ep48 本当の気持ち
「――ロゼが戻ってこない?」
高級調度品が並ぶ貴族専用ラウンジの一角に、レインたち三人は呼び出されていた。
向かいに座るのは、ゼファル・ド・ヴァレンシュタインと、マリリア・スターライト夫人。どちらの表情も、険しい。
「さっきまでご一緒だったのではないのですか?」とルナベールが問うも、
「ちょっと夜風に当たってくると言ったっきり戻ってこないのよ!」
マリリアがヒステリック気味に声を上げた。
「まったく、あの子は昔からそうだ。自分の立場もわきまえず、ふらふらと勝手なことばかりする……」
マリリアは椅子の肘掛けを叩いて続ける。
「私に恥をかかせてばっかり!」
レインとサヤが顔を見合わせる。
「……で、俺たちにどうしろと?」
レインが遠慮気味に口を開くと、ゼファルがテーブル越しに身を乗り出した。
「お前たちを何のために雇ったと思ってる! さっさと探し出して、ここへ連れ戻せ!」
サヤが呆れたように眉をひそめる。
ルナベールが口を開こうとしたそのとき――
「いや俺たち、アンタに“呼び出すまで部屋で待機しろ”って言われたから、ちゃんとそうしてただけなんだけど」
レインが皮肉混じりに肩をすくめた。
「口答えをするな! 冒険者風情が!」
ゼファルがピシャリと怒声を飛ばす。
「いいからはやく探してこい!」
「……はいはい」
レインが小さくため息をつきながら頷くと、ルナベールも頭を下げる。
「失礼します。ロゼ様をすぐにお探しします」
三人はその場を後にし、ラウンジを出た。
タイタニクスの内部は、まるでひとつの都市。
カジノホール、劇場、商業回廊、温室、展望回廊──どこを探しても、ロゼの姿は見つからない。
「どこいっちゃったんだろう……」
サヤが額の汗を拭いながらつぶやいた。
「何か、悩んでたのかもしれないな」
レインは心なしか、胸騒ぎを覚えていた。
その時だった。
風に乗って、音が届いた。
美しく澄み切った歌声。そして、心を震わせるような弓琴の音色。
「……これは」
「ロゼっちの声……?」
「それとスカイさんの演奏でしょうか……?」
三人は顔を見合わせ、音のする方へと足を早める。
そして、たどり着いたのは──
星の舞い降りるような夜の船首。
銀に照らされた甲板の先に、音楽が生まれていた。
スカイの指先が奏でる旋律と、ロゼの胸の奥から解き放たれる歌声が、夜空に溶け合っていた。
彼女は、まるで何かから解放されたような表情で歌っていた。
高貴な仮面を脱ぎ捨て、ただ“ひとりの少女”として――
心のままに、言葉を、願いを、音に乗せていた。
「凄くきれいな歌声……めっちゃ癒される」
「……今までの“あのロゼ”と同一人物ってマジか……」
ルナベールは静かに、手を胸に当てる。
「これが、彼女の……本当の声」
三人は足を止め、ただ黙って、その美しい光景を見つめていた。
風も、星も、音も――すべてが今、この瞬間を祝福しているようだった。
“見つけた”という報告よりも先に、彼女の「心」がここにいるということが、何よりも大切なことのように思えた。
三人はしばらく、言葉もなく、ただその歌声を見守り続けていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
静かに、風が通り抜ける。
ロゼの歌声が消えた夜空には、未だその余韻が揺れていた。拍手も賞賛もなかった。ただ、沈黙のなかに確かな感動があった。
そんな中、甲板の奥から足音が響く。
「……ロゼさん、いましたね」
ルナベールの声に、ロゼがびくりと肩を揺らす。
振り向いた先には、レイン、サヤ、ルナベールの三人がこちらに向かって歩いてくる姿があった。
ロゼは咄嗟にスカイの後ろへ隠れようとした。
「ロ、ロゼ? ……どうして隠れて」
「……だって、聞かれてたなんて、思わなくて……恥ずかしいんですもの」
ロゼは顔を伏せたまま、ほんの少しだけスカイの背中から覗いた。
「何言ってんだよ」
レインがにやりと笑った。
「めっっちゃ綺麗だったぞ、今の歌。びっくりして口開いたまま固まっちまった」
「ほんとそれ!」
サヤが満面の笑みでうなずく。
