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 お一人様の令嬢に、エスコートなんて付かない。ましてや、従者すらも雇えないような貧乏男爵令嬢には一人で階段を上るのがお似合いだった。


 きらびやかなシャンデリアに、優雅な音楽。周りには流行最先端を求める少女やいい相手はいないかと目を光らす男性陣。

 なんて懐かしい光景だろうとフローラは目を細めた。一人で来たせいか、すでに浮いていた。

 視線を集め、ヒソヒソと囁かれているにも関わらず悠然とそこに立っているフローラを良い目で見る者は少なかった。


 ニヤニヤと試すように気持ち悪い笑みを浮かべているのはフローラの顔や体型を見ている一部の男性だけだった。婚約者を探そうと来た者は皆、嫌そうに顔をしかめる。

 どれだけフローラが美しく艶かしい美女であったとしても婚約者としては最悪だった。それは、フローラも自覚している。

 婚約者やら、結婚などは自分には到底無縁のものであった。


「やぁ、フローラ。よく来てくれたね」

「オルディア様、この度はお招き下さり有難う御座います」


 フローラはしきたりに倣って綺麗な礼を披露する。その仕草は数年舞踏会に来ていないとは思えないほど美しい所作だった。


 オルディアは思わずパチパチと瞳を瞬かせる。そして、くすりと笑った。


「さすがだね。完璧じゃないか」

「いえいえ、滅相もない。わたくしなんて、まだまだですわ」


 にっこりと頬に手を当てて微笑むフローラには、羨望と嫉妬の視線が突き刺さっていた。オルディアは顔がいいし、人当たりもよく爵位もある。

 彼の婚約者の座を狙っている令嬢は多い。

 オルディアとフローラは昔からの付き合いではあったが、今さら数年越しに招待するなんて少し不自然では無いだろうか。まぁ、オルディアのことだからなんとか上手くやっていっているのだろう。


 熱い視線を受けながら暫くオルディアと談笑していると甲高い黄色い悲鳴が巻き起こった。

 なんだろう、と入り口の方に目を向けると息が止まったような心地がした。


 アッシュブラウンの髪に、美しく透き通るようなアンバーの瞳。すっと通った鼻筋と薄い唇。感情が感じられないような無機質な雰囲気のせいで職人により丹精を込めて作られた一級品の人形のよう。呼吸を忘れるような、恐ろしいほどの美貌を持つ男性だった。


「……ツォルドーネ公爵……」


 オルディアの呟きにハッと現実に引き戻された。ふと隣を見ると露骨に顔を歪めるオルディアがいた。珍しい。これほど嫌悪を隠そうとしないのは。


 そこで、はたとオルディアの言葉を思い出す。


「……公爵……?」


 フローラが呆然と呟くとオルディアは静かに頷いた。


「ロイド・ツォルドーネ公爵。齢21にしてツォルドーネ公爵家の当主となった稀代の天才さ。その政治的手腕と頭のキレは宰相にすら重宝されていると専らの噂だよ」

「え、あの、この舞踏会はアルデンテ子爵家主催のものでは無かったのですか? こう言っては失礼ですがもっと略式的なものだとばかり……」

「いやいや、君の考えは正しいよ、フローラ。実はね、俺も最近知ったんだ。なんでも急に招待して欲しいって言ってきてね。断るわけにはいかないだろう?」


 フローラは神妙に頷く。フローラ以外の令嬢たちはキャッキャッと黄色い悲鳴をあげ、頬を真っ赤に染めながらその公爵様を囲んでいた。

 もっと爵位の高い御令嬢はそんなはしたない真似はしない。何年か前だったら自分もあの中に飛び込んでいただろうかと他人事のようにぼんやり思った。


 ちらりと団子になった集団を見ると中心部にはあの男性がいて、彼は令嬢たちに反応することなく淡々と歩いていた。

 その横顔を見て、また見惚れてしまっている自分に気づく。

 美しい人だと思った。



 舞踏会、と言われるからにはどんな状況であれ踊らなければならない。フローラは久しぶりのダンスに相手の足を踏まないかヒヤヒヤしていた。

 フローラと組む男性は誰であっても基本、居心地が悪そうに身じろぎをする。それは、欲情を灯しているからなのか嫌悪感からなのかは分からない。が、フローラは己の魅せ方を知っている。


