勝利
ルクス共和国軍とカルディネア王国軍が衝突して二週間が過ぎようとしていた。
お互いに出方を伺っているのか、散発的に衝突がある程度で大きな戦いには発展していない。
包囲されたアドリア砦への攻撃も大規模なものでなく、包囲しているだけと言える。
ただ時が流れ、このまま戦争が終わるのではないかと思われる程に、静かな時間が何度も訪れた。
ルクス軍は、この時の流れがありがたかった。西方の軍が合流すれば数で勝るからだ。それまで、この状態が維持できれば。本隊の方針は決まっていた。
そのせいなのか、ルクス軍の中に流れる空気が緩くなっているようにリヒトは感じていた。
リュートの隊は度々、陣を移動させられていた。それは常に戦いに近い場所であり、衝突に駆り出されることが多かった。
その移動の最中に、リヒトは緊張感のない顔している兵士を幾人も見ていた。
リュートの隊の士気は高い。皆、顔を引き締めて、力強さを感じる。
その中にいると、同じルクス軍でも温度差をひしひしと感じていた。
馬を進めながら横目に見た兵士は大きなあくびをしている。
傍を通った隊も戦いに消極的ながら参加した。なのに、この緊張感のなさは何だ。
常に前線に駆り出されているリュート達との違いに、リヒトは憤りを感じていた。
「リヒト、顔が怖いよ」
リュートの声に我に帰った。
リヒトは感じたままのことを伝えたくなり、ちらりと他の隊を見る。
「何で、こんなに緩い顔ができるのかなって思って。戦争の最中なのに」
「戦いがないのは良い事さ。このまま終わって欲しいよねぇ」
「兄さん……。俺達はまた戦いに行くんだよね?」
「だろうね。もう少し休ませてくれないと、みんなへばっちゃうよ」
からからと笑うと、首を回して隊の兵士を見た。
リヒトもつられて振り返る。力強い行軍からは疲れを感じさせない。
普段からの訓練のたまものだろう。リュートの厳しい訓練が、この戦場で活かされている。
だが、戦い続ければ犠牲は出る。怪我で前線を離脱、もしくは死んでしまう者も出て、じわじわと兵が減っていた。
「減っちゃったね……」
リュートが呟く。憂いた瞳を一瞬だけ見せ、前に向き直った。
気丈に振舞っていても、人が死ぬのは堪えるに違いない。
ビルタス以外との関係が薄いリヒトも、見ていた顔が減っていくことに、心を痛めていた。
ただでさえ、少数なリュートの隊にこれ以上の損害があれば、いざというときに戦えないことぐらい分からないのか。
また憤りを感じながら、リヒト達を乗せた馬は今日、戦闘を仕掛ける隊に合流した。
リュートは出迎えた兵士に声を掛け、馬を降りて陣の奥に消えた。
戦いの打ち合わせのためだろう。リヒト達はしばしの休息を得る。
ビルタスが各兵に声を掛け、交代で休みを取らせている。
リヒトも地面に腰を下ろして、足を伸ばした。
空を見上げれば、鳥が優雅に舞っていた。
空から見れば、この戦争もちっぽけな出来事なのかもしれない。リヒトはそんなことを夢想して、現実からしばし逃避した。
休憩も終わり立ち上がると、リュートを傍に従えた、緑色の髪で口周りのヒゲを綺麗に整えている男が向かってきていた。
男は華美な甲冑を着ているが、よく見れば小さな傷がいくつか入っている。
「ああ、皆、ゆっくりしたままで構わないぞ。うむむ……、流石はダーカ・ラーガが率いる部隊だな。皆、覇気に満ちている」
「ありがとうございます、エイガーさん」
「これはどちらが武功をより上げることができるか勝負だな」
「それは負けられませんね。私の隊は少数ながら精鋭ですよ?」
「尚更、負けられぬな。楽しみになってきたぞ。リュート殿、また後でな」
エイガーと呼ばれた男が自分の隊に戻って行った。
