第三十六話*《三日目》キュウリのみじん切りっ?
フィニメモにログインした。
台所におもむくと、すでにキースはログインしていて、クイさんになにかを教えてもらっていた。
クイさんだけを見ていたら料理をしているのかなと思えるのだけど、キースを見ると、眉間にしわを寄せてまるで親の敵に遭ったかのような表情でなにかを睨みつけていた。
「あのぉ」
「おや、戻ったかい? ゆっくりできた?」
「……そ、それなりに?」
父の相手をしたのと、父からもたらされた話を思い出して、ゲンナリした。
……リアルの話は置いといて、と。
「で、キースさんは今からなにをしようとしてるの?」
「包丁の練習をするのにキュウリの輪切りがちょうどいいと思って教えたのだけど」
そしてクイさんは片眉を上げてキースを見た。
「キュウリはリィナを弄んだから叩き斬った後にみじん切りにしてやると息巻いててね」
「あぁ……」
この人、まだ引きずってたんだ。
当の本人はすっかり忘れてたのに。
「キュウリをみじん切りって山形名物のだしでも作る気ですか?」
「なんだそれは?」
キースはキュウリから少しだけ私に視線を向けてきた。
やはり知らないのか。
「茄子やキュウリといった夏野菜とショウガ、ミョウガなどの香味野菜を粗めのみじん切りにして、それらを混ぜてしょう油などで味付けしたものです」
「ほう? そんな食べ物があるのか。食べてみたいな」
「でも、いまここにあるのはキュウリだけですよね? クイさん、しょう油ってあるの?」
「それがなにか分からないけど、ないねぇ」
出たっ! ファンタジー世界ではしょう油がない問題っ!
で、大抵は大豆発見っ! これでしょう油と味噌もっ! となるんだけど、そこでどうして納豆、豆腐、豆乳、湯葉、おからが出てこないのか。
……まぁ、なんというか、華がないから?
でも、味噌があるのなら豆腐のお味噌汁が欲しいのですよ。
そこはともかく。
「クイさん、大豆はないの?」
「あるけど、ここらでは入手が難しいよ」
なんと、既出だった!
あとは食に貪欲なプレイヤーが涙ぐましい努力をして、しょう油と味噌を造ってくれ!
私はおこぼれを預かるだけだ!
「となると」
うーん、キュウリのみじん切りねぇ……。
「なにを心配している?」
「ん? キースさんがキュウリをみじん切りにした後の美味しい食べ方」
「…………。なんというか、オレが間違ってましたっ!」
そう言うと、キースは私に頭を下げてきた。
え? なんで?
「だって包丁の使い方」
「この子は分かってないねぇ」
え、なんでクイさん、そんな呆れた顔を向けてくるの?
「クイさん、大人しく輪切りにする」
「それがいいかもね」
なんか良く分かんないけど、当初の輪切りにするらしい。
……まっ、いっか。
キースはやっぱり親の敵に遭ったかのような顔のまま、キュウリに向き合った。
さっきからキースの表情を親の敵にと表現しているけど、具体的にはどんな表情よ? って感じだけど、眉間に激しくしわを寄せて、視線だけで殺されそうなといえばいいのだろうか。
しかし、キュウリ相手にそんな険しい顔をしなくても。
本当にキュウリに親を殺されたのかしら?
「キースさん、つかぬことをおうかがいしますが」
「なんだ」
「キュウリに親を殺されたりしたの?」
「……は? なんでそうなる」
「いやぁ、そんな表情をしてるからとしか」
キースは心外だと言わんばかりに私を見てきたけど、
「ほら、その眉間のしわ」
「…………」
「あと、視線で人を殺しそうなところとか」
私の指摘にキースは段々と呆れた顔になってきた。
「……本当にオレが間違っているようだな」
呆れたいのはこちらなんですけど。
「さっきもそんなに力むなって言われてたのに」
「そうだったな」
そう指摘すれば、ようやく表情が和らいで、苦笑していた。
いや、だからですねっ!
いい男の親の敵な表情からの苦笑って、破壊力が……!
……ま、まぁ、普通なら親の敵にそんな表情なんてしないから、なんていえばいいの? ギャップ?
そうそう、ギャップ萌え。
べ、別に私がキースに萌えてるわけではないからねっ!
