第百十五話*《十一日目》水色の猫・フェリス
私の肩に飛び乗ってきた、水色の猫・フェリス。
満足そうに喉をゴロゴロ鳴らしているのだけど、なんで私の肩?
いや、それよりもだ。
猫は液体で出来ているという説があるように、妙にしっくりと私の肩に乗っている──というか、マフラーのように首に巻き付いているのだけど、これってどうすれば?
「フェリス、リィナから離れろ。なんだったらオレの肩に乗れ」
「嫌だにゃあ。ここがとても心地よいにゃ」
私の肩よりキースの肩のほうが面積が広いような気がするけど、フェリスいわくここがいいらしい。
すっかり懐かれてしまったのだけど、この子、洗浄屋に連れて帰っても問題ない?
とここで、とても大切なことを思い出した。
「ねえ、フェリス」
「にゃ?」
「ここにヒョウの獣人、来てない?」
「ヒョウ? ……猫耳のお兄さんなら来たにゃあ」
「猫……。哀れ、トレース」
やっぱり猫って言われているトレース。
ネコ科ではあるから間違ってないけど、威厳がなさ過ぎる。
「……っ! ちょ、ちょっと待って! フェリス、ここにトレースが来たってどういうことっ?」
そもそもがこの池、いつもの配達場所からかなり離れているし、たまたま通りかかったというには苦しい場所だ。なのにトレースが来たって。
「フェリスが呼んだにゃあ」
「呼んだって……」
それもだけど、フェリスの一人称がフェリスって……。
「赤髪の子がいなくなって、遊んでくれる人がいなかったからにゃあ」
「赤髪の子って、もしかしてラウのことかしら? この間、ここでその子があなたに絡まれていたと思うのだけど」
「にゃあ。遊んでもらっていたにゃあ」
「遊んで……」
あぁ、だから『溺れていた』わけではないのか。
って! いやいや、あれは明らかに溺れていたでしょっ!
「その子なら、うちにいるわよ」
「本当かにゃあ。行くにゃあ」
「それで、トレースは?」
「あっちにいるにゃあ」
フェリスは私の肩から降りると、コロコロと転がるようにして移動を始めた。猫さんなのにその移動の仕方はどうなのかと。
「ねぇ、キースさん」
「なんだ」
「フェリスって前からあの移動の仕方なの?」
「あぁ、そうだな」
「毛が汚れるわよね」
「そうなんだが、あの長い毛が引っ掛かって上手く歩けないと嘆いていたな」
「な、なるほど?」
猫って毛が細くて短いイメージがあったけど、フェリスの毛は猫より犬っぽい毛の太さなのだ。さらにはなんでこんなに伸びているの? と言わんばかりにわっさわさ。顔周りもさることながら、身体全体の毛はどれだけ長いのかわからないくらい。
毛の長い猫ってのはいるけど、こんなに長いのは見たことがない。
それにしても、毛が長くて歩けないから転がるって。それって毛が汚れない?
「トレースを見つけたら、フェリスの毛づくろいをしますっ!」
「分かった。オレも手伝う」
今までの様子を見ていて、キースがどれだけ戦力になるのか分からないけど、前向きな姿勢は評価しよう。
って、なんで私、上から目線?
「それで、トレースはどこに?」
「ここにゃあ」
と指し示したのは、池の中。
「ぉ、ぉぅ?」
な、なぜに池の中?
と思っていると、フェリスはゴロゴロと勢いをつけて転がり、ドボンと音を立てて池に飛び込んだ。
えええぇ?
なんというか、さっきから意表を突かれまくっているのですけど。
「猫って水が嫌いではなかったですか?」
「一般的にはそういうな。だが、水が好きな猫もいるらしいぞ」
「へー……」
「フェリスは猫なのに水の中に住んでるからな」
「ぇっ」
「だから毛が青いそうだ」
「な、なるほど?」
水中に住む猫って……。
「あっ! ラウを見つけたとき、だから水の中にいたのか!」
あれっ? てことは、やはりここは池ということ?
