同胞
砦の中にルクス軍の残党が引き上げると、吊り上げられた丸太の門がゆっくりと閉じた。
中は幕舎や兵舎がならび、馬小屋なども見える。多くの兵士がせわしなく動き、戦った兵士の鎧を外したり、傷の手当てを行っていた。
戻ってきた兵士の体を見ると生傷がいくつもあり、優勢な戦いであっても疲弊していくことを教えていた。
エイガー達の帰還は凱旋で、沸き立つ声も上がるが、ここでも暗い影がちらついている。
兵舎や幕舎の陰からは、体に包帯を巻きつけた痛々しい姿の兵士が多く見えた。
ここに今日の負傷兵も加わるのだろう。戦う程に、戦える兵が減っていく。この先、どれだけ戦うことができるのか。
兵士達を見て、言い知れぬ不安を覚えていると、金属がかち合う音が聞こえた。
「あの日の話とやらを聞かせてもらえるか?」
エイガーが兜を脱いで、汗をかいた顔で問いかけた。
かいている汗はかなりのもので、単純に勝利とは言っても、簡単な戦いではなかったことを物語っている。
「できれば、人の目がないところで」
「ならば、武器と鎧を預けてもらおう。それで良いか?」
「あぁ。構わない」
リヒトは頷くと、近くに寄っていた兵士に剣を渡した。
鎧の金具も外して、体から剥がしていく。
その後、体を触られ、武器となるような物がないかの確認をされる。
すべてが終わると兵士達はリヒトの腕を掴み枷をはめると、エイガーに一礼して去って行った。
「枷まではめられるとはな」
「神経質になっているのだ。特に敵側にいたダーカ・ラーガと聞けばな」
「仕方がないことか」
枷を上げて困り顔をしたリヒトを、エイガーはじっと見つめると、背中を向けた。
「付いて来い。俺の兵舎で話を聞こう」
言うと早々に歩き出したエイガーの後をリヒトは付いていく。
周りからの視線は好奇なものと、刺々しいものが混ざり合ったものだった。
エイガーの言う通り、ダーカ・ラーガであること、そしてカルディネア軍にいたことから浴びせられる視線であった。
しばらく歩くと、周りに比べて一回り大きな兵舎にエイガーが入って行った。
開け放たれたドアを抜けると、応接用のテーブルと椅子があった。
一つの椅子にエイガーが座ったので、対面するようにリヒトも椅子に座る。
「さて、お前は何者だ。あの日の最後とは何だ? 納得いかねば斬る」
「分かった。俺はリュート兄さんの弟、リヒト。そして、兄さんの身代わりとなって、今ダーカ・ラーガとしてカルディネア王国のギルディスに仕えている」
「何の話だ? 身代わりとは、どういうことだ?」
「あの日、俺と兄さんはあなたに続いて、前線から退こうとした。だけど、それを邪魔されて思うように撤退できなかった」
エイガーは黙って聞き入っている。
リヒトはあの日の光景を思い出して、顔を強張らせた。
「何とか撤退できようとした時、敵の将が兄さんに挑戦してきた。それを兄さんは受け、倒した。……倒すことはできた」
リヒトの顔が歪む。
「その場を去ろうとした時、敵の将が立ち上がって武器を投げ、それが兄さんの背中を斬った。負傷をした兄さんを連れて、俺達は撤退した。後ろから猛追してくる敵から逃れるために、部隊を散り散りにして。
俺と兄さん、ビルタスさんの三人になって森に入った時……。兄さんの馬が崩れてしまった。馬が使えない。兄さんを乗せて走ってしまえば、敵に追い付かれる。そこで思いついたのが、ダーカーである俺が身代わりになることだった」
「それで捕まったということか」
「あぁ。だが、俺の正体をギルディスは知っていた。知っている上で、俺を恐怖の存在のダーカ・ラーガとして使おうと考えた」
「なるほど。そうして、お前がここにいる。ということだな」
