第六十五話*【キース視点】愛しの鉄砲玉
月曜日。
車での通勤なので、いつも早めに出社しているのだが、いつもよりさらに早めに会社へと行った。
会社に着くと、昨日の今日でオレの要望が通ったと言われて、安堵した。
ラウにこちらの現実世界でも莉那を護るように言われたが、当たり前だがクエストも詳細情報もましてや莉那の現在地を表示する地図もない。
いくら技術が進歩したからといっても、ゲームのように自分のパラメータが可視化されているわけでもなく、インベントリなんて便利なものもない。
そういったゲームのような便利なものがほしいと思ったことがないとは言わない。今だってあればいいと思っている。
だが、なければないなりの行動を取ればいい。
なので莉那に見張りをつけることを検討したが、いくら藍野家に金があるといってもオレが自由に使えるのは自分が稼いだ給料だけ。当然といえばそうなのだが、個人の力なんてそんなものだ。
「藍野」の名がなければオレ個人などちっぽけな存在なのだということを改めて認識した。
もう一人の「アオノ」とともに莉那が待つという会議室へと向かった。莉那は激しく緊張した面持ちで待っていた。
入室すると同時に気がつかれるかと思ったのだが、表情に変化はまったくない。
これは気がついていて知らぬそぶりをしているのか、気がついていないのか。
莉那であるという部分を入れて考えると、気がついてない可能性が高い。
いつ気がつかれるか、それを考えたら楽しくなってきた。
しかし、なんだよその『国家版座敷わらし』って。
確かにオレたちの血族は昔からそういった役割を担わされている。だから端的に説明されているのがおかしくて、つい笑ってしまった。
あぁ、やっぱりあのやらかしの女神であるリィナだと実感。
莉那の部署異動は決定ではあったが、名目的に面接じみたこんな茶番をしなければならないとは、なんとも面倒だ。
だが、これで莉那をそばに置けるのなら、問題ない。
ワクワクしすぎて部屋で待っていられなくて台車とともに迎えに行ったのだが、礼は口にするものの「こいつ、気が利かないな」といった表情はリィナではないところか。
いや、そうではないな。「他人」に対する態度、か?
ゲーム内であれば、ひとつやふたつの小言というのは違う気がするが、文句は言われてそうだが、それを口にしないのは線引きされているから、か。
そう思うと、悲しくなってきた。
ゲーム内で気安いやりとりをしていただけに、このギャップは心に痛いな。
移動中も莉那はオレに対してなにかが引っ掛かっているようでたまに不思議そうな顔で見てくるが、本当にこいつ、気がつかない。
ここまで来ると呆れを通り越して感動してしまう。
しかし、話が広がるのは早いな。
いろんな人が様子見に来ているのが見える。まったくもってうんざりする。
おまえら、仕事しろ! と怒鳴りたい。
定時になったので帰ることにした。
ここで莉那と少し揉めたのだが、ようやくオレに気がついた。
このまま気がつかれずにいたら、ゲーム内であんなクエストを振られなかったのだろうか。
今日も結局、莉那に振り回された一日だった。
そんなことさえ愛しいと思えるのだから、まったくもって我ながら呆れる。
洗浄屋の洗い場にひとり残されたオレは、マップを見て、リィナの居場所を現していた赤い点が消えたことにため息を吐いた。
先ほどまで近距離にいたのに、今はいない。
どうやらよほど呆然としていたらしく、クイさんが部屋に入ってきたことに気がつかなかった。
「キース、少し話をしてもいいかい?」
「あ……あぁ」
クイさんは部屋の隅に置かれていた折りたたみの椅子を広げると、座るように指さした。オレが座ったのを確認して、クイさんは口を開いた。
「リィナを不安にさせるようなことをするんじゃないよ」
「不安?」
「リィナのそれは、あんたの気持ちを確認しているのさ」
「そう……だろうな」
オレだって戸惑っている。
言われた莉那はもっと戸惑っているだろう。
だからこのクエストはきっと、お互いが冷静になって改めて考えろということなのだと認識している。
「あたしらはデータ、もっと端的にいえば、情報の塊さ」
