第百九十四話*気が休まれない現状
ログアウトしてすぐに麻人さんと夜の部はフィニメモにログインしないでおこうという話になった。
となると、いつもよりゆっくり夕飯が食べられるね、なんて話をしていたら、上総さんから呼び出された。
ふたりでぐだぐたしておく予定だったのでまったく気乗りしなかったのだけど、現実優先というのもあったのだけど、お仕事の件で話があると言われれば、行くしかない。
いつもの上総さんのお仕事部屋に行くと、その奥にある部屋に通された。
「陽茉莉ちゃんと楓真?」
「よっ、久しぶり」
「お久しぶりです」
私と麻人さんが室内に入ると、艶やかだけど若干の不機嫌さが見える陽茉莉と気持ちやつれているような楓真、そして心春さんがいた。
三人は立ち上がって私たちに会釈してきたので、私も同じように返した。
「呼んだのは他でもない、麻人と莉那ちゃんに前からお願いすると言っていた、藍野家の諸々のことを正式にお願いしたいという件で、今回は来てもらった」
ということは、きちんとした話し合いがなされるのだろう。安心した。
「今、藍野家のことを取りまとめているのは、実は父なんだ」
依里さんが?
「本来は僕の役割なんだけど出来ていなくてね。だけど、いつまでも父に頼っているわけにもいかない。……でも、出来る人がいなくて困っていたところ、麻人と莉那ちゃんが会社を辞めたからお願いしようと思っているんだ」
上総さん、辞めたのではなくて、辞めさせられたのだからね!
と心の中でツッコミを入れておく。
「詳しい内容は父に聞いて引き継いでほしいのだけど、心春、陽茉莉、楓真に意義はないか聞いておこうと思って呼んだ」
なるほど?
「先に三人の意思を教えて欲しい」
上総さんの質問に、三人は大きく頷いた。
「お兄さま、問題ございませんわ」
「俺も」
「私も同意します」
ということで、三人からの同意があっさりもらえた。
「それでは、陽茉莉と楓真、帰っていいよ」
「それでは、失礼いたしますわ」
「麻人、莉那、もう少し落ち着いたら改めて連絡を入れる。フィニメモは俺たちのことは気にしないで進めてくれ」
「あぁ、分かった。連絡、待っている」
「あら、楓真さま。わたくしたちがフィニメモをすると、お兄さまのお邪魔ではありませんか?」
陽茉莉がなんだかツンツンになっているぞ!
「そんなことはない。ゲームは気心の知れた人たちとやるのがいい」
お、麻人さんが意外なことを言っているぞ!
「今、ベルム血盟と揉めているから、それが終わった頃にログインしてくればいい」
「あぁ、あそこか……。分かった。それで、莉那!」
「はい?」
「どうして動画を送ってこない!」
「あー……。ソレは、Death、ね」
陽茉莉との関係のお邪魔になるかなぁと思って溜め込んでいるだけなんだけど。
「送っても問題ない?」
ちらりと陽茉莉を見ると、あからさまに不機嫌な表情を浮かべている。
「そこは陽茉莉ちゃんと調整してください……」
「新しい動画が配信できないと、収益を得られないだろうが!」
「そ、そうDeathね……」
「莉那、さりげなく二回も殺すな」
「へへっ」
誤魔化すように笑ったら、なぜか麻人さんが身体ごとギュッと抱きしめてきた。
うはっ! 息が出来ないのですけどっ!
苦しいことを伝えようとしたのだけど、腕ごと抱きしめられているため動けない。声を出そうとしてもボフボフとしか聞こえない。
「麻人、莉那ちゃんが苦しがってるよ」
「……こんなかわいい顔、おまえらには見せられん!」
「それは分かったから、もう少し力を緩めろ」
上総さんのツッコミのおかげで、息が出来るようになった。……助かった。
でも、麻人さんは私を解放してくれなかった。
もうこれ、諦めよう。
「莉那、動画送れよ!」
それだけ言うと、陽茉莉と楓真は部屋を出ていった。
「上総さん、私も仕事に戻ってよろしいですか」
心春さんの質問に、上総さんはなぜか首を横に振った。
「どうしてですか!」
「本来は僕たちの仕事だからね。心春も細かいところはともかく、大まかなところを知っておかなくてはならないよ」
「……分かりました」
渋々といった感じで心春さんは席に座り直した。
「基本は年間を通してルーティンだと聞いている。ルーティンなところは慣れてしまえばそんなに大変ではないようだけど、父から聞いているのは、それらを見直して欲しい、と。無駄があると言っていた」
「ルーティンの内容については聞いておく」
「あぁ。……あとはイレギュラー業務もある。それも加えて父が把握しているものについては引き継ぎ書を見ながら引き継ぎをしてくれる。突発的に発生するものもあるから、分からないことは都度聞いて欲しい」
「大まかなところは分かった。それで、提案なんだが」
「なんだ?」
「引き継ぎ書があるのなら、オレたちが聞いて、心春と上総にフィードバックするでよくないか?」