リヒトは大きく頷いた。エイガーは瞳を閉じて、腕組みをした。
険しい顔を見せ、唸り声を上げている。
すぐに理解するには難しい話であることは、リヒトも分かっている。
だが、そうだとしても分かってもらわないといけない。
ここで話を理解されなければ、この先の話など受け入れてもらえる訳がない。
「リヒトと言ったな。どうして、カルディネアに付いた」
「何故? もちろん、兄さんに生きて会うためだ。ギルディスは兄さんの身の保証もしてくれた」
「それをどうして信じることができる。相手はカルディネアだぞ?」
「それは……」
返す言葉に詰まると、エイガーが更に追い詰める。
「お前の力が欲しいだけで、約束など反故にするかもしれないぞ?」
「だけど、それだと」
「ただ良いように戦場で消耗品として扱われるだけかもしれない。その可能性を考えなかったのか?」
「違う! 俺はただ、兄さんを助けたいだけだ! 俺が生きる意味はそれしかない! 助けることができるなら、俺は!」
「リヒトと言ったな。言い分は分かった。お前の意思でカルディネアに付いた。そのことが分かれば、十分だ」
「えっ?」
エイガーが腕組みを解き、膝に手を置いて顔つきを硬いものに変えた。
「お前は我々の味方ではない。帰ってもらおう」
「ま、待ってくれ! 俺は戦いたくない! あなた達と戦いたくないんだ!」
「何故、戦わない? お前はカルディネアで、俺はルクスだ。戦わぬ訳にはいかない」
「ち、違う。そうじゃないんだ。戦う以外の方法だってあるはずだ! このままじゃ、みんな死んでしまう! そんなこと」
「分かっている! 言われなくてもな。我々は死ぬ。ルクス共和国への思いを枕に、この地で死ぬ」
遠い目をしたエイガーが語りだす。
「家族を友人を、恋人を失った者ばかりだ。カルディネアに降る位なら、討ち死にした方がマシだ」
「本気で言っているのか? 死ぬって、終わるんだぞ? ここで終わるって言うのか!?」
「そうだ。俺達は死に場所を求めて、ここに集まった。最後まで輝き、華々しく散る」
「そんな。生きる道があるのに。命を捨てるなんて、自殺じゃないか」
「カルディネアに逃げた男が言うセリフか! 俺達は俺達の理想に殉じる。それだけだ」
リヒトは絶句した。
かつての自分だ。リュートの命を助けて、己に浸ったまま死ぬ。
生きることを諦めた理想を、エイガーは持っているのだ。
自分がかつて抱いていた理想。そして、捨て去った理想と同じものを持つエイガーに、何といえば自分の気持ちを伝えることができるのか。
理想を変える。それは自分を一時的に否定することになる。それを、今の理想が尊いものと思っている人にできるのか。
リヒトは何とか一言だけ呟く。
「……死なないとダメなのか?」
「あぁ。俺の魂が燃え尽きるまで、俺は戦う」
「分かった。お願いがある。聞いてくれないか?」
「……聞くだけ聞こう」
リヒトは一礼すると、エイガーの険しい顔を見つめる。
何を言っても、その強固な表皮ではじき返されそうだが、言わなければならないことがある。
「死にたくない人が必ずいるはずだ。その人達は逃がしてほしい。もう、そんなに戦えないはずだ」
「聞くだけ聞いてみよう。帰れ、リヒト。ダーカ・ラーガとして、戦おう」
エイガーは椅子から立ち上がると、ドアを開けて外に向かった。
リヒトは椅子に深くもたれ掛かり、厳めしい表情のエイガーを思い出す。
理想に殉じる。この言葉が頭の中で反芻する。
頑なな思いを壊すことができるのか。何を伝えたら、その思いを変えることができるのか。
答えが出ないまま、椅子から立ち上がると、部屋を後にした。