「情報の、塊……」
「今まで蓄えた言葉、表面的な感情。それらが組み合わさったとき、人間はなにを感じ、なにを考えているのか。それらを分析して、それっぽく見せているだけなのさ」
「でも、まったく不自然さはないぞ」
「そうだろうね。そう見せないためにも取り繕っているのだから。ははっ、データが取り繕うってまるで人間に成り代わろうとしてるみたいだ」
クイさんは笑っているけど、オレはまったく笑えない。
ここまで人間の心の動きをトレースして、不自然さを感じさせない。情報の塊と言ったが、人間も結局は同じだが、そこに「生身」の身体があるだけだ。
近い未来に人間の好みを把握したAIによって恋愛感情までをもコントロールされて人間が滅ぼされても不思議はない。
「こういうと怒るかもしれないけど、あんたたちはあたしらにとっていいデータなのさ」
「それらをひっくるめて『オレのせい』なのか?」
「そうとも言えるし、違うとも言える」
「楓真と陽茉莉ではダメなんだろう?」
「あの二人も興味深いけど、システムが介入してまでではないね」
こういう話をしていると、フィニメモはAIによって作らされたとしか思えない。
「この世界だけではないさ」
オレの考えを読むようなタイミングでクイさんはそう口にした。
「いろんなパターンを想定して、そして、ゲームという特殊性、特異性を取り入れて、情報を集めているのさ」
「……そんなこと、オレに話していいのか?」
「あぁ。あんたなら、問題ない。むしろ、あんたはどちらかというと我々側だと思っているけど?」
「そうだな」
オレたち血族も、生かされている立場だ。必要ないと判断されたら、あっという間に終わる。
「その点、リィナは不思議だね」
「…………?」
「あたしらにかなり近いのに、遠いんだ」
「意味が分からないんだが」
「そうだねぇ。なんと説明すれば分かりやすいのか。ウーヌスも言っていたと思うけど、あの子はとてもシステムとの親和性が高いんだよ」
「……すでにそこの時点で分からないのだが」
「システムがリィナのことを気に入った、といえば分かりやすいかい?」
「なにっ?」
「まったく、あんたはリィナが絡むと駄目になるね」
NPCがライバルどころの話ではないのか。
「とにかく、ここではあんたの味方ははるかに少ないってことだ」
「そこは問題ない。リィナをこちらサイドに引き込めばいいだけだ」
「そりゃそうだが、今はできてないじゃないかい」
「そのための試練と思えば、苦にはならないな」
莉那を手中におさめ、世界も……。
いや、世界はどうだっていい。そんなもの、おまけだ。他にほしいというヤツがいれば、莉那は渡せないが、世界は渡せる。
まぁ、世界をどうこうするのはオレではなく、世界自身なんだが。
「リィナさえいれば、他は要らない」
「欲張りなんだか、無欲なんだか」
「欲張りさ」
クイさんはずっと呆れたような表情をしているが、やはりこれは呆れるようなことなのだろうか。
「あたしらはどちらに転んでも問題ないさ。だからキースが思うようにすればいい」
「あぁ」
「それとだけど、リィナにはドゥオをつけているからね」
「おまっ! それ、早く言えよっ!」
「つけたのはあたしらがリィナの動きを知るためさ。だけどあんたには教えない」
「そりゃあそうしないといけないのは分かるが。……よりによってドゥオか」
「なにか問題でもあるのかい?」
「トレース、ウーヌスではないからいいが、あいつもなぁ」
だからといって、クイさんはここがあるから離れられないだろうし、オルとラウは問題外だろう。
「最適なのはドゥオのみか」
「そうなるねぇ」
クイさんと話している間にリィナが設けた十分はとっくに過ぎていたけど、今日は追いかけるのは止めよう。悠長な話かもしれないが、準備が必要だ。
「追わないのかい?」
「準備をしてからにする」
「そうだね、それがいい。リィナはなんの準備もしないで飛び出したけど、ドゥオがついてるからどうにかなるだろう」
「あいつは鉄砲玉かよ」
まったくもって、困った奴だ。
オレがさらに惹かれているなんて、思いもしないだろうな。