……頑張って思い出してみる。
そういえばラウは『湯からあげて』と言っていた。
でも今日はここはお湯っぽい感じはしない。うーん?
ま、まあ、ここが水だろうがお湯だろうがどっちでもいい。
早いところトレースを受け取って帰ろう。
「……それにしても、フェリスはトレースを呼んだと言ったけど、それって本当なのかしら?」
「本人に聞け。ほれ、フェリスがトレースを連れて戻ってくるぞ」
あの小さな身体でどうやって? と疑問に思っていると、池からフェリスがざばぁと音を立てて飛び出してきた。
水色の毛は水をたくさん含んでいて、水が飛び散り、キラキラと光ってとても綺麗だ。
フェリスは器用に身体を操って池の縁に降り立った。
毛から水がぼたぼた垂れているけど、フェリスは気にせずに頭を少し下げたかと思ったら、思いっきり毛を振り上げたっ?
ざばざばざはーっ! という水音の後、水と水色の毛になにかが絡んで宙に舞った。
「な、なにっ?」
水色の毛に包まれているなにかは、綺麗な軌跡を描いて地面に落ちた。
「いってぇなぁ、おいっ!」
あれ、今の声、聞き覚えが?
疑問に思っていると、水色の毛がするすると引っ込んだ。そこから現れたのは……。
「トレースっ?」
「連れてきたにゃあ」
「ぅ、うん……」
な、なんという力技。
「な……。なんなんだよっ! おいっ! そこの水色の塊っ!」
トレースはすぐに起き上がり、それから水色の塊ことフェリスに文句を言い始めた。
「来いって呼ばれたから来てみたが、なんだよおいっ! いきなり説明もなく縛り付けてきて、水の中にツッコむとかっ! 挙げ句の果てにはこの対応! てめー、ふざけんなよ? 八つ裂きにしてくれるわっ!」
トレースは爪を出すと、フェリスに向かって振り下ろしたっ?
って、ここ、セーフゾーンでは? なのに攻撃できるのは、NPCだから?
……いやいや、それは違う。
「特殊フィールド……か」
視界の端を確認すると、右上に見慣れないアイコンが表示されていた。
剣が交差していて、バックが赤い。
初めて見るアイコンなんだけど、これ、なんだっけ?
「なんでいきなりここをPvPフィールドにする必要があるんだ。……運営はなにを考えている?」
あぁ、このアイコン、PvPできますアイコンかぁ。
……………………っ!
「って! な、なんでっ?」
「さあな?」
出来るからと言って、やりませんからね?
「えと、とにかく。トレースを止めて……」
トレースはフェリス相手に本気になって攻撃をしているのだけど、フェリスはひらひらとトレースの攻撃を華麗に避けている。おお、すごい!
「おのれ、ちょこまかとっ!」
トレースはいらつきを隠すことなくフェリスを殴ろうとしているのだけど、見事なまで当たらない。
「ノーコン」
「ちょ、イロンっ?」
「我が持ち主も同じことを思っていたではないか。事実を告げたまで」
イロンが言うようにノーコンだって思ったけど、それを口にしたらマズいのくらい分かっていたから言わなかったのに!
「よほどイロンは外でログアウトしてほしいらしいわね?」
「ぇ、我が持ち主?」
悪い笑みを浮かべてイロンを見たら、なぜかキースがずいっと身体を寄せてきた。
「……ログアウト」
「はいっ?」
キースは私の肩を強く掴むと、ログアウトを強要してきた。
いやいやいやいや、だからトレースっ!
「あー! もうっ! トレース、止めなさいっ! 今すぐ止めなかったら、尻尾と耳の毛を抜くわよっ!」
私の言葉にトレースはすぐさま反応して、動きを止めた。それからぎぎぎぎと音がしそうなくらいの動作で私に視線を向けてきた。
「リィナ、冗談、だよな?」
「冗談ではないわよ」
「…………。わ、分かった! 止めるから!」
そうしてようやく落ち着いたのだけど。
トレースはなぜか激しく怯えた表情で私を見ているし、キースは私の肩から手を離さないし、ナニコレ。




