第九十九話*《十日目》見境のないBAN
私は今、真っ黒な世界にいた。
ここがどこなのか、そしてなんでこんなところにいるのか、私にはまったく分からない。
「ここはどこ?」
声は響くことなく、暗闇に吸い込まれていった。
右を見ても、左を見ても、前を向いても真っ暗闇。
そもそも、なんで私はこんなところにいるの?
……………………。
そうだ!
私、ミルムにBAN? された?
むむむ?
システムに保護されてBANできないと聞いていたけど、AIを切り離したからその保護もなくなったということ?
え? ということは私、もうフィニメモできないのっ? 酷すぎないっ?
私の件もだけど、私がミルムにBANされる前の状況を改めて思い出してみると、フレンドリストから名前が消えていた、ということを鑑みて、BANされたのは私だけではなさそうなのよね。
もしかしなくても、ミルムはプレイヤーを見境なくBANしまくっていたっ?
それってどうなの?
運営最大のやらかし案件?
それはともかく。
いえ、重要なことではあるのだけど、今の私はそれよりも気になることがある。
この真っ暗な空間はどこなのかということだ。
ミルムの昏い瞳を最後に、視界が真っ暗になって、気がついたら真っ暗なここにいた。
光源がなにもないからなのか、それともここにはなにもないからなのか。
暗くて、ひとり。
淋しいし、とても寒い。
ここには──麻人さんの温もりが、ない。
そう気がついた途端。
辛くて、悲しくて。
涙があふれた。
私の周りには、常に人がいる。
楓真が一人暮らしを始めるまでは、つかず離れずそばにいてくれた。
今は父と母が適度な距離を保って見守ってくれている。
そして──……。
最初の出会いはキースとしてだけど、いつの間にかかけがえのない人になった、麻人さん。
ここには、麻人さんの気配がない。
そう気がついただけで涙が溢れてくるし、どうやって息をしていたのか分からなくなるほど、いないというだけで混乱している。
出逢ってそれほど経っていないのに、こんなにも依存しているなんて、思ってもいなかった。
まさかこの空間は、私に麻人さんを求めさせるように作られたとか?
いや、さすがにそれはないか。
それにしても、ここは本当にどこなのだろう。
そんなことを思っていると、ふっ、と音もなくどこかで見たことのあるひしゃく……もとい、昔のアイロンこと火のしが現れた。
これが現れたということは、私はまだ、フィニメモ内のどこかにいるのだろうか?
「違うよ」
火のしから声が聞こえたような気がしたけど、いやいや、いくらフィニメモでも無機物がしゃべる……。
「わけがあるんだな、これが」
「って? 昔のアイロンがしゃべるっ?」
「わたしはアイロンであって、シャベルではない」
微妙にかみ合わない会話だけど、でもここにはツッコミ役がいないため、ボケとボケのまま、会話が進む。
「じゃあ、アイロンだから、イロンね!」
「またおまえ、むやみやたらと名づけるな!」
「アイちゃんがよかった?」
「そんな『私』だか『目』だかわからない名前は好かん」
「イロよりイロンのが、なんか強そうだし!」
「……そういうことにしておこう」
昔のアイロン改め、イロンはまだブツブツ言っていたけど、ため息を吐くと私を見た。
「それでだ」
「あいにゃ!」
「どうしてここにいる?」
「どうして、と言われましても」
私はイロンにここに来ることになったと思われる出来事を語った。
「なるほど、それで急におまえの懐からこんなところに放り出されたのか」
「それで、私たちはなんでこんなところにいるの?」
「さあな?」
「分からないとは、情けないにゃあ」
猫はどうやら私と一緒にここに移動してきているようだ。
「我が持ち主ながら、腹の立つ言動」
「文句は私にのし掛かっている猫さんたちに言ってほしいにゃあ」
猫さんはやたらと攻撃的。
「猫さんたちはやたらに攻撃的なのは置いといて」
「おい、飼い主。きちんとしつけをしろ」
「私は飼っているつもりはないから、無理じゃないかな」
「……気にしていたら負けだな」
「そういうことっ☆」
「…………。とりあえず、だ」
「あいにゃ」
「わたしを手に取って、元の世界に戻れるように念じろ」
「それでいいの?」
「それでいい。早くしないと、あの藍色の髪のにーちゃんが世界を壊すぞ」
「キースさんがっ?」
「そうそう、キースとか言ったか。あやつはしかし、何者なんだ?」
「何者と言われましても。座敷わらし的な?」
「……ふむ。強くイメージしたものが具現化しやすいのか」
「そうなの?」
「それならば、リィナリティ、おぬしに惹かれるのも必然」
「?」
「それはともかく、早く戻ろう」
「あいにゃ!」
イロンを手にすると、昔から使い慣れた道具のように感じるのだから、とても不思議だ。手にしっくりと馴染む。
「そういえば、アネモネにわたしをよくも押し付けてくれたな」
「あー……、ソンナコトモアリマシタネー」
思わず棒読みで返したけど、まさか文句を言われるとは思わなかった!
