第八十七話*《九日目》だけど、メンテ中
朝、起きたら、麻人さんが上から私の顔を覗き込んでいた。
「うにゃあ!」
「おはよう、オレの大好きな莉那」
「麻人さん、寝ぼけてますね」
「自分でもびっくりするほど、覚醒している」
……麻人さんが起きていようが寝ぼけていようがどちらでもよいのですが、スッピンなのですよ! しかも寝起き!
「年頃女性のスッピンの寝起き顔をそんなに覗き込まないでくれませんか」
「……こう言ってはなんだが、莉那はスッピンでもかわいいな」
「そ、そうですか」
なんだろう、うれしくない。
イケメンに見た目を褒められても嬉しくない!
「朝ごはん、食べてから戻りますか?」
「今日は休む」
「にゃ?」
「有給を消化しなければならないからな」
となると?
「莉那も休め」
「ってなりますよねぇ」
あれ? 麻人さんが辞めるということは、私は元の部署に戻ることになるの?
「あの、麻人さん」
「なんだ?」
「私、元の部署に戻れます?」
「その話は週明けだ」
と先送りに。
階下に降りて、朝ごはんを食べた。
ご飯を食べながら、今日の予定を立てる。
「麻人さん」
「なんだ?」
「今日、急にお休みにしても大丈夫なんですか?」
「昨日、内示を聞かされてすぐに抱えている仕事は手放したから問題ない」
なんというか、抗うことをしないんだ。
「言われたこと、素直に受け入れるのですね」
「オレのことを要らないというのなら、出て行く。別に未練はない」
「麻人さんのこと、その……。い、いえ、なんでもないです!」
おっと、危ない。
私には麻人さんが必要ですって、愛の告白をするところだった!
「莉那? なにを言いかけた?」
「わ、私が麻人さんのこと、必要ないって言ったらどうするんですか?」
「オレには必要だから、莉那が必要だと言うまで粘る」
思わず真逆のことを聞いてしまったけど、その一言にホッとすると同時に、戸惑いが生まれた。
麻人さんはどうして私に執着するのだろうか、と。
「どうして」
「そもそもが楓真に惹かれたところから始まってるんだろうな」
ま、まさか「尊い」回は麻人さんに原因がっ?
「なぁ、陸松。人間ってのは、身体に流れている血に支配されていると思わないか?」
「血、ですか?」
「血……血液が身体中をめぐり、それぞれの臓器に必要な栄養素を運んでいる。一部でもこの循環が止まると、そこは壊死してしまう」
「そう、ですね」
「脳も例外ではなく、ここも血液によって運ばれたものを元に、身体全体に信号を送る。──オレが莉那を見て、狂おしいほど愛おしく思うのは、脳がそう感じるように血に因って思わされているのではないか、と。最近、思うようになった」
麻人さんが言いたいことはなんとなく分かるけれど、同意はしかねる!
「そうだとすると、たとえば輸血をされると」
「性格が変わったという話を聞いたことがないか?」
不思議な話として、聞いたことはある。だけどそれは輸血されなくてはいけないほどの経験をしたことで変わったのだと思っていたのだけど。
麻人さんが言うように、人間は血によって支配されているというのなら、他人の血が入り込むことで性格が変わるというのは充分にあり得る、ということだ。
「人が子を作るというのは、この血を未来へつないでいく行為だと思わないか?」
「そうかもしれません」
ということで、と麻人さんは妙に色気のある視線を向けてきた。
え、な、なんですかっ?
「莉那、オレと結婚してくれ」
「……………………」
今までの話はその前段階だったと?
「……考えておきます」
「少しだけステップアップしているな」
前向きだな!
「さて。フィニメモはまだメンテ中。そしてオレと莉那は休みになった。となると、だ」
「な、なにをするつもりですか」
「デートしないか」
「……はいっ?」
麻人さんって自由に外を出歩けるの?
あ、別に縛られてるわけではないから可能なのか。
ただ、それをするには周りがうざったいってだけ?
「具体的になにをするのですか?」
「遊園地に行ったり、映画を観に行ったり、買い物に行ったりだが」
麻人さんとそれらをしているのを想像してみる。
……なんでだろう、まったく想像ができないのですが!
「海外には行けないが、日本国内なら問題ないぞ。行きたいところがあったら教えてくれないか」
「えっ? 海外に行けない?」
「そうだ。オレは試したことがないが、親父が一度、海外に行くことになってな。まず、パスポートの発行で問題が起こり、ようやく出来ても今度はなぜか空が荒れて飛行機が飛ばない。天候が良くなったら、今度は親父が体調を崩して、海外に行く話がなくなると、その途端に治ったらしい」
「ふ、不思議ですね」
な、なんだろう。
リアルなのに現実っぽくないというか。
「ただの偶然が重なっただけなのだろうが、こうまで重なるとそうとしか思えなくなる。
オレは日本が好きだし、海外に行きたいとは思わないから、試すつもりはない」
真相は分からないけど、断言できることがある。
「私も海外に行ったこと、ありません! 麻人さんが行けないのなら、私は別に行きたいとは思わないの、……で」
って! ヤバい! なんか思いっきり踏み抜いたっ!
