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3-14 美咲の優しさ






 美咲さんをなだめて居酒屋を後にした時には、すでに日付をまたいでいた。

 千鳥足で歩いていた美咲さんを後ろに乗せて、僕は自転車を漕ぐ。


 美咲さんが力を抜いているせいか、行きよりも重さを感じる。

 これは体感的な問題かもしれないが、たしかにそう感じてしまう。


「うあー、夜風が気持ちいい」


「そうですね」


「冬の空気は最高だな」 


 息が白くなるほど寒いものの、空気は澄んでいる。

 お酒を飲んだ後にはちょうどいいのではないか、と僕は推測する。


「春坊」


「何ですか?」


「今日、ボーリング行ったよな」


「はい」


「だけど私はさ、ボーリングでの一番の思い出といえば、大学入試の国語の問題なんだよ」


「え? どういうことですか?」


 と、僕は聞く。


「そこで出た小説の話がいまだに頭の中に残っていてね。あまりのいい話っぷりに泣きそうになったな」


 そして美咲さんは、その小説の内容を語りだす。

 内容はボーリング場を経営している老人の話で、最後はみんなに看取られながら幸せに死んでいくという展開らしい。


 そこのところの描写がとにかく泣かせるものだったという。

 試験に出してはいけないと、何度も思ったのだと。


「だから私は、ボーリングをするたびにいつも思い出すんだ。その悲しく泣ける老人の話を」


「そうですか」


 普段は官能小説ばかり読んでいる美咲さんでも、小説で何かを感じている。

 翻って自分のことに目を向けてみれば、僕には何も効果がない。


 読んでいる恋愛小説はもう終盤に差し掛かっている。

 だいたい毎日三十ページを読んできて、もう数十ページもない。


 なのに、答えを一向に見出せない。

 いや、もしかしたら答えなど出ないのかもしれない。


 答えは探すものではなく、自然と見つかるもの。

 だからこそ、躍起になって探していても仕方がないのだろう。


「あの、美咲さん」


「なんだ? 春坊」


「僕はですね、本を読んでも美咲さんみたいに感じることが出来ないんです」


「そうなのか?」


「はい」


 僕はうなずく。

 すると美咲さんは、後ろから抱きついてくる。


 いつものように乱暴な感じではなく、人の温かみを感じさせる抱きつき方。

 おもわずゆだねてしまいたくなるような感じだった。


「あの、美咲さん?」


 僕は不思議に思って聞く。

 自転車も止める。


「どうしたんですか?」


「どうもしないよ」


「そうですか」


「それよりもさっきの春坊の言うことだけど、私は仕方がないと思うね」


 姉のような優しい声。

 僕はその優しさにほだされていく。


「まったくもって何も問題ないな。感じなかったら感じない。それでいいじゃないか。第一そんなことで悩んでいけない」


 聞くまでもなく、予想通りの答えが返ってきた。

 美咲さんの言うことは単純明快でわかりやすい。

 行動理念もシンプルだからこそなせるのではないか。


「春坊」


「はい」


「大切なのは何かを感じるかだけではないよ。何も感じないことも大切。そしてそれよっりももっと大切なのは、そんな自分を受け入れること」


 美咲さんが僕を諭してくる。

 たしかに美咲さんの言う通りだ。

 何も感じないからといって、それ自体を否定するのはよくないのかもしれない。


「それでも受け入れるですね」


「そうだ、そうだ。鳥子の言葉を借りればな、日々は流転していくし、人間万事塞翁が馬なんだから、そんなことを気にしている場合じゃない」


 美咲さんがしたり顔で言う。

 なので僕は、指摘したくなってくる。


「あの、美咲さん」


「ん?」


「意味わかって言ってますか?」


「うるさい。ここはかっこよく決めさせるとこだろ」


 抱きつきながら、背中をバシバシと叩いてくる。

 僕はそのくすぐったさを心地よく感じながら、自転車を進めていく。






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