急いでるときだと何かの拍子で壊れちゃうんじゃないかなって」
「そうね。もう少し耐久性も考えた方が良いかも」
会話をしながら待っている間に列は進み、間もなくして次が僕の番というところまで来る。そして作業の進み具合から、フィネが僕の買取を担当してくれそうだ。丁度良い。買取ついでに食事に誘おう。
それを期待しつつ待っていると、後ろから誰かが近づいて来る気配を感じた。買取の列に並ばずに受付に来るということは、別件で受付に用がある人か。いつもはたいして気にしないのだが、妙に後方が静かになったので振り向いてみた。
後から近づいて来ているのは、眼つきの悪い男だった。髪は赤く腰まで伸ばしている。背丈は僕よりも少し高く筋肉質な体だ。大きめの湾刀を腰に下げており、上級冒険者が着るような高価な装備を身につけていた。
周囲の冒険者はその男から目を逸らしているように見える。男に気づいたセイラも、見ないようにと視線を男から遠ざけていた。
彼からは威圧的な存在感が出ており目を合わせづらい。僕も興味本位で見てしまったが、すぐに視線を前に戻してしまった。
いったい何者なのだろうか。今まで出逢った冒険者とは雰囲気が違う。おそらくトップクラスの実力者だということしか分からない。たぶんアリスさんやヒランさんと同等かそれ以上……下手したらソランさんくらい。
その男は僕の横を通り過ぎて受付に向かう。そのとき、ちょうどフィネの前が空いて並んでいた僕を呼ぼうとしていた。だがその前に、男がフィネの前に進んで荷物を置く。
「売却だ。早くしろ」
「へ?」
あまりにも堂々とした割込みだった。受付台の前には大勢の買取待ちの人が並んでいるのに。
男性のルール無用な振る舞いに、僕だけじゃなくフィネも呆気に取られている。そのせいか作業に入るのが遅れていた。
「おい、早くしろって言ってるだろ。聞こえなかったのか」
「え、けど、先に―――」
突如、男が受付台を叩く。大きな音が響き、周囲の視線を集める。目の前にいるフィネはびくりと体が震えた。
「いいから早くしろ。この後予定があんだ。もたもたしてると―――」
「ちょっと!」
恐そうな相手だったが、体が勝手に動いていた。受付前から離そうと、男の左肩に後ろから手を伸ばす。
だがその直前、男は後ろを見ずに僕が伸ばした右手を掴んだ。声に出して止めようとしていたとはいえ、なぜ僕の手を掴めた?
「あ゛ぁ?」
男が振り向いて金色の瞳を僕に向ける。対面したことで、より一層強い威圧感を受けた。
「なんだお前。俺様になんか用か?」
それに加えて見下すような威圧的な視線と声。怖気づきそうになったが、なんとかその場に踏みとどまる。
「割込みはダメです。それに彼女に対してあんな態度は止めて下さい。迷惑です」
瞬間、辺りがしんと静まり返す。さらには周囲からの視線を集めているのが肌で感じ取れた。
それは「よく言った」という称賛の眼ではなく、何か恐ろしいものをみたかのような……。
「お前、俺様が誰か知らないようだな」
掴まれていた右手首に強い力がかかる。モンスターに握られたのかと感じるほどで、あまりの痛さに声が漏れる。
「この街で生きたければ、俺様のやることには口を出すな。それがこの街のルールだ」
「な、なにを言ってるんだ。そんなルールがあるもんか」
「あるんだよ。この俺様のために、な」
男は僕の手首を掴んだまま大きく振りかぶる。僕はその力に簡単に振り回されて、地面に背中から叩きつけられた。予想外のパワーと速さに対応できず、碌に受け身が取れなかった。そのせいか、全身に響く程の痛みに襲われる。
「ぐ……があぁ!」
悶絶していたところに、男が僕の胸を力強く踏みつける。その威力に一瞬呼吸が止まった。
「ほらみて見ろ。こんな暴挙を前に誰も俺様を止める奴はいないだろ」
痛みに悶えながら周囲を見る。男の言う通り、冒険者や職員は誰も男を止めようとしない。遠巻きに見ている者が多く、なかには知らぬふりを決め込んで視線を外している者もいた。
冒険者達は血気盛んな者が多い。そのせいか喧嘩が起こることは珍しくはない。だから職員はそれに対応できる能力が求められている。また冒険者のなかには正義感が強い者もおり、そういった面々が喧嘩を止めにかかることもある。
だがこの場面において、彼らが動く気配が全くない。これは異常な事態だった。
「分かるだろ。俺様に楯突くものはこの街にはいない。お前もそれに倣うならば、今回はこの辺で勘弁してやる」
男がさらに力を込めて僕を踏む。息が苦しくなり胸が痛い。このままだと骨が折れてしまいそうだ。
理由は分からないが、この男は暴虐が許される立場にいるようだ。ならばこれ以上の争いは無用。理不尽だが謝るのが一番穏便な解決方法だとは理解していた。
だが、
「い、いやだ」
フィネを怖がらせた男には、屈したくなかった。
一瞬周囲がざわついた後、男の視線から冷たいものを感じた。
「馬鹿が」
男がさらに力を入れようと体を傾ける。その直前だった。
「その辺にしろ」
いつの間にかロードさんが傍に来ていた。彼の姿を見ると男は力を緩める。同時に張りつめていた空気も緩んだ気がした。
「来てたのか、ロード。何で止めるんだ」
男の声が不機嫌になる。流石のこの男も、『英雄の道』の団長には歯向かえないのか。
「彼は遠征の同行者で重要な役割を担っている。怪我をさせるわけにはいかない」
「この程度の代わりなんざいくらでもいるだろ。一人潰してもいいじゃねぇか」
「彼は邪龍を見つけるために必要だ。いなければ帰還が遅れるぞ。遠征が好きだというならそれでもいいが」
「あ゛? こいつが例の奴か。ちっ、仕方ねぇな」
男が渋々と足をどける。望んだ展開になってくれたが、少しばかり違和感があった。
それはロードさんが、「利用価値があるから止めろ」と言っているようだったからだ。
「ヴィック! 大丈夫?!」
フィネが近づいてきて僕を起こす。体に痛みはあるが怪我は無い。しばらくすれば痛みは引くだろう。
「うん、大丈夫だよ」
「なるほどな」
男が僕達に冷やかすような眼を向ける。
「かっこつけたいのか知らんが相手は選べよ。俺様は最強の冒険者エギル・レイサー。次俺様に歯向かったら今度はただじゃ置かねぇからな」
僕に向けた男の言葉を聞いて、ロードさんは何も言わずにいる。街の治安を守る『英雄の騎士』を組織するロードさんが、男の身勝手な発言に対して何も言及しない。
その答えは、少し場が落ち着いた時にセイラさんが教えてくれた。
エギルが『英雄の道』に所属し、ロードさんの秘蔵っ子だということを。




