1-15 条件
時計の針が午後五時を回り、僕の集中力はすでに限界を迎えていた。
アイスティーを浴びる前まではあんなに集中できていたのに、あれ以来パッタリとダメになってしまっている。
集中力の不思議さに思考を巡らしながらも、僕は隣を覗き見る。
綾はときおり髪をかき上げつつも、熱心にシャーペンを走らせている。
一心不乱に勉強していて、隙がないくらいだ。
僕はそのあどけない横顔に視線が吸い寄せられそうになりはっとする。
何かを一生懸命にこなす姿は美しい。
けど、幼馴染に見とれる要素はない。
「はぁ」
深くため息をつきながらも、手持ちぶさたになった感のある数学の問題集をペラペラとめくる。
そしてマリアさんに小声で告げる。
「マリアさん」
「なんでしょうか?」
マリアさんも小声で応対する。
「もう限界みたいです」
「限界ですか」
「はい」
ノートには適当に書いた落書きが散らばっている。
直の書く絵とは違ったレベルの低い落書きだ。
「綾は凄いですよ」
「坂本様も、私がアイスティーをこぼす前ではたいした集中力でしたけど」
「ということは、マリアさんのせいになりますね」
僕はあっさりと人のせいにする。
「すいません」
にこりと笑うマリアさん。
「おわびに抱きついてきてもいいですよ」
「何を言ってるんですか」
小悪魔な笑みを浮かべて、とんでもないことを言う。
なので、僕はおもわず大声を上げてしまった。
「春? どうしたの?」
「あ、なんでもないよ。綾」
「そう?」
「うん」
「そっか」
綾はまた勉強に戻っていく。
ほんとにものすごい集中力だ。
「……」
やっぱり暇になった僕は、マリアさんに聞きたかったことを聞いてみる。
もちろん、本当の名前以外のことについてだ。
「あの、マリアさん」
「はい」
「マリアさんは字がきれいですね」
「私の字がきれいですか?」
「そうです。何度か問題の質問をしたときに、ノートに書いてくれましたよね。そこで感心しました」
そう、マリアさんの字はとてもきれいだ。
ペン字でも習得しているのだろうか。
「コツとかはあるんですか?」
「そうですね。コツはありますよ」
「そうなんですか。それでコツとは?」
「それは……あ」
幼子がいたずらを思いついたような顔。
けど、マリアさんにかかれば、それも小悪魔っぽくなる。
「教えて差し上げてもいいですけど、条件があります」
「条件?」
「そうです。それで条件なんですが、お嬢様とスキンシップをしてください」
「はい?」
おもわず変な声が出てしまう。
「マリアさん」
「どうしました? 坂本様?」
怪訝な表情をしている僕を見て、マリアさんが疑問を口にする。
僕もマリアさんの表情を見て、率直な感想を口にする。
「貴女、またおかしなことを企んでいますね」
「いいえ、純粋にそうするべきだと思ったからです」
「綾と僕はスキンシップをする関係でありません。ただの幼馴染ですから」
「そうですか。でも、スキンシップ気持ちいいですよ」
そもそもマリアさんが言うと、あまりいい意味には聞こえない。
いい意味どころか、悪い意味に聞こえてくる。
「で、どうでしょう?」
「いいえ、結構です」
「残念ですね」
「マリアさんが残念がることじゃないでしょう」
結局、僕は一刀両断にして断わった。
けど、マリアさんは親切で、字を上手に書くコツを手取り足取り教えてくれた。
そうして時間は過ぎていき、勉強会はお開きとなった。




