1-9 銭湯(3)
二人に断わり、僕は外に出る。
外の空気はひんやりとしていて、心地よい。
「もしもし」
『もしもしっ』
予想通り綾の声。
普段よりも音量が高く、決意に満ちた声だ。
なぜかいつもと違って聞こえる。
「どうしたの? どんな用?」
『春、用がなければ私は電話しちゃいけないわけ』
そんな返事を聞いて、僕はしくじったなあと思う。
もう少し適切な言い方があったはずだ。
「そんなことないけどさ」
『そう。まぁ、用はあるんだけどね。でも、癪にさわるじゃないの』
なぜか綾はご機嫌斜めである。
これは、綾がわがままを発揮する予兆かもしれない。
「それはごめん」
『謝られても困る』
「じゃあそれもごめん」
『だからそれ』
「あ」
迂闊にも繰り返してしまう。
こういうふうに、あの文化祭デートの帰り以来、会話にも調子が出ない。
『あのさ、春。この前、絵里ちゃんと文化祭デートしたでしょ』
「え?」
思っていたことの核心を突かれる。
『まぁ、別に私はなんとも思っていないんだけどね。ただ、絵里ちゃんに発破みたいなのかけられたりして大変だったんだから』
綾は早口で言い訳するように言う。
「そっか」
けど、あれは秘密のデートだった気がする。
その辺はどうなっているのだろうか。
『春。それでね、私が言いたいのは女の子にうつつなんか抜かしていちゃだめだってこと』
「いや、別にうつつは抜かしていないと思うよ」
『ほんと?」
「うん。そう思うけど」
『そう。それだったらいいけど』
とは言うが、どうにも納得がいかないニュアンスである。
むにゃむにゃとしたと感じなのが、手に取るように伝わってくる。
ただ、それがどうしてなのか。
僕にはわからない。
『そ、それよりも春』
綾が強引に話を変えてくる。
「何?」
『私と春がやっている秘密の遊戯のことなんだけど』
「綾、またしたくなったの? その時は、綾の心の欲するままにすればいいって言ったはずだけど」
『ううん』
綾は明確に否定する。
『そうじゃなくてね、春。秘密の遊戯でも真由のことだから』
「あ、そうだった」
僕はそのことを思い返す。
最近のイベントのせいですっかり頭から消え去っていたけど、依然として問題は継続中なのだ。
小平さんは男装した直に一目ぼれして、僕に会わせるように懇願している。対して綾は、小平さんを騙さなければならないのが苦痛であって、なかなか相対せない。そもそも、僕が隣で女装していないと安心できないという事情すらある。
つまり、困難極まりない状況。
そして、具体的な解決策は一つしかない。
それは綾が決心をつけて小平さんに断わりを入れること。
それしかないのだ。
『で、今週の日曜日に暇が出来たから、その時に断わろうと思う』
これは少し前、屋上で相談して出した結論だ。
綾は、あれから曜日を調整していたに違いない。
『後、春。この前の約束覚えてる?』
「え?」
『約束』
「えっと、なんだったっけ?」
僕はわからないので聞いてみる。
すると綾は、すんなり教えてくれた。
『春の家でさ、勉強会の続きをする約束のこと』
「あ、そうだったね」
『私、それを機会にしようと思うの。だから春、家に小平さんを呼べる?』
「あー、もちろん問題ないと思うよ」
『そう。それは良かった。ありがと』
素直な幼馴染のお礼。
それが心に響く。
『それでさ、後一つ。断わり方の相談してほしいから、明日屋上に来てほしいんだけど』
「うん。それくらいならいいよ」
『迷惑料としてお弁当作っていくから』
「え? 大変だからいいよ」
『いいのっ。それとも私の作ったお弁当が食べられないの?』
「いや、そんなことはないから」
『だったら食べてよね』
「うん」
僕はうなずく。
それから綾と僕は、少しだけ会話して電話を切る。
とりあえず直には、明日の弁当はいらないと言わなくてはいけない。