「そうだな。心春の時間を奪われるのは本位ではないからな」
私が口を挟む隙がないほどサクサク話が決まっていく。
やり取りを見てるだけって眠くなるのよね……。
心春さんを見ると、やはり同じ気持ちでいるのか、若干眠そうな表情でこちらを見ていた。
「さすが兄弟ね、息が合ってる」
「そ、そうですね」
「お話中、割り込み失礼します。麻人さん、少し莉那さんを借りていくわね」
「にゃっ?」
「……少しだけだぞ」
麻人さんは渋々といった感じで腕を緩めてくれた。
「後は麻人と話して調整するから、ふたりは応接室で待っていて。お茶とお菓子を用意している」
「はい、ありがとうございます」
心春さんとともに部屋を出て、応接室というところに案内してもらった。
こちらはあの仕事部屋とは違って、木を贅沢に使った空間になっていた。
はっきりした木目が目立つこの部屋は、なんだかとても落ち着く。
ふかふかのソファに身体を預けて思わず深~いため息が洩れた。
「ふふっ、莉那さんもお疲れね」
「あー……。心春さんに比べたらそれほどでもないかと」
「そうかもしれないけど、四六時中一緒だと疲れるでしょ」
「……あれ?」
「どうしたの?」
「言われて初めて気がつきましたけど、麻人さんといても疲れないです」
「そ、そうなの?」
「はい」
「私は上総さんと一緒だと疲れるわ」
「上総さんは浮世離れしているから、気疲れするというか」
「そう! そうなのよっ!」
心春さんはようやく分かってくれる人がいた! とでも言いたそうな表情をして、私の両手を取って上下に振ってきた。それが結構激しくて、視界が上下にブレる。
しばらく心春さんに成すままになっていたのだけど、ようやく私が目を回していることに気がついてくれた。
「あ、私ったら……」
慌てて手を離して、私の肩に手を掛けて顔を覗き込んできた。
ボンヤリとした視界に麻人さんとは別ベクトルで整ったきれいな顔が間近にあって、余計にクラクラしてきた。
麻人さんは自覚ありでやってきているけど、心春さんは自覚がなさそうだし、同性ということで油断していることもあり、なんだかよく分からないものが洩れ出ているような気がする。
これは上総さんが心配するヤツだ。
「こ、心春さん?」
「はい?」
「顔」
「顔?」
「顔が近すぎですっ!」
「あっ! す、すみません、目が悪かったのでつい癖で」
「目が悪かった?」
「はい。事情があって生活費を自力で稼がなければならなくて、社会人になるまで視力が悪かったのです」
あ、またもや地雷を踏みつけた?
「上総さんは私のことをご存じでしたから補足するだけだったのですけど、莉那さんは知りませんよね」
「……はい」
「うちはシングルマザーで生活保護を受けていました」
「あ……」
「聞いて欲しいので、お話ししてます」
「分かりました」
心春さんが話したのは、だいたいこんな感じだった。
心春さんの母はかなりいいところのお家の一人娘。
とても大切に育てられて世間知らずだった故に、男に騙されて心春さんを妊娠、そして出産。
ここまでは実家にいたみたいなんだけど、男はすでにどこかに消えていて、どこのだれとも分からないとか。
そしてなにを思ったのか、心春さんの母は幼い心春さんを連れて家出。
幸いにもお金はあったから家を借りることは出来たけど、稼ぐことを知らなかったうえにまたもや騙された。
なんやかやあって生活保護を受けられたために今まで生きてこられたという。
「後から知ったのですが、実家が裏でいろいろと手を回していたようです」
「ということは」
「生活保護ってのは、母が知らないだけで実家からお金が出ていたようなのです。そうでなければ私は大学まで行けなかったと思います」
連れ戻すことをしないというところがかなり引っ掛かったけど、よそのおうちの方針に口出ししたっていいことはない。
「遺伝子検査をして、父がどこの人間かまで判明しているみたいです」
「そうなんだ」
「実家は問題ないと判断したみたいで、私は跡継ぎとしてここまで来ました」
「えと? 上総さんと結婚……」
「上総さんはそこまで含んで私と結婚しましたよ」
「な、なるほど?」
「……これは言わないほうがいいのか」
「心春さん?」
「いえ、こちらの独り言です」
なんだか嫌な予感がするけど、スルーしよう、うん。
「大変かと思いますが、おうちのこと、お願いしますね」
「えと? ……はい」
なんというか、心春さんの言葉はなにもかもが意味深なのですけど!
「この話、麻人さんにしてもいいですか?」
「上総さんからされているはずだけど、もししていないようなら莉那さんからお話していただいてもいいですよ」
この間呼ばれたのは、この話もするためだったのかも。
とりあえず、麻人さんに確認しよう。
それにしても、現実もゲームも複雑になってきたような気がしないでもない。