こほん。
キースはようやく普段と変わらない表情で包丁を握った。
……まではよかったのだけど、この後におよんでキュウリが棘をシャキーンッとやったもんだから……。
「てめぇ、やっぱりみじん切りにしてやるっ!」
これである。
キュウリって、もいできても元気なのね。
◇
キースは散々キュウリに弄ばれていたけど、予定どおり、無事に輪切りにすることができた。
「思っていたより時間はかかったけど、最初にしてはなかなかいい輪切りじゃないかい?」
たかが輪切りなのだけど、クイさんってほんと、人を乗せるのが上手というか。なんだかものすごい偉業を遂げた気にしてくれる。
NPC、怖い。
「次はキュウリの塩もみをしておこうか」
塩はあるのね。
ということは、どこかに海エリアがあるってこと?
あ、でも、塩は海からだけではないけど、えっと、岩塩も結局のところ、昔、海だったところがなんらかの原因で陸地になって……だった?
それではやはり海が存在しているということだから、そのうち海に遭遇する、と。
そのくらいの気持ちでいればいいわよね。
「キース、棚の上にあるザルを取ってくれないかい?」
「棚の上? ……これか?」
「そうそう、それ。ありがとね」
なんて会話をしていたのだけど、違和感が。
「ねぇ、クイさん」
「なんだい?」
「どうしてそんな高い場所にザルを置いてるの?」
「あぁ、これね。ちょっと前までは流しの下に置いていたんだけどね、ある日を境に流しの下がどこか別の場所に繋がってしまったらしくて」
「え?」
「なんだって?」
私とキースは同時に声をあげたのだけど、これ、やはりフィニメモ内でもおかしな現象なのね。
「二人とも、洗浄屋内の普段は閉じている扉を開けるときは気をつけるんだよ。たまにとんでもないところに繋がってるからね」
「……はい」
「それはいつからだ?」
「そうだねぇ、いつからだったかは思い出せないけど、この二・三日の話ではないのは確かだよ」
よし、これは私やらかし案件ではなさそうだ。
正式サービスが始まってから三日目だけど、知らないうちに私はいろいろとやらかしてしまったみたいだからね。ついつい疑心暗鬼というか、またやっちまったっ? みたいな気持ちになってしまう。
違うのなら、私はセーフ!
「リィナ、気をつけろよ」
「え、なんで私?」
「おまえは絶対にやらかすからだ」
「心外よっ! 別の場所に繋がってるのは私のせいでは!」
「ないかもだが、絶対にいつかどこかに行くと断言できる!」
「ひどいっ!」
「キースの言うとおりだね。リィナ、気をつけるんだよ」
「クイさんまでっ!」
というか、それ、旗を立てているというか、分岐点をどこかに作って私に踏み抜けって言ってるようなものだよね?
いや、むしろ二人して布石を打ってきてるとしか思えない。
「私がやらかすようにしてない? むしろ、誘導してるよね?」
「そ、そんなことは……」
クイさん、視線が泳いでますよ?
「言っても言わなくてもやらかすヤツだ」
「そんなこと」
「ま、やらかしてどこかに行っても、オレが迎えに行ってやる」
キースのこの言葉、私はどう受け取ればいいのだろうか。
「マップ表示がされる場所ならば、どこにいるかオレには分かるからな」
「そ、そうでしたね」
キースが言うとおりなんだけど、普通であれば面倒だよね。
しかも簡単にたどり着く場所であればいいけど、そうとは限らないし。
……いやいや、私もやらかす前提で考えていたら駄目よね。
「ま、そういうわけで置く場所に困ってあそこになってるのさ」
それにしても、なんで別の場所に繋がるようになったのだろうね。
「……あれ? ところでなんで流しの下が別の場所に繋がるって分かったの?」
「あぁ、それはトレースが」
「うわぁぁぁっ! 言うなっ! それは言うなぁっ!」
いきなり現れたトレースにもびっくりだけど、トレースだってやらかしてるじゃないの!
「やらかすのは私だけではなかったのね」
「仲間にするなっ! 俺のは事故だっ!」
とにかく、洗浄屋にはやらかし属性の人たちが集まってる、と。
「やらかし犯が多いのか」
「キースさんも含まれてるからねっ!」




