戦乱の夜
日が暮れるにつれて、平原を埋め尽くしていた兵士達の声が静まる。
リヒトはルクス軍の本隊から少し離れた丘に敷かれた陣にいた。リュートは本隊と合流後、本陣に呼ばれて帰ってきていない。
陣では食事の準備が始まった。一度とはいえ、命がけの突撃をした者達は、夕食の匂いに強張った顔が緩んだ。
リヒトも同じく、お腹の虫がなる。腹を擦ると、止めていた手を動かし始めた。
馬の体をブラッシングしていく。丁寧に体を労わるように手を動かすと、馬が首を振って気持ちよさそうに声を上げた。
「ははっ。気持ちいいのか? 今日はありがとな。お陰で生き延びることができたよ」
感謝の言葉を口にしつつ、手を動かす。
馬の世話が終わると、馬具の手入れを始めた。馬に掛けていた鞍と鎧に不具合がないか確かめる。
入念に見たのは、裏に彫られている呪文だ。
馬も人と同様に魔力を持つ。
魔力を発することで馬具や鎧を強化することができるのだ。
馬も人と同じように魔力の量や発するセンスなどは違う。名馬と言われる馬は、その二つとも備えたものが前提と言える。
リヒトは地べたに座って整備をしていると、軽快な馬の足音が聞こえた。
傍に置いていた剣に手を掛けて闇に目を凝らすと、姿を見せたのはリュートであった。
リュートは馬から降りると、手綱を引いてリヒトに近づく。
「ちゃんと、手入れをしているね。偉い偉い」
「兄さん、お帰りなさい。遅かったね」
「ああ、面倒なことに付き合わされてね」
「面倒なこと?」
リヒトの問いにリュートは頷くと、馬から鎧と鞍を外した。
馬の首を優しく撫でて、ブラッシングを始めた。
「戦勝祈願の宴だってさ。それと初戦の勝利を祝してもね」
「随分と気楽だね。勝ったのも兄さんが動いたからじゃないか」
「いや、勝ちとも言えないよ。こちらの損害もあるし、敵の規模から考えれば、むしろこちらの方が被害は大きいかもね」
「そうなんだ……」
リヒトは落ちた気分を上げるために、話を変える。
リュートが腰に差している剣を見た。
「兄さんの『武鬼』はさすがだね。普通の『武鬼』とは違うんだよね?」
「あぁ、そうらしいね。まあ、切れ味がより鋭くなったぐらいの感覚しかないけどさ」
「普通だと形が変わるだけなんだよね? それでもすごいって聞いたけど?」
「兵士になれる人達の中で、二千人に一人ぐらいかな。部隊を率いる者達は多くが『武鬼操者』だけどね」
リュートは剣をすっと抜くと、星空に向けた。
剣が輝くと、芸術品のように美しい黒い剣が現れた。
掲げた剣を地に向けて振るう。
音もなく草花は刈り取られ、地面にも切れ目が走っている。
「でもね、『武鬼操者』だとしても、一人の人間なんだ。どんなに強くても、戦況をひっくり返すのは難しい」
「えっ? でも、今日は上手くいったじゃない?」
「奇襲だったからね。次は今回みたいにはいかないよ。僕の異名で戦局が少しは有利になるといいんだけど」
リュートが剣を鞘に戻すと、馬を優しく撫でる。
馬がリュートの顔に自分の顔を擦りつけた。
くすぐったいのか、リュートは顔をほころばせている。
その顔はダーカ・ラーガと呼ばれる鬼には見えない。むしろ逆で、リュートの顔立ちや柔和なたたずまいから、貴族のように見える。
どちらが本当の顔なのか。リヒトはどちらもリュートであることを知った。
生きるために修羅となり戦場を駆けるリュートと、優しく馬と語るリュートは同じ人物だ。
戦場がリュートに新しい面を作り出した。それが強烈なものであったのは、戦場が過酷な場所だったからだろう。
気が狂いそうな戦場が作ったリュートの顔は険しい。それを思い出すと、リヒトは身震いをし、自分の顔をさすった。
リヒトも戦場を経験した。それが自分の顔を変えてしまったのではないかと思ったのだ。
「リヒト、大丈夫?」
目を点にしたリュートの声だった。
「大丈夫だよ。明日はどうなるかな?」
「本隊は持久戦の考えだったね。西方の防御に当たっていた軍が、援軍として到着すれば数では勝るからね」
「西って、グラドニア帝国に対する軍だよね?」
「そっ。同盟を結んでいるからね。全兵力を集中させて、決戦に持ち込むって考えだろうね」
リヒトは同盟という言葉に引っ掛かった。
いかに同盟を結んでいるとはいえ、守りを手薄にするのは不味いのではないか。
薄ら寒いものを感じていると、鼻と食欲をくすぐる匂いが漂ってきた。
「隊長、飯を持ってきました。リヒト、お前の分も持ってきたぞ」
声を掛けてきたのは、リヒトの顔面に槍の柄を叩きこんだビルタスだ。
ダーカーであることを隠しているリヒトのことを知っている数少ない人物である。
「ビルタスさん、ありがとうございます」
「気にすんな。今日は頑張ったんだからな。隊長を除いたら、お前が一番戦っていたかもな」
「えっ? そんなことはないですよ。ただ、剣を振っていただけで」
「いや、俺は見ていたぞ。敵の鎧をばっさり斬っていたからな。もしかしたら、『武鬼操者』なのかもな」
言うと、ビルタスは笑った。
自分が『武鬼操者』とは思っていないリヒトは、変なことを言われて曖昧な顔をする。
ビルタスは顔に笑みを残したまま、食事をリュートとリヒトに渡すと、焚火の近くへと向かった。
「俺が『武鬼操者』……」
リヒトは自分の手を見つめて呟いた。
そんな力があれば、リュートを助ける力になるに違いない。
「リヒトはそのままで十分に強いよ」
目を見開いてリュートを見た。
心の声が丸聞こえだったのではと思ってしまう程の言葉だった。
「まだまだだと思う。兄さんみたいには無理だけど、今よりもっと……」
「そうか。じゃあ、尚更生きないとね。生きていれば、必ず今より強くなるからさ」
「うん。絶対に死なないよ。約束したからね」
空は闇に染まり、月明かりが柔らかく戦場を照らす。
その光を消すほどのかがり火が焚かれたカルディネアの陣営を一瞥すると、地面に寝転がった。
明日はどうなるのか。考えても仕方がないことを想像し、何度も寝返りを打って夜を過ごした。