その背中を見つめていたリュートが振り向くと、にっと笑った。
「エイガーさんは、たくましい人だよ。今回の戦いは今迄みたいに、こき使われることはないと思うよ」
「そうなんだ。兄さんが言うなら、間違いないよね」
「ああ。さて、戦闘準備だ。ビルタス! 休憩はここまでだ! 全員に準備をさせろ」
リュートの声にビルタスはすぐに反応すると、大きな声を上げて全員に呼び掛けた。
兵士が立ち上がり、今一度、武具の確認を済ませる。リヒトも同じく、緩みがないかなどを確認し、馬にまたがり号令を待つ。
静かに時が過ぎていく。風が強く吹いた時、大きな角笛の音がなった。
いくつもの隊が動き出した。カルディネア軍に向けて駆けていく。
攻めかけた隊の中で本格的にぶつかるのは、エイガー隊とリュート隊だ。
リュートは剣を掲げると、変化させた。
黒い剣を敵に向け、檄を飛ばす。
「攻め掛かれ!」
兵士が応じる声を張り上げると、全力での突撃を開始した。
長方形の陣を敷いた二倍以上の敵軍に歩兵がぶつかった。リヒトはリュートに従い、敵の右側に向かう。
歩兵が押した隙間に馬で突っ込み、敵軍をついばむように何度も仕掛ける。
少ない兵ながら、歩兵と騎兵の連携により、固く守られた陣が揺らぐ。
その時を図ったかのように、リュートが叫んだ。
「ダーカ・ラーガはここにいるぞ! 命が惜しければ、ここを去れ!」
この声に敵軍が怯む。
一瞬の気の緩みを得たことで、歩兵が更に敵を押し、騎兵で削っていく。
敵軍がじわじわと後退を始めた。態勢を立て直すのだろう。リュートが追撃を掛けるだろうと、リヒトは身構えていたがその素振りがなかった。
リヒトは横に目を向けると、重装備の騎兵が駆けてくるのが見えた。
地面をへこませるのではないかと思うような、重い足音をうるさく鳴らして、リュートの隊の横を過ぎていく。
「良いところ、持っていかれちゃったな」
リュートは小さく笑うと、重装備の騎兵が向かった先を見た。
その装備から繰り出される突撃は、ただの騎兵の突撃とは迫力が段違いだった。
兵を潰して行く突撃に因って、敵軍は浮足立ち、混乱していく。
「さて、僕達も美味しい所をもらおうか。行くぞ!」
駆け出したリュートに従い、兵士が猛進した。
隊列が乱れ、ばらけた兵士をリュートの剣が刈り取っていく。
リヒトも剣を振って、斬りつけた。
混乱した兵はもろい。リヒトは剣を振りながら思った。
少数のリュートの隊によって、敵軍は破られていく。エイガー隊に目を向けると、更に兵を進めている。
その動きが止まると、歓声が上がった。
エイガーが槍斧を高々と掲げている。その穂先には一つの首があった。
それが敵対していた部隊の隊長であることが分かると、リュートの隊も歓声を上げた。
「エイガーさんはすごいなぁ。本当に武功を上げるんだからさ。とはいえ、これ以上、攻めるのは不味いかもね」
リュートは言うと、辺りを警戒しだした。
リヒトも合わせて、警戒する。敵軍の動きが慌ただしくなっているのが分かる。
一つの部隊がやられただけでは、軍全体を負かしたことにはならない。やられた分を取り返そうと動いているのだろう。
リュートが兵をまとめだすと、同じく兵をまとめたエイガーが向かってきていた。
「どうだ、リュート殿。俺の勝ちでいいかな?」
「大勝ちですよ。流石です」
「まぁ、リュート殿が作ってくれた隙のお陰だがな。さて、戻ろうか」
リュートが頷き、馬首をひるがえした時、角笛が大きく三度鳴った。
「何っ!? どういうことだ!?」
「兄さん? どうかしたの?」
「撤退……全軍撤退の指示が出た」
事態が呑み込めないリヒトは、驚愕しているリュートの顔を、呆けて見ていた。