 ギュッと嫌な音がした。

 踏んでしまった、と気付くのは既に相手が顔をしかめた後。普通はすみませんと頭を下げて謝るものだがフローラはただで起き上がるつもりはない。


「ご、ごめんなさい……」


 瞬時に瞳を潤ませて、上目使いで相手を見る。出来るだけ胸が相手に当たるように。身体を縮こまらせて小さく可愛らしく見えるように。

 20歳には少々キツい仕草だが、煩く咎められるのも気が滅入る。


「い、いや……」


 男性は少し頬を紅潮させてからぐっと唇を噛んだ。さっきよりもじろじろと相手の視線を感じて思わず俯いた。

 相手にはフローラが落ち込んでいるように思えるかもしれないが俯いた彼女の表情は完璧に抜け落ちていた。


(色仕掛けをすると、どうしても自分があの女の娘だと思い知らされる)


 男に媚を売って生きていく女。母はそんな人だった。自分も大して変わらない。

 そのことを実感するたびに足元が掬われるような心地がした。己への失望が拭えなくなる。


「フ、フローラ嬢……。この後……」


 躍り終わって、モジモジとこちらを窺うように見る男をフローラは柔かな淑女の笑みを湛えて見つめていた。

 この男が紡ぐ言葉の続きをフローラは知っている。快く頷こうとした時、視界の端にアッシュブラウンが揺らめいた。はっと視線を横にずらすとあの美しい男性が女性と踊っていた。


 それを見た瞬間、快楽への期待から一気に現実に引き戻される嫌な感じがした。気分が萎えて心がうつむく。

 心臓がぎゅうっと鷲掴みされたような感覚。フローラは思わず顔をしかめた。


「フローラ嬢?」


 男性の戸惑った声が聞こえる。

 フローラはぱっと顔色を変えて微笑んだ。荒れた心は綺麗に隠したまま。


「ごめんなさい。また今度」


 そのまま美しい髪を靡かせ、くるりと方向転換をした。コツコツとヒールを響かせて丁度踊り終わった男女に近づく。

 女の目が惚けたものから嫉妬に変わる。

 男はじっとフローラを見ているだけだった。


「わたくしと、踊りませんか?」


 ツォルドーネ公爵は表情を完全に消していて何を考えているか分からない。明らかな嫌悪を浮かべる御令嬢の方がまだマシだとフローラは思った。


 この男は、不気味だ。

 なのに、どこか惹かれる。


 フローラは己の心にも、相手の感情にも鋭い方だと自負している。だからこそ自分が今、この男のことが気になっていると自覚していた。

 それが何となく気にくわない。身体を売り、堕ちかけの爵位にしがみついて屋敷に執着する自分。気持ち悪い。一番不気味なのは、自分自身だ。

 ロイド・ツォルドーネ公爵。彼は公爵の立場で宰相にも重宝されていると言う。

 身分が違う。違いすぎる。


 夢は、見たくない。

 愛は、知りたくない。


(わたくしに恋や愛など相応しくない)


 だから、目を覚まさなければ。

 高貴な方は、驚くほど踊りが上手い。幼少期からの英才教育の賜物かもしれないが。一度踊ったら、自分と彼の身分差を感じるかもしれない。手を繋ぎたいとか話しかけたいなんてそんな不純な動機ではないはずだ。


