20.罠
「そろそろ時間ですよね」
ホーネットの屋敷が見える建物に、アリスは数十名の仲間と弟子のラトナと共に潜んでいた。
陽が落ちてから一時間経つ。ホーネットとルドルフが取引を行う予定の時間だった。
「あぁ。予定通りならば、もうルドルフがホーネット邸に来るはずだ」
今はホーネット邸のすぐ近くで監視をしている仲間からの報告を待っている。ルドルフが来れば仲間が知らせに来る手筈だ。
「本当に来るのか?」
疑問を口にしたのは、今回の作戦で協力することになった兵士のピートだ。ピートの周りには同じ格好をした兵士が多くいる。共に兵士団の改革を目指す仲間のようだ。
「今は選挙で監視の目が厳しいはずだ。こんな時期に麻薬取引なんて信じらんねぇぜ」
「な。資金が厳しいって言ってもよ、あの狡猾な野郎がこんな危ない橋渡るか?」
「しかも自宅でやるなんて、騙されてんじゃないのか?」
未だに来ない連絡に焦りが出たのか、次々と後ろ向きな発言をして仲間に不安が伝染する。
改革を目指しているというからには骨があると思ったが見当違いのようだ。やはりこの街の兵士は軟弱だ。
「連絡が遅いくらいでいちいちビビんな。ここまで来たんなら腹の一つくらい括れや」
「でもよぉ、こっちはいきなり呼ばれて来たんだぜ。自発的に街を守ってるあんたらのことは尊敬してるけどよ、俺達の都合も考えてくれよ」
「なんだよ都合って」
「もし情報が間違ってたら、俺達は嘘の情報に踊らされて規律を乱したことになるんだぞ。そうなったら除隊させられても可笑しくないんだぞ」
「改革するんだったらそれくらいのリスクくらい覚悟しとけ。そもそも今の兵士団が嫌だからここに来たんだろ。どっちにしろ嫌な組織から離れられるんだからいいじゃねぇか」
「良くねぇよ。俺達が失敗したら、もう誰も改革しようなんて思わなくなるだろ。失敗したら終わりなんだよ」
ルドルフからすれば、ここにいる兵士達は厄介者だ。手駒にならない兵士など必要ない。名分が出来れば嬉々として除隊まで追い込むだろう。
失敗は許されない。それはアリス達だけではなく兵士達も同じ。
彼らも同志だ。自警団の団員に比べて実力も精神力も弱いが、共に戦う戦友だ。
「安心しろ」
昔、ソランが言った。あのときはアリスよりも弱かったはずなのに、なぜかあいつの声に安心した。
「情報は確かだ。ルドルフは必ず来る。取引も行われる。だから心配するな」
「……けど、それが間違ってたら―――」
「ヒランが得た情報だ。あいつが半端な情報をオレ達に言うわけがない」
ムカつくほどの堅物で、真面目な奴だった。あまりにも性格が違い過ぎて、顔を合わすたびに喧嘩をした時期があった。
だが真っすぐ進み続けたあいつの言葉を、嘘だと思うことはない。
「オレ達を信じろ。必ずお前らを守ってやる」
お前らは、オレの声に何を感じるんだろうな。
連絡が来たのは、皆が落ち着いてからすぐのことだった。
「ルドルフがホーネット邸に到着。付き人は大きな荷物を持っていました」
アリス達はすぐに建物から出て、ホーネット邸に向かった。
「打ち合わせ通り、まずは誰も逃がさねぇように屋敷を包囲しろ。その後に屋敷に入ってあいつらを検挙する」
「はい!」
仲間の士気は高く、動きは迅速だ。屋敷の近くに着くとあっという間に包囲が完了し、誰も逃げられないようになった。馬車の近くで待機していた御者も驚いて目を丸くしていた。
包囲したところで、アリスは十名ほどの仲間を連れて屋敷に入る。事前に得た情報から、屋敷の構造と取引する部屋の場所は特定していた。
一分も経たないうちに、アリス達はその部屋に突入する。部屋の中には髭を生やした大柄の男と肥満体型の男がいる。ルドルフとホーネットだ。
