2-21 テイク1
きれいなイチョウ並木を通り、綾とはバス停の前で別れる。
そして僕はいつもの坂を下っていき、東風荘にたどり着く。
「春坊~」
「……」
「春坊ってば~。無視しないでくれ~」
それで家の中に入ろうとしたところで、美咲さんを発見。
まだ夕方にもなっていないのに、酔っぱらっている。
「で、どうしたんですか?」
「私専用の超高級ミネラルウォーターが坂本家にあって、それが飲みたくて」
「いつのまに入れたんですか」
僕は文句を言うが、美咲さんはそれどころじゃない様子。
「そんなふりはいいから早く飲ませてくれ」
そんなことまで言ってくる。
しょうがないので、鍵を開けて家の中に美咲さんを招き入れる。
すると美咲さんはダッシュで冷蔵庫の前に行き、ミネラルウォーターを飲みだす。
ごくごくごく、といい飲みっぷりで、ミネラルウォーターはみるみるうちに無くなっていく。
「ふー生き返った」
美咲さんが一息ついて言う。
「そんで春坊、直っちはどしたの?」
やはり酔っぱらっているのか、声のトーンがいつもより高い。
「直はまだですよ」
「へえ」
「美術部に駆り出されたから帰ってくるのは遅いと思います」
「そうなんだ」
ニヤッと笑う美咲さん。
確信ともいえるくらい嫌な予感が満ちてくる。
「それなら春坊」
言いつつも、つつーっと身体をなぞってくる。
「お姉さんといいことしちゃう?」
生々しくしなだれかかってきて、目と目が合う。
へんな沈黙が生まれて、対応に困惑する。
「み、美咲さん。そんなキャラじゃないでしょう」
「だよなー。あはははは」
今度は豪快に笑う美咲さん。
僕は完璧にもて遊ばれているのに、本人にはあまり美人である自覚がないから困る。
「私に色気ってもんがあれば」
「十分ありましたって」
「ほんとか? うそつけー」
しょうがないので、美咲さんが美人であることを必死に告げる。
「なに真顔でしょうもないこと言ってんだ? 春坊」
「美咲さんが言わせたんでしょう」
「いいやそんなことはないな。オマエの負けだ」
何が負けだか知らないけど、美咲さんはそう言い放つ。
ほんと、何が何だかわからない。
要するに、酔っぱらいの思考回路を読むことなど、そんじょそこらの凡人にはできやしないのだろう。
黙って返事をしていれば、それでいい。
「だから、罰として私が理想とする告白シーンを演じてもらう」
「はい。えっ?」
「あ、今はいって言ったな」
「はい。って、えっ?」
なんだかへんなことになりつつあるのを自覚する。
なのでそれはそれで困る。
いや、プロレスの技なら鳥子さんに教えてもらった秘儀のツボで回避可能か。
僕は頭の中でどうすればいいのか算段する。
けど、美咲さんが目を輝かせているので、結局諦めてやることにした。
「夕日。公園。ブランコ。漕ぐ私。出来る二つの小さな影。オレオレ系な先輩が謝りながらの告白。恥ずかしさを突き放すような感じ。でも、本当に好きだと表現が言葉で入っているように」
「……」
突然で、僕は言葉が出ない。
「どったの? 春坊」
「そのお題はなんですか。わけわかりません」
そう言っても美咲さんはきょとんとした表情。
わからないと言われても、全然懲りていない。
「まあ、いいからさ」
「そんな」
「とにかく、始めようぜ」
僕の肩をぽんぽんと叩く。
そして自分の設定した情景でも思い浮かべているのか、目をつむっている。
「さあ、始めっ!」
「え?」
「始めっ!」
しょうがないので、美咲さんがいた言葉を思い出しながら声色を変えて言ってみる。
「美咲、オレ、オマエのことが好きだせ」
ここまで言って困惑する僕。
言葉が出てこないし、あまりの似合わなさに自分で吹きそうになる。
でも、なんとかこらえて言葉を繋げる。
「オマエさぁ、オレについてこいよ。なぁ、美咲。ついてこないと言わせねぇからな」
もう限界だ。
なんだかよくわからないリミッターが振りきれている。
「お、終わりです。美咲さん」
僕はぜえぜえと息をしながら告げ、美咲さんが目を開ける。
「いいかも、これ」
「そうですか?」
「うん、良かったよ」
あんなのが良かったなんて、到底そうは思えない。
けど、酔っぱらっている美咲さんが満足できたのならめでたしだ。
「よし、今のがテイク1ね」
「え?」
「だから、テイク1」
「そんな」
それは悪魔のささやきだった。
「やらないと暴れるぞー。この部屋を私の家並に汚してやるからな」
子どもみたいに騒ぐ美咲さん。
「あー現実世界に帰してください」
と、僕はこっそりとつぶやく。