 ロイドはじっと品定めするような視線をフローラに送り、少し微笑んで口を開いた。


「ぜひ」


 たった二文字のこの言葉で自分の心が歓喜にうち震えたのを感じた。

 動揺を隠そうと彼の手を取って俯いた。


「下を見ていなくても、リードして差し上げますよ」


 声を掛けられたことに驚いて顔をあげると、ロイドは既にホールを眺めていた。

 唐突に身体が引かれ、くんっと首が引っ張られる。軸がぶれた。

 重心が傾いたにも関わらず彼は何事もないように足を運ぶ。腹をぴったりくっつけていることにドキドキと心臓が高鳴る。腰に当てられた手が熱く感じた。


「ふっ」


 頭上で噛み殺したような笑い声が聞こえたので反射的に彼の顔を見る。アンバーの宝石みたいな瞳と目があってどきりとした。

 自分を見透かされているようだ。


「あなたは、不思議な顔をする」


 寡黙な人だと思っていたが意外と違うのだろうか。

 話ながらも足は止めないし、フローラをぐんぐんリードする。相手の足を踏む隙もない。それほど完璧に整備されたステップだった。


「不思議な、顔ですか?」


 フローラが問いかけた瞬間に音楽が止まった。

 くるくると回ってお辞儀をする。


 答えを聞こうとロイドの方へ向き直った時にはもう女性が集っていた。フローラには渡さないと暗に言っているような態度だ。

 彼はちらりとフローラを見て暫し考える。ふらっとフローラに近付き、耳に口を寄せた。


「私は金で女は買わない」


 見破られていた。


 フローラは目見開いて固まった。

 心臓が凍りつき砕け散った気分だった。破片が臓器に刺さって痛い。脳をチクチクと刺激して緩やかに殺されていくようだ。


 彼に気があるのがバレたのか。あわよくば誘ってみようかなどと見当違いな下心をそこはかとなく持っていたことに気付いたのか。いや、娼婦と罵られている男爵令嬢に向かって侮蔑の意味を込めて言ったのかもしれない。


 いづれにせよ、非難されているのにはかわりないだろう。フローラは引き裂かれるような痛みに襲われた。思ったよりも傷ついている自分自身に驚きながらも、どこか納得していた。


 拒絶され、表情を取り繕う暇もないフローラをクスクスと女の嘲りが包む。ざまぁみろと嘲笑する女たちに構う余裕も無かった。

 一つ深呼吸をして、自分の心を宥める。こんなことに動揺してはいけない。優雅に、美しく、より多くの男を魅了するように。


(そうよ。わたくしは美しい)


 瞬きした時には既にいつもの微笑を浮かべていた。本心を隠してぱっと感情を切り替えられるのは彼女の特技と言えるだろう。


「そうですか。残念ですわ」


 未練が無いかのように颯爽とその場を後にする。女たちはもっとフローラの悔しがる顔を見たかったのか、微妙な表情を浮かべたがすぐロイドに顔を向けてうっとりと喋りだす。


 ロイドと女たちに背を向けたフローラは異様な圧力を醸し出していた。他の男性が彼女に誘い掛けるのを躊躇うほどに。

 フローラは今、誘われても正直そんな気分ではない。

 ただ、己の不甲斐なさを思っていた。


(あんなこと、今まで沢山言われてきたのに、動揺してしまうなんてとんでもない恥だわ)


 フローラのプライドが動揺を表に出してしまったことを許さない。あの男に惚れかけた自分も有り得ない。身分不相応な恋に身を焦がすほど自分が愚かではないと思いたかった。

 母にも父にも頼らず、なんとか自立してきただけに、フローラはいじらしさや儚さなどの可愛らしい内面などは微塵も持っていない。気が強く、周りに振り回されない己の芯の強さを自負しているし、有り難く思っている。


(それなのに、なんなの? この失態は)


 フローラはやはり自分が許せなかった。

 イライラとホールを横切る気の強そうな女を男たちはちらりと見て青ざめているだけだった。


 ******


 舞踏会から数日。

 空はどんよりと鈍色で、雨がぽつりぽつりと窓を濡らしては乾いていった。

 それを眺めつつ、フローラは何度目か分からないため息を吐いた。


(また、客足が少なくなっている)


 最近は雨が多かったから当たり前かもしれないが、あの日の舞踏会では結局誰も捕まえることが出来なかった。


 全ては自分が悪いのだが時が経つにつれてあの公爵にも非があるのではないかと思ってきてしまう。

 こんなことをしている自分が言えることではないかもしれないが、そもそも、舞踏会であんな発言をするのは良識がない。

 このことを考えていると嫌でもあの端整な顔が浮かぶ。じんわりと心が暖かくなり、アンバーの瞳を思い出して胸がドキドキと高鳴るものだから始末に終えない。

 そしてまたその自分にイライラするという悪循環が続いていた。


 はぁとため息を吐いて気分転換できるものは無いかと本棚を漁る。

 その時、客人を知らせるベルが鳴った。

 フローラははっとしてワンピースにショールを羽織り、若干肩をはだけさせて玄関に向かう。誰でもいい。取り敢えず、あの男を忘れたかった。


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