「ルドルフ・ハリゼット、ホーネット・ルベイン、お前らを違法物取引の現行犯で逮捕する」
共に突入したピートが宣言する。それと同時に他の兵士達が二人を取り囲む。
取引の現場を抑え、逃げられないように包囲した。周囲に敵はいない。どう考えても詰みだった。
そんな状況だというのに、二人の表情には余裕があった。
「違法物取引、か。随分と大げさだな。こんなものを違法物扱いとは」
椅子に座るルドルフの足元には大きなカバンが置かれている。それにルドルフは目を落した。
「お前達、分かってるのか? もし間違っていたら取り返しのつかないことになるぞ」
ホーネットはニヤニヤと笑みを浮かべている。
「いきなり俺の家に押しかけて、しかも犯罪者扱いだ。この件はしっかりを報告させてもらうぞ」
「犯罪者のくせに何言ってんだ」
兵士の一人がカバンを回収する。
「この中にあるんだろ。大量の薬がよ」
兵士がカバンを開ける。そこには情報通り麻薬が入っている―――はずだった。
「……は? なんだこれ?」
カバンの中に手を突っ込み、中に入っている物を引っ張り出す。出てきたのは薬ではなく衣類だった。
「い、いや、この奥に入ってるはず……服の中も調べたら……」
他の兵士も手伝ってカバンと服を調べ始める。だが出てくるのは服ばかりで、麻薬らしきものは一つもない。カバンをひっくり返しても、粉の一粒すら落ちてこなかった。
「な、なんで……どういうことだ……」
兵士達のみならず、仲間達も茫然としている。同様にアリスも目の前の光景に呆気に取られていた。
どういうことだ? 今日ここで違法な取引が行われる予定じゃなかったのか。
「どういうことだと言われてもなぁ……」
皆が状況を整理できないなか、ルドルフが淡々と説明を始める。
「俺様はこいつに頼まれたものを持って来ただけだ。局長になったときに傭兵ギルドの制服を変更するから、その見本が欲しいとな。俺様は服屋に伝手があるからな、そいつに作ってもらったんだよ」
床に散らばった服はどれも真新しく、見たことが無いデザインばかりだ。新しく作ったというのは本当のようだ。
「制服として採用されたら大きな利益になるからな。あいつら必死こいて作ってたよ。それをお披露目しようとしたんだが、まさかこんな事態になるとはなぁ」
白々しい台詞を吐くが、兵士達は衝撃の事実に動揺してそれに気づいていない。皆の顔は青ざめたままだった。
「で、どうするつもりなんだ」
ルドルフがアリス達に視線を向ける。
「突然乱入して商談を台無しに、俺様達を犯罪者呼ばわり。しかも職人達の作品を台無しにしてくれた。こんなことをしでかして、まさか何も無いなんて言わないよな」
「全くだなぁ……。今日という日をせっかく楽しみにしていたのになぁ……ぐふふ」
ここぞとばかりにホーネットも追撃してくる。声に本音を隠せないまま。
だが、絶望的な状況なのは確かだった。
ヒランの情報を信じて突入し、二人を逮捕して終わらせる予定だった。しかし蓋を開けてみれば情報は嘘で、逆に追い詰められている。
なんなんだ、この状況は。
必死に頭を巡らせて策を考える。だがアリスは策を立てるのは得意ではない。考えても良い打開策が浮かばない。
「まだだ」
アリスの様子を見かねたか、代わりにピートが指示を出す。
「まだ無いと決まったわけではない。この部屋以外に隠している可能性がある。それを探すんだ」
兵士達の目に生気が戻る。まだ希望はあると信じている目だ。
「では探せばいい。だが無かった場合は分かってるな」
だがルドルフの声で、再び皆の表情に影が差す。
「明日も今までと同じ生活ができると思うなよ」




