第百六十五話*移動式の拠点?
まったりを堪能した後、私たちは洗浄屋に戻ってログアウトしてきた。
目を閉じるとまだ満天の星空がチラチラと瞬いているようだ。
「……綺麗、だったなぁ」
ヘルメットを取って思い出に浸りながら呟いていたら、頭をガシッと掴まれた! と思ったら、わしゃわしゃと髪を掻き乱された。
「麻人さんっ!」
「莉那がかわいすぎて辛い……っ!」
「なっ、ちょっ! 八つ当たりっ?」
麻人さんは私の頭を気が済むまで撫で回していた。
……今から寝るだけなので良いですけど! 髪の毛がぐちゃぐちゃだよ! まったくもって、なんだというの。
「莉那、起きてるか?」
「今ので寝られるほど神経太くないので」
ムッとして答えると、今度は先ほどと違って、優しく頭を撫でてくれた。
「すまなかった」
「……別にいいです」
なんだか拗ねているようになってしまったけど、麻人さんの意図が分からなくて、戸惑ったのもある。
「部屋で話をしよう」
そう言って、私の手を引いて立たせてくれた。
VR機から抜け出て、麻人さんの部屋へ。
自室があるのだけど、最近では着替えの時くらいしか入ってない。
それってどうなの?
……まあ、いい。
麻人さんの部屋に入ると、ソファに隣り合って座った。
「ゲーム内の話を、ログアウトしてから話すのはなんだか変な感じなんだが」
麻人さんが言わんとしていることは大変分かる。フィニメモはリアルすぎるから余計にそう感じてしまう。
「洗浄屋の店舗の奥が居住区になっているんだが、赤の魔術師はあろうことかオレがいた部屋を勝手に自室にしたようなんだ」
「そ、そうですか」
麻人さん、というか、キースに最初に割り当てた部屋は、私の部屋の隣だ。他にも部屋が空いているというのに、そこにしたとは……。
「最初、居住区全部を切り離そうかと思ったんだが、応接室は洗浄屋の部分だし、洗い場とアイロンを掛ける部屋も洗浄屋だ」
言われてみると、店舗部分があって、その後ろに洗い場とアイロン部屋、それから応接室がある。
いつもログインしたら行く台所は居住区。
そして、二階は店舗部分の上にも部屋がある。
「まだオルドに伝えていないのだが、二階部分だけ切り離せば問題ないかと思うんだが」
「……物理的に考えるとそれが最良だと思いますけど、そうなるとクイさんたちの寝室まで切り離すということになりますよね?」
「そうだな」
「私たちはそれで問題ないですけど。……問題ないことないのか」
「うん?」
「台所に行けなくなるし、応接室もです!」
「あぁ、そう、だな。……どうしたものか」
うーむ、とふたりしてうなって色々と考えたのだけど、良いアイデアはまったく思いつかない。
結局、明日からまた仕事なので、寝ることにした。
え? 素直に寝れたのか?
麻人さんが素直に寝かせてくれるわけがありませんっ!
◇
目覚ましの音にイラッとして止めようとしたら、麻人さんの手が伸びてきて、止められた。
あれ、珍しい。
しかも。
「……あと五分」
いつも麻人さん、私より先に起きてるのに、ものすごく珍しいのですけど。
「麻人さん?」
「んー?」
なんだか分からないけど、眠たいようだ。
私もまだ眠たいので、麻人さんの腕の中で少し体勢を整えて、と。
ごそごそとしていたら、麻人さんがギュッと抱きしめてきたため、動けなくなってしまった。
少しだけ居心地が悪かったのだけど、ぬくもりに気がついたら寝ていた。
コンコンコンコン、と遠慮がちにドアが叩かれている音に目が覚めた。
部屋の中に入り込んでくる光はすっかり明るい。
って?
壁時計を見て、サーッと血の気が引いた。
「麻人さん、麻人さんっ!」
「ん……、なんだ?」
「起きて! 仕事っ!」
「あー……。オレ、午前休」
な、なんだってぇぇぇ!
私はそんなことをしていないので、ベッドから滑り落ちるようにして抜け、ドアをソッと開けると見覚えのある人が立っていた。
「お、おはようございます。すぐに行きます! 麻人さんは午後からのお仕事みたいですので、私だけです!」
「かしこまりました」
それからはもう、バタバタだった。
どうせ在宅勤務だし、化粧は省略!
服もサクッと着替えられるワンピースにして、と。
それから階下へ駆け下り、準備されていた朝食を食べた。
食べるのが遅いから、急いでもたかがしれている。
幸いなことに仕事までまだ時間がある。焦らず食べよう。
朝食を食べて、準備をして仕事部屋にたどり着いたのは、始業時間五分前。
朝ごはんを食べながら、遠隔操作で部屋の空調と明かり、私のパソコンの電源も入れておいた。
いつもならもっと早くに席に着いているのだけど、今日は二度寝の悪魔に負けてしまった。
まずはメールのチェック、と。
私が担当していた業務はほぼ引継ぎが終わっている。そのため、メールを見て作業をしたり返信することはない。
この会社に入社して三年目。
ずっと独り身で、死ぬまで働くのだろうと思っていたのに、どこで間違ったのか、麻人さんと結婚して、それが理由で辞めなくてはならないなんて。
夫婦そろって寿退社よね、これ。それってどうなの?
なんといいますか、理不尽を感じる。
はー。
急いで席に着いたけど、メールのチェックが終わったらやることがないのですけど。
うむ、暇だ。
データの片付けは引き継ぎ書を作るときに一緒にしたし、紙類はここにはないし、会社の自席にあってもたかがしれてる。
最終的には一度出社して、私物をピックアップして、片付けて……くらい?
それにしても、これだけなにもすることがないのなら、私も有給を使えば良かったな。
そんなことを思っていると、麻人さんからスマホにメッセージが入った。
あれ? 起きたの?
私物のスマホに連絡が来たのだけど、チラリと見ると画面に麻人さんからのメッセージの一部が見えた。
なになに?
上総、という名前が見える。
うーむ、メッセージを見るか。
開いてみると、上総さんから私を含めて呼び出されているとあった。
どうせ仕事もないし、休んでしまえ!
ということで、もろもろの手続きをして、パソコンを終了させて、と。
部屋も簡単に片付けて部屋を出たところ、麻人さんがドアを開けようとしていたところだった。
「麻人さん、おはようございます」
「あぁ、おはよう」
ちょっと面食らったような麻人さんの顔を見てくすくす笑うと、ほんのりと顔を赤らめられた。
「なにかおかしいか?」
「いえ。タイミングがバッチリすぎて。あと、ビックリした顔の麻人さんの表情がその、予想以上にかわいくて」
「……かわいい?」
「はい。麻人さんの行動、たまにかわいいです」
待望の『かわいい』だと思うのだけど、どうなんだろう?
疑問に思って麻人さんを見ると、さらに顔を赤くしていた。耳まで赤い。
「か、かわいいというのは、なんというか、恥ずかしい、のだな」
「そうですか? 恥ずかしいというより、照れくさいが近いような気がしますけど」
「照れくさい、か。……なるほど、確かにそちらがしっくりくる」
と言っているけど、今回の場合は恥ずかしいと照れくさいがミックスされた感情のような気がしないでもない。
ただ、どうしてだろう。
同じ人のはずなのに、キースだとかわいいって思えないのよね。謎だ。
「それで」
「あ。先ほど、お休みする了承を得ました」
「オレも全休にした」
麻人さんは私の手を取り、歩き出した。
それがまったく不自然ではなくなっていて、私は思わず笑みを浮かべていた。




