1-2 成長曲線
布団を畳んで押し入れにしまい、カーテンを開ける。
東風荘はけっして日当たり良好とはいえないけど、太陽の斜光はしっかりと入ってくる。
僕はその光を一心に浴びながら、大きく腕を曲げてのびをする。
「直」
「何?」
「今日行かないの?」
「ん。行かない」
直の返事は昨日から変わらない。
一応、念のためにもう一度聞いてみる。
「ほんとに綾の家行かないの?」
「ん。いい」
実は今日、前に約束した綾との勉強会が遂行される日だった。
しかも、綾の家に招待されている。
ちなみに綾の家は、初めて行った人が迷ってしまうくらいの豪邸だ。
今まで、直と一緒に一度しか行ったことがない。
「でもさ、綾は直が来ることを期待しているんじゃない」
僕はなおも食い下がる。
「綾には行かないって断ったから」
「勉強はしなくてはいいの?」
「ん」
「それは勉強出来る人の嫌味?」
これはあまりいい言葉ではないな、とか思いながらもつい言ってしまった。
「ううん。違うよ春」
「そうだよね」
直はそんな無粋な性格ではない。
相手を思いやる気持ちと、誰かを幸せにする能力は格段に高い自慢の妹だ。
「私は始まらないストーリーよりもね」
「うん」
「始まりそうなストーリーの萌芽に期待しているの」
たしかにあの日以来、幼馴染である綾との距離は急速に縮まった気がする。
まだ妙な間があったりするけど、変に思うことはなくなった。
「始まりそうなストーリーか」
「そう」
「でもさ、直。僕にはその直の表現はわからないよ」
「そんなことない」
と、直は言う。
そして直は気分を変えたかったのか、リモコンをかちゃかちゃといじくる。
適当に朝のエンタメがやっている所でチャンネルを止め、それを見入る。
それから程なくして番組は占い情報になり、さらには最新の天気予報へと変わっていく。
「春、翠さん」
「ほんとだ」
画面に映っているのは綾の姉の翠さん。
泣きぼくろが印象的な美人で、直と僕はよくお世話になった。
「翠さん、休日もやってるんだ」
「ん。やってる」
「直は知ってた?」
「知ってた」
「そっか」
僕はうなずく。
「それよりも春。早く朝ご飯食べよ」
「うん、わかった」
僕は顔を洗い、パジャマから服に着替えた後、食卓に着く。
今日の朝ご飯のメニューは和風だ。
列挙するまでもないけど、ご飯、お味噌汁、ホウレンソウのおひたし、鮭の切り身などが並んでいる。
「いただきます」
「いただきます」
お互いに手を合わせてあいさつをする。
そして腕の変わらない直の料理を黙々と食べていく。
「あのさ、直」
「何?」
海苔のつくだにを取り分けながらも、直が先をうながす。
「この頃、『料理上手くなった?』って僕に聞かないよね」
「ん」
料理は、家事をそつなくこなす直の鬼門だ。
作った料理が食べられないことはないんだけど、なぜか味気ない料理になってしまうという不思議な特性を持っている。
しかし、それなのに直は少し前から交代制だった料理を全て担当しはじめた。
お弁当も直が作ってくれることになり、最近の僕は台所に触れていない。
男子厨房に入らず状態だ。
「で、どうして聞かなくなったの?」
「それはね、春。ある日突然、何の抵抗もなく『上手になったね』って言われるのを待っているの」
「そうなんだ」
「そう。私はきっといきなり上手くなる」
「そういうものかなあ」
僕は首をかしげる。
「見えない成長曲線というのがあるはず」
「へえ」
「そのためにはやっぱり努力は欠かせない」
直は冷蔵庫にかけてあったエプロンのポケットを見る。
そこには『努力』の刺繍が入ったはちまき。
前はフェルトペンの文字だったけど、いつのまにか刺繍に変わっていてびっくりする。
「これを毎日拝んでいる」
「え? どういうこと?」
「こうやって」
直が拝む姿勢を見せてくる。
「方法じゃなくてさ。どうして拝むの?」
「ん。わかんない」
「わかんないってさ」
「んと、なんとなくかな」




