第百七十六話*《二十三日目》転職のためのルート
仕事に行かなくてよい日々というのはなんと気が楽なのだろう。
生まれてから今まで、休みの日を除いて朝に起きて支度して出掛けるのが当たり前だったけれど、それがないって解放感がすごくある。
とはいえ、なんだか世界から取り残されたような気持ちになるけど、私だけではないってのはかなり大きい。
目を覚ましたら隣にその……好きな人がいる、という日常はとても尊いのかもしれない。
「おはよう、莉那」
「おはようです」
「そこは、おはようにゃ、で」
「……………………」
尊い、とは一体。
あ、尊いのは推しのこと?
私の推しって麻人さんなのでしょうか?
……違うな、うん。
普段であれば、目が覚めたら隣で寝ていたはずの麻人さんはすでにいないのだけど、有休を消化するようになってからは怠惰な朝になっている。
とはいっても、以前より起きる時間が少し遅くなっているだけではある。
いくら休みとは言っても、私も麻人さんもゴロゴロして過ごしたいとは思っていない。
疲れていたらその限りではないけど。
時計を見ると、朝の七時。
なかなかよい時間ではないだろうか。
朝ごはんをゆっくり食べて、美味しいお茶を飲んで、麻人さんと他愛ない話をしていると、あっという間に時間が経っている。
◇
ということで、今日は朝の部はなし。
理由は麻人さんと話をしていたから。
それにしても、麻人さんって実は話し上手だったりする?
……仕事では色んな人の資料作りをしていたみたいだし、話を聞き出すのも上手いし、まとめるのも上手い。足りない情報を引き出すのも上手すぎるし、なるほど、これが藍野なのか……! と思い知らされたというか。
お昼は少し早めに取って、先ほどログインしたところなのですけど。
「……あの、キースさん」
「なんだ」
「何度も言いますけど、これ、止めませんっ?」
「これ、とは?」
「抱きついたままのログアウトとログインDeathよっ!」
「殺すな。……前も言ったが、それは譲れん」
「そのせいで赤の魔術師に部屋を一瞬ですけど乗っ取られたのですよっ?」
「それはもう問題なかろう。NPCも二階へ入るのは許可制にしただろう」
「そうですけどねっ」
「リィナリティさん、諦めが肝心ですよ」
いつもは口を挟んでこないイロンが私の横をふよふよしながら言ってきた。
「なっ、イロンまでキースさんの味方なのっ?」
「いえ、わたしはいつでもリィナリティさんの味方です。だからこそ、この不毛なやり取りで時間を潰すのは馬鹿らしいと進言したいのです」
「ぉ、ぉぅ」
アイロンでしかない火のしに不毛なやり取りと言われるとは。
「イロン、良く分かっているな」
「キースさん、あなたもですよ」
「オレ?」
「いくら好きな相手でも、四六時中、引っ付かれていたら嫌になられても知りませんよ」
「そこは加減している」
「これでっ?」
いやいや、待って?
「加減してこれ、なんですか?」
「そうだが?」
「加減しなかったら?」
「そんなの、決まってるだろう。フィニメモにログインなんて許してない」
「えぇ……」
なんなの、それ。
「陽茉莉と上総がいい例だ」
「いやそれ、いい例ではなくて、悪い例、ですよね?」
「……そうとも言う」
どれだけ独占欲というか、なんといえばいいの?
「まさか」
「朝はふたりきりで色んな話が出来た」
やはりそうかっ!
どうもいつになく饒舌というか、よく話すなと思ったら、そんなところに罠を張っていたとは。
「朝はオレに付き合ってもらったからな、昼はリィナを尊重してのログインだ」
言外に『ありがたく思え』という声が聞こえたような気がしても不思議ではない。
うぅ、どこまでも尊大なのね。
「その自信はどこから来るのですか」
「なにごとも一生懸命にやっていれば、そんなものは後から着いてくる」
さいでっか。
「それで?」
「そろそろニール荒野には飽きてきたのですけど、それ以外の狩り場となると」
「前にチラッと行ったフランマが次の狩り場になるが、ここには転職をしてから行った方がよいと聞いている」
「……転職? 転職っていわゆる上位職になるための定番のアレですよね?」
「そうだ」
ふむ、転職、ね?
「基本的なことを聞いていいですか?」
「おう」
「転職ってどうやればいいのですか!」
「……予想どおりすぎて、全オレが泣いた」
「全オレって、キースさんはひとりしかいないじゃないですか」
「ボケに真顔でツッコミか……」
今のはボケだったのか。
キースの場合、基本はボケや冗談なんて言わないけど、ふとしたタイミングでこんな感じでボケなどを挟んでくる。
なにか良く分からないけど、毎回思うのは『試されている』だ。
「転職するとどうなるかは、さすがに分かるか?」
「はいにゃ」
「いい返事だ」
うぅ、キースの残念度が加速的に上がっている……。
「転職なんだが、フィニメモでは基本、最初に選択できる職は物理武器で戦うファイター系か魔法を使って戦うマジシャン系しか選べない」
「私はマジシャン系を選択しましたよ」
「ほう?」
「物理攻撃はご存じのとおり、当たりませんからね」
「……そうだな」
それでももしかしてファイター系を選んでいたら物理攻撃が当たっていたとか?
