1-8 小悪魔
「私、お嬢様が嬉々として語る坂本様とお話したかったんですよ」
「はぁ、そうですか」
こっちにしてみれば、綾が僕のことを嬉々として話す姿は想像できない。
マリアさんは僕のことをからかっているのだろうか。
「ところで坂本様」
「なんでしょう」
「そちらからも何か聞きたいことありますか?」
「聞きたいことですか?」
「はい」
「えっと、今は思いつかないのですが」
さしあたって聞きたいこともない。
後、余計なことをしゃべるとこっちの旗色が悪くなりそうというのもある。
「そうなんですか?」
「そうです」
「それは残念ですね」
けど、マリアさんは含みを持たせる。
「ぶっちゃけ、下着の色とか聞いてもいいんですよ。ちなみに両方とも黒ですけど」
「もう言っちゃってるじゃないですか」
「なら、好きな官能小説の種類とか聞くのはどうです?」
「僕は変態キャラですか」
くすくすと笑うマリアさん。
メイドさんというよりは、やはり小悪魔な感じの女の人だ。
「ちなみに私が好きなのは『義兄との関係』です」
「今度は女性目線?!」
ともあれ、巷の若い女性のあいだでは官能小説が流行っているのだろうか。
しかし、本当に美咲さんと同じ香りがする。
もっともあっちは色気の自覚がなくて、こっちは自覚がある。結論としては無自覚のほうが恐ろしい。
だから、まだ救いはあると言えよう。
「あ、マリアさん」
「なんですか?」
「今、思いつきました」
「?」
首をかしげるマリアさん。
「あの、聞きたいことです」
「そうですか」
「はい。そのマリアというのは本名なんですか?」
僕がそう聞くと、マリアさんはにやりと笑う。
「私を本名で呼んで口説きたいんですね」
「どうしてそうなるのでしょう」
「でも、教えて差し上げません」
僕の唇に手が添えられる。
その蠱惑的な表情に、僕は言葉が出ない。
「マリアはコードネームみたいなもので、本名をさらすのは禁則なんです」
「禁則?」
「はい。私が勝手にそう決めました」
おちゃめなウインクとともに、マリアさんが告げる。
「わかりました。それじゃあしょうがないです」
「期待に応えてあげられなくてごめんなさいね。でも、女の子はミステリアスの方がいいんですよ」
「そうですか」
「はい。なので私は、坂本様の期待に応えたいと思います」
するとマリアさんは、僕のひざの上にちょこんと座ってくる。
意味がわからない。
「いきなりどうしてそうなるんだか」
おもわず敬語が抜けてしまった。
本人に自覚がある方が扱いやすいなんてとんでもなかったのだ。
「あれ? ひざに乗ってほしいというオーラをびんびんに感じたのですが」
「そんなオーラ一つも出していません」
マリアさんの柔らかな感触を追い払おうとしながらも、僕は言う。
「では、思っていたんですね」
「思ってもいません」
「なら、私の勘違いですか」
「はい、勘違いです」
マリアさんは上品に僕のひざから降りる。
女の子座りをして、今度は僕の隣に腰を下ろした。
「やっと降りてくれましたか」
「降りたのは坂本様が動揺しないからです」
「動揺してましたよ」
「それをおくびにも出さず?」
「そうですかね」
「それよりも坂本様」
「はい、なんでしょう」
「貴方は年上の女の子の扱いに慣れていますね」
「そんなことないです」
「謙遜したって無駄ですよ。私にわかるんですから」
「……」
僕がどう反論しようか黙っていると、マリアさんがやにわに立ち上がった。
「さて、私も十分楽しみましたし、そろそろ準備の方に取り掛かりますか」
「楽しんでたんですか」
「はい」
マリアさんがいたずらっ子のような笑顔を見せてくる。
「では、行きますね」
「あ、今日はよろしくお願いします」
「はい。お願いされました。それでは待っていてくださいね」
マリアさんはその言葉を最後に部屋を出ていく。
結局、小悪魔なマリアさんに翻弄された僕は、深々とため息をつくのだった。




