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 一週間ほど経った頃に、再びロイドが訪ねてきた。その時のフローラの心は筆舌に尽くしがたいものだった。


 ロイドが来ない約一週間にフローラは悩みに悩んだ。舞い上がった心が落ち着き、頭も冷えてくると嫌でも現実が見えてしまってよくない。

 やっぱり、彼を想うなんてそんな身の程知らずなことをするべきではないのか。


 考えれば考えるほど負の方向に天秤が傾き、淡い恋心を押さえ付けてしまうほど溜まっていく。


 それでも、彼が来てくれたら、と料理の練習をした。材料費がかさんだけれど不味い物を出すよりはましだと思えた。

 日に日に蓄積していく疑心に倦厭しながらも、調理することだけは止めなかった。


 そして、一週間後、彼は来た。

 フローラの涙ぐましい努力の結晶を美味しいと想像以上に喜び、食べてくれる。

 危険を顧みず自分に会いに来てくれた、とフローラが自惚れ、満悦になるのも仕方のないことだった。


 そうして、間隔は大分空くものの、ロイドは度々フローラを訪ねた。

 フローラの出したものを疑いもせず、口に運ぶ。従者を連れてきたことなど一度もなく、いつも二人だった。博学な彼は、いつもフローラの知らない話をする。才能があり、頭もいい彼には違う世界が見えているのかもしれない。

 どう考えても理解できるような話では無いのに、フローラは楽しくて仕方がなかった。


 それは勿論、相手がロイドということもあったのだが、何よりフローラは元来好奇心旺盛で探求心の強い子供だった。

 ロイドの話す内容は、空の色の変化の理由だとか、古代の言葉の解読だとか、星の寿命のことだとか。普通の女の子が聞いたら面白くもなんともない話だったが、フローラは満足していた。彼の話す世界は、とても魅力的だったから。


 いつからか、彼と同じ世界を見たいと思った。

 お金がなくて行けなかったはずの学校に行ってみたくなった。彼に相応しい女になれるようにお金も名誉も欲しかった。

 だけどそんなの無い物ねだり。

 分かってる。

 いつか終わりが来ることなんて見ないふりをして。今さら、傷付かないことなんてできなくて。期待なんていつかは壊されるのに。


 今はただ、貴方との時間に甘えていたい。


 あと少し、あと少しだけ。

 自分が失った華の時間を対価に、この夢を見させて。


 あと、少し。



「今、なんと仰いました?」


 フローラが呆然といえば、いつもより表情を硬くしたオルディアが重々しく口を開く。


「だから、ツォルドーネ公爵がご結婚されるらしい」


 結婚……?

 フローラの指先が惨めに震えた。


(わたくしがショックを受けるなんて間違ってる)


 震えの止まらない手を両手で握り混み、なんとか気持ちを沈める。


「……そう」


 動揺した声で返事をする。

 久し振りに来たオルディアはフローラを買いに来たわけでは無いらしく、ただじっと見つめていた。


「どうするんだ?」

「どう……って?」

「だって、君は公爵のことが……」


 オルディアが言おうとした言葉をフローラは自らの震える手で制止した。フローラの桃色の瞳が悲しそうに揺れ、言うなと鋭い眼光をオルディアに浴びせた。


(わたくしの言えない言葉を、他人に言って欲しくなどない)


 彼に愛を囁くなど百万年早いのだ。

 自分の口許に添えられた手を、オルディアは掴む。強く握りしめ、オルディアも辛そうな顔をしていた。


「俺なら、君を一人にしない。俺なら、あの人を忘れさせられる!」


 フローラの両手を自分の手で包み込み、必死の形相でオルディアは捲し立てた。

 オルディアの愛情はよく伝わる。

 きっと、自分を慈しみ大切にしてくれるだろうと分かる。


 でも、なら、オルディア。

 貴方にこんなことを思うのはきっと間違ってると思う。けれど、自分であれ、誰であれ、恋をしている貴方になら、分かるでしょう?


 フローラは静かに、諭すような声色でオルディアの手を握り返した。

 オルディアはフローラにとって、良き友であり、良き遊び相手であり、良き兄のような存在だった。出会ったのは仮面舞踏会なんて俗物的な所だったけれど、オルディアのことは心から友達だと言える。


「オルディア」


 名前を呼ばれたオルディアは迷子になった子供のような不安そうな瞳を揺らした。


「わたくし、初恋なの」


 オルディアは驚く様子もなく、「……知ってるよ」と小さく答えた。


「きっと、これが恋なんだろうって思えるの」

「……うん」

「とても、楽しいの。幸せで、ぽかぽかするの」


 オルディアは黙っていたけれど、目だけはそらさなかった。オルディアの長所は芯のあるところ。


「諦め、きれないの」


 今度はさすがにオルディアも目を見開いた。


 フローラが、泣いていたからだ。

 あの強気で気に入らない客には蹴り上げてしまうほど、男にとっては凶悪なフローラが。決して他人を頼ろうとせず、やったことの無い家事まで自分でこなしてしまうフローラが。

