ep57 九頭煉獄火山帯
ロゼの部屋。
静まり返った空気の中、レイン、サヤ、ルナベール、スカイ、ロゼ、そしてマリリアが集まっていた。
マリリアが、重たげに口を開いた。
「……正直、あそこまでとは思ってませんでした。ゼファル様……あのままじゃ、本当に人を殺しかねない。そんな空気を感じたんです」
その視線が、スカイに向けられる。
「ロゼがあなたと会い続けることで、私たち……ここにいる全員が、命を狙われるかもしれません」
スカイは黙って頷き、真剣な顔でロゼを見た。
「……そういう状況なんだね。君が、どれだけ不安だったか……よくわかったよ」
ロゼはうつむきながら、かすかに唇を噛んだ。
「ゼファルは朱雀軍の“死招きの鉤爪”――第十三機動戦略部隊の指揮官。表には出ないけど、軍の中では……とても影響力のある人。逆らえば、どうなるかなんて……」
その言葉に、ルナベールが思案深く口を挟んだ。
「……ギルドとしても難しい立場です。依頼主が軍の幹部だと分かれば、こちらの対応も慎重にせざるを得ません」
その横からサヤが椅子をきしませて立ち上がる。
「でもさ! 銃突きつけてきたんだよ?! ウチも危うく死にかけたし。あれって完全に一線超えてたじゃん!」
「はい、だからこそ私の方から一度、ギルドには正式に報告しておきます。ギルドの後ろ盾があれば、今後こちらも動きやすくなるはずです」
そのやり取りを、スカイが穏やかな笑みで見つめながら言った。
「……ありがとう。みんながロゼを支えてくれて、本当に救われてる。彼女は一人じゃない……そう感じさせてくれるのが、一番の支えになるよ」
少し空気が和んだ、その時。
「……あれ?」
窓のそばに立っていたレインが、ふと外を見ながらつぶやいた。
「なんか……航路、ズレてないか?」
スカイが気になったように近づき、レインと並んで外を覗き込む。
「……あの雲の位置と太陽の向き……うん、少し西寄りに進んでるね。この方向……もしや……」
マリリアが、息をのむように声を漏らす。
「まさか……火山帯!? 一体なぜ、そんなルートを……!」
「分からない……でも、今までこんな航路をとったことなんて、一度もなかった」
再び空気が緊張に包まれていく。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レインたちは急ぎロゼの部屋を飛び出し、風の吹き抜ける甲板へと駆け上がった。
すでにそこには、大勢の乗客たちが集まり、ざわめきながら前方の空を見上げていた。
「……何があったんだ?」
スカイが近くの乗客に声をかけると、年配の男が不安げに振り返った。
「航路が……いつの間にか変わったんですよ。目的地とは全然違う方向に進んでるようで……しかも、西の火山地帯のほうへ……」
スカイの表情が険しくなる。
すると――
「うわああああああっ!! な、なんだあれぇぇっ!!」
誰かの悲鳴と共に、前方の空に禍々しい影が現れた。
無数の炎の残光を引きながら、赤黒い飛翔体がこちらに迫ってくる。その数、ざっと百――
「《業炎のラグナヴァルド》……!」
ルナベールが小声で呟いた。
それは火山帯に巣食う、空を飛ぶ火の魔獣。かつて魔神の影響を受け、理性も本能も捻じ曲がったS級魔物の一種だ。
全身を炎に包んだ竜のような体躯に、赤く灼けた翼を大きく広げ、眼前の飛空艇に突撃してくる。
「なんでこんな場所に来ちまったんだよ……!」
「おしまいだ……」
「もうだめだ……」
乗客たちは悲鳴を上げ、右往左往する。誰もが“終わり”を覚悟しかけていた。
そんな中、スカイのもとに、レイン、サヤ、ルナベール、ロゼ、マリリアが合流する。
「ねぇどうする!? アレどうする!? 100体くらいいるよ!?」
サヤが叫び、両手をばたばたさせる。
「落ち着け! ……けど、あの数はヤバいな……」
レインが眉をひそめながらも、手を強く握りしめる。
「……俺たちで迎え撃つしかないか?」
怯えたように後ろに下がるロゼ。その腕をスカイが優しく引き寄せた。
「大丈夫だよ、ロゼ」
「スカイ……」
「このタイタニクスは、朱雀が誇る最高の飛空艇さ。ちょっとやそっとじゃ沈まない……もしかしたらなにか船長に考えがあるのかもしれない」
その言葉に、ロゼの瞳がかすかに揺れた。不安は完全に消えはしないが、確かに――少しだけ息がしやすくなったように感じた。
だがその直後。
――ガタン!!
「きゃっ!?」
「な、なんだ今の!?」
飛空艇が大きく一度、沈み込むように揺れ、続けて船体の奥から重厚な機構音が響いた。
ゴゴゴゴ……ッ
次の瞬間、甲板の左右から、鉄板を押し上げるようにして巨大な砲塔が姿を現す。
艦首・両翼・艦底部、計七門の巨大エネルギー砲。
「これは……!」
ロゼが目を見開く。
その砲口が一斉に、迫り来る《業炎のラグナヴァルド》の群れへと向きを変え――
ドギュゥゥゥンッ!!!
轟音とともに放たれた光線が空を裂き、炎の魔獣たちを一掃する。
咆哮すら上げる間もなく、数十体のラグナヴァルドがその場で蒸発していった。
乗客たちが、一瞬の沈黙のあとで歓声を上げる。
「た、助かった……!」
「スゴい……なんて火力だ……!」
だが、まだ終わってはいなかった。
爆炎に呑まれたはずの魔獣たち――その残党が、黒煙の向こうから再び姿を現し、編隊を組んで飛空艇へ向かってくる。
「まさか……まだこんなに残ってるのかよ……」
レインが低く呟いたその時――
――ゴゴゴゴゴッ!!
大地の底から響くような音が、空気を震わせた。
「……今の音、なに……?」
マリリアが顔を上げた先。
遠く地平線に連なる火山群――《九頭煉獄火山帯》。
その九つの噴火口すべてから、赤黒い煙柱と灼熱の火砕流が一斉に噴き上がった。
そして――
そこから跳ね上がるように、異形の魔物たちが次々と空へ飛び立つ。
炎をまとった岩巨人、灼熱の羽を広げる火鳥、溶岩の体を持つ蛇――いずれもA級からS級に分類される、脅威度の高い魔物。
翼を持たぬ者も、火口から放つ炎球や巨岩で飛空艇を狙い撃つ。
「うそ……こんなにうじゃうじゃいるなんて……!」
「どうして……火山地帯に突っ込んだりなんか……!」
「終わりだ……もうおしまいだ……!」
甲板に集まった乗客たちが、次第に恐慌状態に陥っていく。
強固な魔法障壁が何発もの火球や岩を防ぎ、光の波紋を広げているが、それでもなお襲い来る数の多さが恐怖を上回っていた。
――ドンッ! バシュゥッ!!
飛空艇の装甲がきしむ音に、誰かが悲鳴を上げた。
サヤが辺りを見渡し、焦燥の色を滲ませながら、隣のレインの腕をぐっと引く。
「ねぇレイン、これ……さすがにヤバいって! ウチらも、なにかした方がいいんじゃない!?」
レインは小さく息を吸い、いつでも戦える体勢を整える。
――空が、真っ赤に染まっていた。
まるでこの空域全体が、巨大な灼熱の罠に変わったかのように。




