3-4 寄り道(2)
小さい頃、僕達は綾の姉の翠さんにいろんなところへと連れてってもらった。
たとえば、この街の高台や六都科学館といった地元どころ。たとえば、海や山、行楽地といったちょっと遠いところ。
すべては良き思い出なのだが、その中の一つに地元の祭りもある。
今でも毎年夏になると必ずそこへ行く。
去年も三人で夏祭りを楽しんだ。
では、今なぜそのことを思い出したのか。
それは綾が、たこやきを見てこんな発言をしたからだ。
「春、ふーふーして」
そのとき、僕は一度自分の耳を疑った。
そして綾を見て言った。
「綾、それはないって」
「えっ?」
綾は自分が何を言っていたのかわからないという表情。
やがて、自分の無意識の発言に気がついたのか、顔をまっかにする。
「間違えたの」
そしてその後の反論の勢いがすごかった。
「小さいときに春が熱をさましてくれたでしょ。だから、そのなごりの口癖がふいにでちゃったの」
というのは、小さい頃、僕は綾によく熱いものをさまさして食べさせてあげていた。
綾は猫舌で、わがままなお姫様だったので、僕がしょっちゅう手伝っていた。
特にそれが顕著だったのが、夏祭りの時だった。
「なんか文句ある?」
「いや、ないけどさ」
「ふとそういうことってあるでしょ。あるよね?」
「まあ、綾が言うならあるかもね」
僕はおざなりに言う。
「ほら先生に向かって、お母さんっていうようなもの」
「そうかな?」
「そうよ」
綾はそう言うが、話せば話すほどドツボにはまっている気がする。
「ほんっとにもう。さらりとながしてくれたっていいじゃない。春のばか」
「いや、それは無理だよ」
「じゃあ、今度からはさらっと流しなさい」
「はい」
綾が腰に手を当てて命令するので、僕は反射的に返事をする。
しかし、どうしてこうも綾のペースになるのか。
原因は綾の方にあるというのに。
「春」
「何?」
「なんか不満そうだし」
「そんなことないよ」
けど、なんだかもやもやした気持ちだったので、不意を突いて綾のクレープにかぶりつく。
「あっ、春」
すると綾が驚いたように声をあげる。
「ん? 食べ過ぎた?」
「そうじゃなくって」
「え?」
「そこ、私が」
「あ、ごめん。食べようとしていたところ?」
「だからそうじゃなくって、口つけたところ。か、間接キスだぁ」
「え、聞こえないよ綾」
なぜか綾は、ごしょごしょと小声でしゃべっていて聞こえない。
その後、綾は僕が食べた部分を見てにらめっこしたり、顔赤くしたりと大忙し。
そんなに大事な部分だったのだろうか。
とりあえず、僕は謝ることにする。
「ごめん、綾」
「あ、うん」
いまだに顔が赤い幼馴染。
また、最近多くなったあれがやってくる。
綾と僕とのあいだに微妙な空気が流れだすのだ。
しかし、その空気はすぐなくなっていく。
「あ、ネコ」
そう、あのまだらのネコのおかげ。
そして、それまでずっと黙ってぼんやりしていた直がぽつりとつぶやく。
「スケッチする」
「スケッチ?」
「ん」
直は徽章のある胸ポケットからメモ帳を取り出し、クレープを口にくわえながらスケッチを開始する。
「春、見て。直がすごい」
綾の言うとおり、直はものすごい集中力で描いていく。
スピードもさることながら、細部まで綿密にこだわっている。
直の特徴でもある写実的な技巧が存分に出ていた。
「早い、早い」
綾がますます感心する。
「てか、危ないよ」
「ん?」
「クレープ落ちるって直」
「ん。大丈夫」
がぶっとくわえなおす直。
先に食べてしまえばいいのに、と僕は思う。
けど、そう考えているうちに直の手が止まった。
「完成」
「できた?」
「うん」
「じゃあクレープを食べる」
「ん、わかった春」
直がクレープを食べていく。
「やっぱすごいな、直」
綾が感心したように褒め、直は無表情で誇らしげになる。
「私も絵、習おうかな」
「ほんと?」
「ほんとって何よ、春」
「いや、だってさ」
前に一度見たことがある。
綾の壊滅的だった絵を。
「でもね、春。私だって努力すればできるはずよ」
思い出したのは『努力』のはちまき。
「そう、努力」
直も思い出したようで何度も努力を繰り返す。
「それに私は仮にもお嬢様だし、絵くらい人並みに描けないといけないんだから」