……そんな自分の姿は残念ながら想像がつかないけどね!
「転職に関してだが、レベルが三十五以上になると、今までの行動に合わせた職業の一覧がメッセージに表示される」
「…………?」
ここ数日のキースとの狩りでレベルはとっくに三十五を過ぎているけれど、そんなものはシステム画面に出ていない。
「それってシステム画面に出てくるんですよね?」
「そうだな」
「出てないのですけど」
「ぶれないな!」
こういう変則的な状況が当たり前になってきて、想定どおりの動きになったら怖いってなんというか。毒されているとでもいえばいいのだろうか。
「……そもそもがリィナの洗濯屋という職はシステムが勝手に作った職で、しかもユニークだ。だからそもそもが転職という概念がないのかもしれない」
「……あり得ますね。で、オルド、真相は?」
「問い合わせたところ、洗濯屋の上の職というのは存在しているとのことです」
「予想外の答え!」
「ですが、洗濯屋の場合はレベル依存ではない、とのことでした」
「はっきりしたけど、条件は分からない、と」
とそこで、クイさんから言われた言葉を思い出した。
「──人々の心を洗濯して、世界を洗濯して、穢れを祓い、浄化する役目……」
「なんだ、リィナ?」
「うん。キースさん、覚えてない? NPCにAIが戻ってきたときにクイさんに言われた言葉」
「あぁ、言われたな」
「それで、『まずは『心眼』を習得』することだってクイさんが言ってた」
「……なるほど。その言葉がヒントになっている、と」
人と世界を洗濯する、は意味が分からないけど、まずは『心眼』を習得しよう。
「キースさん、『心眼』ってどうやって習得したか覚えていますか?」
「……それが、気がついたらスキル一覧にあったから、分からないんだ」
「ぉ、ぉぅ」
気がついたらあった、か。
「あれ? ということは、最初はなかった?」
「なかったと思うぞ。……そうだ、思い出した」
「にゃ?」
「フーマに言われたんだ。『心眼』というレアスキルは役に立つって」
「フーマか。どこかで情報を入手したんだろうなぁ」
「フーマに聞いたら出現条件を知ってそうなんだが。……あぁ、そうだ」
「んにゃ?」
「ゲーム内掲示板の存在を忘れていた」
「え? そんなものがあったのですか?」
「あったのですよ」
システム画面を呼び出し、掲示板という項目を探すとすぐに見つかった。
中を覗いて見ると、『売ります・買います』『攻略情報』『スキル検証』『モンスターからのドロップ品』『質問コーナー』『血盟員募集・血盟探し』『プレイヤー主催イベント情報』『雑談(ただいま制限中)』と思っていた以上にあった。
「色々ある……」
「あぁ。移動中は暇だからよく見ていたんだが、今は移動時間がないからな」
「移動時間がないっていいのかと思っていましたけど、思わぬデメリットですね」
「デメリットではあるが、今のところ、見ていなかったところで特に困ってない」
困ってないのは、分からないことがあればオルドとアイに聞けばいいからだ、と気がついた。
そりゃあシステムさんとAIなんだから、疑問は即解決だよね。
「あー……。そういえば、ボスとレイドボスのドロップ品を掲示板に掲載してましたよね」
「そうだな、していたな」
まったく気にしてなかったdeathね、はい。
「『心眼』で検索……と。お、何件かヒットしました」
「質問ばかりだな」
「あれ? これって全掲示板の検索結果ですか?」
「掲示板一覧のトップで検索をかけたらそうだな。結果一覧の頭に掲示板名が載ってないか?」
「掲示板名……? あ、ありました。『質問コーナー』ばかりですね」
「中身は見てないが、きっと同じ内容だろう」
「こういう掲示板ではよくある話ですね。同じ質問がないか調べないで書き込んじゃうの」
「『スキル検証』掲示板の、フィーアという人物の書き込みを探すのが早い」
キースのアドバイスに早速『スキル検証』掲示板を開いて、『心眼』で検索。書き込み主の名前でソートしてみると、フィーアという名前が大量にあった。
「うわっ、なんですか、これ」
「フィーアはスキルの検証が趣味らしく、『スキル検証』掲示板の主になっている」
「そ、そんな人が……」
世の中には色んな人がいるのね。