「ロゼっち、もうガチでヤバかった! すっごい綺麗で、空の向こうまで届きそうだったし、心にズンって来て……本当に感動した!」
ロゼが困ったように頬を赤らめたとき、ルナベールも静かに口を開いた。
「……私も、聞き惚れてしまいました。あの歌声には、心を動かす“力”がありました。……きっと本当の気持ちを込めていたから、ですね」
ロゼは、まさか自分の歌声が、こんなふうに――心の底から褒められるなんて思っていなかった。
驚きと戸惑いが混ざったような表情のまま、言葉が出てこない。
でも、その瞳には、確かに喜びがあった。
こぼれ落ちそうなほど潤んだ瞳が、まるで心の奥に差し込んだ光を映すように揺れている。
そしてようやく、胸の奥であたためたように、ぽつりとつぶやいた。
「……あ、ありがとう……」
その声には、少しだけ自信の種が芽生えていた。
レインが少しからかうように言った。
「最初に会った時の、あの貴族オーラ全開で見下してくる感じより、今の方がよっぽど可愛いけどな~」
「なっ……な、何を言ってるんですの、あなたはっ……!」
ロゼがぷいっと顔を背ける。ツンとした態度は健在だが、声にトゲはなく、どこか照れ混じりだった。
「……ロゼさん。実は、私たち……ゼファル様とマリリア夫人から、あなたを探して連れ戻すように頼まれていて……」
ロゼの顔が一気に曇る。
しかし、すぐに俯きながらも、そっとスカイの袖をつまんだ。
「……まだ、行きたくありません」
小さな声だった。けれど、その言葉には、はっきりと意思があった。
「スカイと……もう少しだけ一緒にいたいんです。だって、私の心を……救ってくれた人だから」
「ロゼ……」
スカイの目が見開かれる。
三人も、ロゼの変化に息を呑んだ。
しばらく黙っていたルナベールが、一歩前へ出る。
「……それでも、ロゼさん。あなたは貴族の娘で、私たちは護衛です。本来であれば、責任を果たすために、すぐに戻っていただかなくてはなりません」
その言葉に、ロゼは小さく「……ですよね」と呟き、顔を伏せる。
そのまま、一歩――そしてもう一歩、踵を返して歩き出す。
その背中は、どこか小さく、肩がわずかに震えていた。
光の届かない足元を見つめるようにして、
ロゼは泣き出しそうな表情を堪えながら、静かにその場を離れようとしていた。
だが――
「このタイタニクスがあまりにも広すぎるせいで、見つけ出すのに1時間もかかってしまいました~」
サヤが急に、おかしな抑揚でそう言った。
「え……?」
ロゼが驚いたように顔を上げる。
ルナベールも、目をぱちくりとさせた。
すぐに、レインがその意図を察し、わざとらしく頷いた。
「たしかに。途中でどこからか歌声が聞こえた気がしたけど……空耳かなぁ。あ~あ、あのお嬢様は一体どこへ遊びに行ってるんだか……」
スカイがくすりと笑う。
「君たち……ほんとに面白い人たちだね」
「ちょっと……あなたたち一体何を……」
ロゼが呆れながらも、声を詰まらせていた。
ルナベールが一度だけ、ロゼにだけ聞こえる声で言う。
「……1時間だけですよ。終わったら私たちと一緒に戻りましょうね、ロゼさん」
ロゼは、目に涙を浮かべながら頷いた。
「……ありがとう。本当に……」
するとスカイがそっとロゼの手を取り、優しく言った。
「行こう、ロゼ。君に……見せたいものがあるんだ」
「……はいっ!」
ロゼは涙をぬぐい、スカイと手をつないで走り出した。
振り返りざま、三人に向けて笑顔を浮かべる。
「――ありがとう」
そして、月明かりの中に消えていった。
三人は、静かにその背中を見送った。
「サヤ……おまえ、ほんといいタイミングで機転が利くな」
「ウチ、最初はロゼっちのこと苦手かもって思ったけど……あんな姿みちゃったら、好きになるしかないっしょ」
サヤはいたずらっぽくウィンクする。
ルナベールは、目を細めながら船首の方を見つめた。
「はい……今のロゼさんはとても素敵に見えます。もしかしたら、この先困難が待っているかもしれません……でも、それでも……」
「ああ、そうだな」
レインが頷く。
「今はただ、あいつらを見守ってやろう」
三人のまなざしは、夜空の向こうへ――希望の灯が差すその先を、静かに見据えていた。