「ほう? 莉那?」
「な、なんですかにゃあ」
「結婚指輪を買いに行くか」
「な、なんでそうなるにゃあ!」
猫さん! 煽らないでぇ。
「荷物もうちに運び込むか」
「駄目にゃあ!」
ご飯を食べ終わって今日の予定を決めるはずが脱線している。
「あら、莉那ちゃんは麻人くんのおうちに住むことにしたの?」
「母、どこをとったらそう聞こえるの」
「莉那ちゃんがなにを嫌がっているのか分からないわ。しばらく依里さんのおうちに住んでいたけど、快適だったわよ?」
え? なんで母、麻人さんの父のところに?
……あ、これ、深く追求したらいけないヤツだ。
「なずこさん」
「なにかしら?」
「莉那があなたの手料理が食べられなくなるから嫌だと言っているのですが、もしよろしければ莉那と一緒に」
「あら、ありがたい申し出だけど、事情があって、それはできないの」
「そう、ですか」
うーむ?
事情、ねぇ。
たぶん知らない方が幸せ系だと思うので、スルーしよう。
「それでは、通い婚か……。いや、楓真の部屋が空くはずだから……」
麻人さんはぶつぶつとなにやら計画を練っている。
とにかく!
「麻人さん」
「なんだ」
「お出かけするの、しないの?」
「する」
するとは言ったけど、麻人さんは今まであまり外を出歩くことをしてこなかったという。
一番の理由は麻人さんの家がかなり特殊だというのが大きく、誘拐の危険性が高いからのようだ。
そうでなかったとしても、外に行くことには今まではさほど興味がなかったという。
それから麻人さんは迎えが来たので、一度、家に戻ることに。
「昼頃、また来る」
「はい」
そうして麻人さんは帰っていったのだけど、やはりいなくなるとかなり淋しい。
……強がらずに甘えればよかったのかな?
いつまでも淋しがっているわけにもいかない。
お風呂に入って着替えて出かける準備をしなければ。
◇
それで。
麻人さんは宣言どおりにお昼ご飯時に来て、母の料理を食べてからお出かけとなったのですが。
な、なんで行き先が藍野の本家なのですかっ!
麻人さんのお父さまとは先日お会いして話をしたけど、麻人さんのお兄さんと会ってなかったからとかで、連れて来られた。
案内されたのは、床も壁も天井も真っ白で目に痛い空間。床の絨毯も、窓を覆うレースのカーテンも白く輝いている。
この部屋はお兄さんのお仕事部屋らしい。
四角い部屋の端に、白い椅子に白の装束を着て座っている人物がいた。
どうやらその人こそが麻人さんのお兄さんで、名前は上総さん。歳は二十八歳とのこと。
麻人さんのお兄さんなんだけど、あまり似ていない。上総さんは私たちが部屋を入ってきたことが嬉しいのか、笑顔を浮かべていた。
「わざわざ挨拶に来てくれたんだ。僕は藍野上総。もう一人の妹になるんだね、よろしくね」
「は、初めまして。陸松莉那と申します」
というか、もう一人の妹って、そこ、もう決まったことなんですかっ?
「上総が認めてくれたのなら、莉那との結婚は決定されたようなものだ」
「はいっ?」
「陽茉莉も近々、連れてくるって聞いてるよ」
「楓真とは前に会ってるはずだが」
「あぁ、彼か。前に陽茉莉と一緒にいるのを見かけたな。早いところ引っ付けばいいのにと思っていたけど、やはりそうなったのか」
な、なんだろう、この上総さん。依里さんとは違う方向でなんだか不思議な人なんだけど。
「それと、麻人。会社を辞めさせられたみたいだね」
「……もう知っているのか」
「辞めて正解だよ。この一年のうちにあそこはなくなる。そのせいでしばらくの間、日本経済は大混乱に陥る」
「えっ? な、なくなるって」
「莉那ちゃん、そのままだよ。あなたも早いところ辞めて、麻人とともに藍野になるといい」
上総さんの言っていることはなにも難しい言葉を使われているわけではないのだけど、予期しないことを言われて、理解できない。
「神子の託宣を聞くことになるとはね」
「麻人は知っているから莉那ちゃんを選んだわけではないのか」
「なにを識っているのか分からないが、藍野にとって莉那は重要なんだな?」
「そうだね。僕では駄目だから、麻人に託すよ」
なにを話しているのかさっぱりだ。
それから麻人さんと上総さんはなにかをやり取りして、上総さんのもとから辞した。
私たちが上総さんの部屋を出ると同時に、たくさんの人たちが上総さんの部屋に入っていった。
「これから上総は忙しくなるな」
「そ、そうなの?」
「親父も優秀な神子らしいんだが、上総はもっとはっきりと未来を視ることができるらしくてな」
「……え?」
未来が視える……だと?
「ただ、その未来も今の選択肢を変えることで変わる、とても脆いものらしいけどな」
「だとしたら」
「意図して視ることはできない。その出来事に関してキーとなる人物を視ることで視えると言っていた」
それでも未来を視ることができるのって大変なことではないのだろうか。
「さて、用事は済んだ。莉那、どこか行きたいところはないか?」
麻人さんの問いに、私は……。