「今後、生き物にアイロンをかけるのは止めてほしい」
「りょーかいっ!」
「それでは、戻ろう」
イロンを手にして、元の世界──この場合は現実世界──へ戻れと念じた。
「イロン、また後で、ディシュ・ガウデーレで会いましょう!」
「分かったにゃあ」
「ふふっ、猫さんはイロンにも移ったのね」
「こ、これが猫さんの力……! って、分かるかーっ!」
「イロン、いいね、ノリがよくて」
「くっ……」
「とにかく、またね」
「あぁ」
私たちはそれだけ約束して、目を閉じた。
◇
うん、予想どおりだった!
熱っ苦しいほど強く身体を抱きしめられ、さらには唇に柔らかな感触。
そっと目を開けると、麻人さんの顔があった。
閉じた目を縁取るまつげは長くて、心なしか濡れている。もしかして、泣いてた?
私はゆっくりと腕をあげて、麻人さんの髪の毛に触れた。思ったよりも柔らかな髪の毛に、ドキリとした。
「……り、な?」
「あいにゃ! ただいま!」
「莉那っ!」
麻人さんは痛いくらい私の身体をぎゅうぎゅうと抱きしめてきた。
「麻人さん、痛い」
「……あぁ、すまない。なにをしても起きないから、つい」
「王子さまのキスで目が覚めたんだよ、きっと」
「王子ってガラではないが。莉那は姫ってより女神だしな」
「そ、それ、楓真だけで!」
「なんでだっ! 莉那はオレにとって伴侶であり、女神でもある!」
「あのぉ、その、それ」
「それ、とは? どれだ?」
「伴侶ってヤツ。半分虜囚のハンリョ、ではない、ですよ……ね?」
「当たり前だろう。だれがそんなことを言った?」
「えと、まぁ。私は座敷わらしの生贄らしいので……」
私の一言に、麻人さんは呆れた表情を浮かべた。
「そもそもが座敷わらしと言い始めたのはだれだ?」
「え……と? さぁ?」
「前にも言ったが、オレたちにはそんな力はない。単に見極める目を持っていただけだ」
「とはいっても、上総さん」
「上総は……まぁ、あれもどうなのか分からんな」
「え、でも」
「そもそも、この世に本当に神はいるのか?」
「さぁ?」
「神というのは概念で、なにかの拍子に未来が見えただけではないか」
「その、未来を見る、というのは出来ません!」
「オレも無理だ」
「それなら!」
「未来というのは、今、の先だ」
「……はい」
「今を通して、ふとしたときに視えたのを、神が降りた、と表現しているのだと、オレは勝手に解釈している」
麻人さんの言っていることはまったく分からなかった。
だってそもそも、そんなものは見えるものではないのだ。
時間は一方通行で、道を歩いていて、目的地が見えるような感覚で先が見えるようなものではない。通過することで存在したもの、として認識するのだから。
そう、私たちは通過しなければあることが分からない。
「未来は常に盲点に存在しているのではないかと」
「その盲点を外せる人が未来を視ることが出来ると?」
「……となると、未来は常にそこにある、ということになるのか」
麻人さんはなにやらブツブツと言っていたけど、最後は頭を振った。
「分からんな」
「ま、まあ、存在していても、これから作られるとしても、私たちは生きている限り、未来がやってくるのですよ」
「そうだな」
いつもながら、話が脱線しまくる。
「それで、莉那?」
「な、なんですか?」
「オレと結婚しろ」
「なんでいきなり命令口調なんですかっ?」
「オレがしたいからだ」
そう言って、麻人さんは私に手のひらを向けた。
広げられた手はとても大きくて、自然と両手を乗せていた。
「莉那?」
「あ……れ?」
手を乗せた瞬間、両目から涙があふれでた。
悲しいわけではない。辛いわけでもなく。
「その。うれしい……の、かも」
私の一言に、麻人さんは顔を真っ赤にした。