 泣いていた。


「あの人の、一番になれないなんて分かってる。だって、彼は公爵だもの。わたくしとは違うわ。せめて、愛人にならって思ったのに胸が痛いの」


 彼の一番になれないのは分かってる。

 だけど、やっぱり唯一でありたい。

 二番なんて望んでいるはずがない。

 一番でありたいのに、彼じゃないと嫌だ。

 なんて、ワガママ。

 なんて、強欲。


 それでも、願ってしまうの。


「わたくし、彼を――」


 ――あいしているの。


 愛なんてフローラに言えるはずがなく、嗚咽で誤魔化した。崩れ落ちるように泣き出した彼女の背中をオルディアは黙って擦っていた。

 そして、もしかしたらフローラの言っていたあの変な少年は、ツォルドーネ公爵ではないか。と考えた。

 馬鹿なと思えば思うほど信憑性が増してきて嫌な気分になる。


 子供のように泣きじゃくる彼女は、きっと大人になる過程で色々なことを我慢し、溜め込んできたのだろう。男には分からない女心というものもある。フローラはずっと独りで戦っていた。

 フローラがツォルドーネ公爵を好きで、二人が密会をしていたのは薄々気が付いていた。どうやってフローラが彼の目を自分に向けたのか気になるところだけど、まぁ、フローラだし出来ないことの方が知りたい。

 だから、少し意地悪してやろうと思った。結婚すると聞いたのは本当である。父から聞いたから間違いない。


 フローラがあの男を諦めれば、なんとなく、自分の胸に飛び込んできてくれる気がした。本当にただの直感だったけれどどうやら当たっていたらしい。


(そろそろ俺も潮時かなぁ……)


 オルディア自身ももういい歳である。

 騎士になるとしても、子爵の息子としては身を固めておきたい時期だろう。最近は縁談も多くなってきたようだし。


(好きな子を応援してあげるのもまた、惚れた男の仕事だよな)


 泣きすぎて眠ってしまったフローラをベッドに寝かせ、毛布を掛けた。

 彼女が泣き顔を見せ、本音を言ってくれたってことは彼女も俺に向き合おうとしてくれいたということだ。きっと、自分はフローラに特別信頼されているだとオルディアは勝手に考えた。


 ツォルドーネ公爵が地味に嫌がりそうな嫌がらせを考えながらオルディアも眠りについた。



 オルディアはとても良いにおいと共に目を覚ました。空腹を刺激されるこのにおい。なんだろうと眠たい目を擦って辺りを見回すと、フローラが朝食を用意していた。


「あら、起きたの。おはよう」


 昨日あんなに泣きわめいたと言うのにフローラは恥ずかしげもなく挨拶をする。すでに意識されてないと分かり、オルディアは内心がっかりした。そして、もしも自分がツォルドーネ公爵だったら彼女は恥ずかしがって目も合わせないんだろうと思ったら胸糞が悪くなった。


 朝食は簡易なものだったけれどとても美味しかった。


「フローラの手料理なんて初めて食べた。凄く美味しいよ」

「本当? ロイド様にも誉めてもらったのよ」


 フローラは嬉しそうに破顔して、それからすぐに悲しそうに目を伏せた。

 オルディアはツォルドーネ公爵をロイド様と呼び、彼に手作りのご飯を食べさせてやっていることに色々突っ込みたくなった。

 砂糖を入れてないはずのサンドウィチがやけに甘く感じた。


「フローラ」

「なに? オルディア」


 朝食を終え、オルディアはフローラを呼んだ。

 飴色の髪を翻し、桃色の可愛らしい瞳がオルディアを写した。


「気分転換に傷心旅行にでも行ってきたら?」

「え?」


 オルディアの思わぬ提案にフローラは目を瞬かせる。

 わざわざ傷心旅行と言う辺りオルディアの言葉には刺があったが、それをフローラは甘んじて受け止める。昨日大泣きしたのだし、迷惑も掛けただろうことは自覚していた。


「今、ツォルドーネ公爵に会うのは辛くない?」


(確かに)


 フローラは素直にそう思ってしまった。

 今、自分はロイドに会って平常でいられるだろうか。我慢できずに結婚するのか本人の口から確認してしまうかもしれない。本人に肯定されたら、取り乱すのは目に見えていた。

 そもそも、上手くいくはずのない恋だったのだ。


 旅行へ行って、心を休めたらこの恋心も思い出になっているかもしれない。

 そうだ、旅行に行こう。


「じゃあ、手配しとくね」

「え、え!? オルディア!?」


 フローラの反応を素早く読み取り、気の変わらないうちにオルディアはさっさと退散した。後ろからフローラの声が聞こえるが、オルディアは知らん顔して玄関へ歩く。


 昨日は協力してやろうなんて思ったが、人の心なんて容易に変わる。失恋だって、いつかは両思いになったりするのだ。

 フローラが完全に立ち直ってからでも彼女を口説くのは遅くない。

 ツォルドーネ公爵にはなんて言おうか。フローラのことは気にかけてるみたいだが、それがどんな意味を持つかなどオルディアには知ったことではない。実はフローラが本命で結婚は政略だった、なんてオチも存在するかもしれないが「公爵様は大変ですね、合掌」でオルディアの一人勝ち。


 俺の方が勝算あるじゃないか! とオルディアは心の中で手を叩いた。

 ツォルドーネ公爵にはフローラは仕事を止めてどこかへ移住するらしいです、とでも言っておこうか。そうすれば流石に諦めてフローラの所へは通わなくなるだろう。


 腹黒い笑みを浮かべてからオルディアは脳内で素早く算盤を弾いた。


 しかし、オルディアは知らなかった。

 自分のしたことが全て裏目に出てしまうなど。



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