二度目の逢瀬
彼の方が置いていったのはボクだけではなかった。
ボクなんかよりもずっと、あの方を大切に思っていた白の姫だ。
半身を失った彼女は7日7晩泣いて、そうして流れた涙から新たな神を産み落とした。
――あら、かわいいぼうやね。
安らぎを宿した闇色の髪に、豊穣を表す金の瞳。
幼い容貌の新たなる神は、おそろいの瞳を持ったボクをひどく気に入ったらしい。
――わたくしに仕えなさいな。
ボクの毛並みよりも白い手がひと振りされる。
そうして、ボクの尾は4本になった。
またしても、あたしは闇の中にいた。
昨日と同じ声を聴いて、昨日と同じように夢殿に降り立つ。
昨日と違うのは、目の前に大きな鳥居がそびえたっているくらいだろうか。
「……なんとなく読めてきたわ」
古い鳥居だ。
長い間雨風にさらされてきたのだろう。石造りのそれはひどく傷んでいて、刻まれた文字すら読めない。
下の方には苔もはえている。
おそらくこの奥に、あたしを呼んだ存在が――ヤツがいる。
あの純朴そうな声の主と、例の卑猥物が同じ存在だとは認めたくないが、そうも言ってられない。
……だって尻尾がどうのって言ってた。
4本の尾は天狐の証。神に仕える御先神の最上位にあたる狐だ。
通常は長い時をかけてたどり着くその頂きに、神の力を与えられる事でポンと成りあがってしまった。
過ぎたる力は身を亡ぼすというから、きっと得られたものよりも失ったものの方が多いと思う。
そこからまた長い時を過ごして……。
「多少性格が歪むのは仕方がないのかも」
「聞こえてるよ」
ポツリとこぼした感想に、間髪入れずに突っ込みがはいった。
わーお地獄耳。なんて言ってる暇はない。
良いから早く来なよ、と促すお狐様の声に逆らえるはずもなく、あたしは鳥居をくぐった。
屋敷の中は、前回と大きく変わっていた。
「……模様替えでもしたの?」
それこそ畳くらいしかなかった部屋だった。
そこに几帳が現れ、飾り棚が現れ、鏡まで用意されている。
昨日はごろんと寝転がっていたお狐様は、今日はきちんと座してお待ちだ。
脇息まで使って……なんというか非のつけようのない美貌が憎たらしい。
「女の子を迎えるならキチンとしなさいと怒られたからね」
どうやらあたしは既に迎えられることが確定しているらしい。
ちょっと待てと言いたいが、そういえば勝っても負けても行先は地獄だった事を思い出して口をつぐむ。
……抜け道を、探さねば。
秘めた決意をため息に隠して、あたしは静かに腰を下ろした。
敷き詰められた畳の縁、精一杯お狐様から離れた場所に。
「なんでそんなに離れてるのさ」
「昨日自分が何をしたのか思い出してごらんなさい」
乙女の唇は高いのだ。
ジトりとした目線を向けると、お狐様は少しだけ目を見開いて、そうして肩をすくめた。
「もうしないよ」
「そういう問題じゃない」
長く生きていると感覚が鈍ってくるのだろうか。
この様子では何を言ってもわかってくれそうにない。
犬にかまれたと思うしかないのかもしれない。狐なだけに。
「まぁいいや。今日キミを呼んだのはね、衣合わせの為なんだ」
あたしにこれ以上追及する気がないのがわかったのだろう、お狐様はさくっと話題を変えた。
「……衣あわせ?」
「そう、必要になるだろうと思ってね」
白くてすらりとした、けれど男性らしい筋のある手がひと振りされる。
瞬間。
大量の布が部屋を埋め尽くした。
深緋に、松葉に、月白に。
色鮮やかな色彩の、ひと目で質の良さがわかる反物だ。
「全部、キミのために用意したものだよ」
狐が笑う。細められた目は、まるでペットの服を選ぶ飼い主のようだと思った。
お気に入りの存在を、好きなように飾り立てる。
それは確かに、楽しいだろう。
けれど、対象となる存在はその行為を受け入れるとは限らない。
服を嫌がる犬がいるように。
被り物を嫌がる猫がいるように。
あたしだって、良く知らない男の趣味が詰まったような服装は嫌だ。
「……いらないと、言ったら?」
ましてや、あたしの事をおもちゃか何かだと思っているヤツの選ぶ服など、考えるだけでもぞっとする。
それでも。
狐の血を引いているとはいえあたしはただ人間で。
目の前の男は、あたしの祖先よりもずっと強い力を持つ空狐で。
彼が本気で望めば、あたしは絶対にかなわない。
わかってはいる。かといって素直に従うのはいささか悔しくて。
ささやかな抵抗とばかりにそう問えば、狐は少しだけ眉根を下げる。
「その選択は、あんまりお勧めしないかな?」
困った子だとでもいうようなしぐさで、あたしをたしなめた。
すらりとした指を、天に向ける。くるりと回せば、こぼれる白い光が円を形作った。
鏡面のように統べらかなそこに、映るのは青い空だ。
ただし、深い蒼は夏の空よりも濃く、浮かぶ雲は黄金に輝いている。
はくはくとあたしの口が息をはく。声は出なかった。
見開いた眼は瞬きをわすれ、虚勢を張っていた体はピキリと音を立てて固まる。
小さすぎてよくわからないが、雲の上にはなにやら建物のようなものが見えた。
羽衣らしき薄布をたなびかせて飛ぶのは、ヒト、だろうか。
あたしは、その景色を、知っている。
知識としてではない。何度も訪れた場所だ。そして、その地の住民に幾度も助けられた。
ただし、この時代ではない。遠い未来での話である。
ミトメタクナイ。
現実逃避でもしてやろうかと真剣に考え始めた私にむけて、狐がとどめを刺した。
「ねぇ、かざか。ここが、キミたちが異界と呼ぶ場所であることは気づいているかな?」
つい先程、短編を投稿しております。
「天使を殺す世界の創り方」世界をデザインし、動かす天使達の愚痴大会。よろしければぜひ。




