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ep46 道具

「はあ~~……マジですることないんだけど」


 サヤはベッドに寝転び、足をぶらぶらさせながら盛大にため息をついた。


「任務中なんだから、多少は我慢しろって」


 レインは窓際の椅子にもたれて、ぼんやりと雲の流れを見つめていた。

 遥か下には、まだ見ぬ大地が、絵のように広がっている。


 部屋には特別な娯楽はないが、魔導ランプの灯る快適な空間には、ふとした静寂すら心地よい。


 そんな中、ルナベールがぽつりと提案する。


「せっかく空いた時間ですし、何か有意義なことでもしませんか? たとえば……勉強とか」

「……え」

「……げっ」


 レインとサヤが揃って、露骨に嫌そうな顔を見せた。


「二人そろって、表情だけで返事しないでください」


 ルナベールは肩をすくめつつ、微笑を浮かべた。


「でも、座学じゃありませんよ。魔法の訓練です。基礎魔法を扱えるようにしておけば、戦闘での幅も広がりますし」

「……魔法!?」

「それはアリだな。正直、俺ももうちょっと攻撃の選択肢が欲しかったんだよな」


 二人とも、今はスキルに頼りきりの戦い方だった。


 サヤの《デスゲイザー》は超強力な即死能力だが、対人戦での使用は倫理的に封じられている。

 レインの《カタストロフィア》は運任せの因果干渉で、当たれば大きいが、戦闘中の“計算”が効かず扱いづらい。


「というわけで……」


 ルナベールは腰のポーチから魔導測定晶を取り出す。


「やはり、お二人とも“闇属性”ですね。相性も良さそうですし、今回は闇属性の初級魔法を扱ってみましょう」

「おお~! “闇”とか中二っぽくていいじゃん!」

「……中二っぽいというか、この世界では現実なんだけどな」

「というか、ルナちゃんって闇属性も扱えたの?」


 サヤが目を丸くして尋ねる。


「はい。魔導士は初級程度の魔法であれば、ほとんどの属性を扱えます。ただし、“適正属性”以外は精度や威力が下がりますし、上級魔法や進化系の魔法は扱えません」

「なるほど……闇魔法の達人ってわけじゃなくても、先生はできるってことね」


 サヤは納得したように頷いた。


「ええ。今日は講師として頑張りますので、ぜひ覚えてくださいね」


 二人はわくわくした表情で、ルナベールの背中に立つ。


「では、初級闇魔法ダークレイを教えます。闇の光線を放つシンプルな攻撃魔法です。まず、魔法を使うには“正しい順序”を知ることが大切。シャボン玉をイメージすると分かりやすいですよ」


 レインとサヤが真剣な表情でうなずく。


「第一に、魔法陣の形成。これは魔力を“形”にする工程です。空間に薄い膜のような魔力を展開して、精密な図形を描く……いわば、シャボン玉の“膜”を作る作業です。ここが歪むと、魔法は安定しません」

「なるほどなるほど」


 サヤが理解するようにうなずく。


「次に、詠唱。これは魔法陣に命を吹き込む“息”のようなものです。息でシャボン玉を膨らませるように、呪文が魔法を実体化させるんです。だから、適切な詠唱をしないと魔法は割れるように失敗します」


 ルナベールはそっと目を閉じ、紫黒の魔力を指先にまとわせた。


「最後が発動。魔法陣と詠唱がきちんと噛み合ったとき、魔法は完成し、飛んでいくのです。まさにシャボン玉が空に舞い上がるように」


 そう言って、ルナベールは右手を掲げ、魔法陣を形成する。


 そして。


「――『影よ集い、闇となりて貫け……ダークレイ!』」


 次の瞬間、魔法陣から闇の光線が放たれ、訓練標的を正確に貫いた。


「おぉ……お見事」

「さすがルナ先生! すっごーい! 早くあたしも撃ちたいーっ☆」


 二人はルナベールの見事なダークレイを見て拍手する。


「では早速練習してみましょう」


 促され、まずはサヤが前に出た。


「オッケー☆ シャボン玉ね、イメージはバッチリ!」


 両手を前に出し、目を閉じて集中するサヤ。ふだんはおちゃらけているが、集中時はまるで別人のように真剣だ。


「魔力を空間に……展開、展開……おっ?!」


 淡い紫黒の魔素が、空気の中に膜のように広がっていく。黒い魔法陣が手元に生まれ――


「……でたっぽい! じゃあ、次、呪文ね!」


 サヤはひと息ついて、元気よく叫んだ。


「影よ集い、闇となりて……ブチ抜けぇえ!!」

「最後の語尾ちょっと違いますけど、まぁ……よしとします」


 ルナベールが小さく苦笑する中、魔法陣から細い黒の光線がピュッと飛び、見事に標的をかすめた。


「うおっ、マジで出た!? ウチ、イケてんじゃん!」

「……ちょっと曲がってたけど、威力は出てたな」


 続いて、レインの番。


「ふぅ……魔法陣、魔法陣……シャボン玉は子供の頃によく作って遊んでたからな」


 彼は手を前に出し、丁寧に魔力を練る。だが力の加減がわからず、魔素が散りそうになる。


「……あ、ちょっとできてきた……」


 空気中に、うっすらとした黒い膜が浮かぶ。


「よし、いける。じゃあ、詠唱……」


 息を整え、呟く。


「影よ集い、闇となりて――貫け!」


 瞬間、魔法陣がひときわ強く光り――しかし、最後の発動で集中が切れ、魔素がバシュンと音を立てて霧散した。


「……あーっ、くそ!」

「でもちゃんと魔法陣はできてました!もうちょっとで成功しそうですね!」


 ルナベールの励ましに、レインは少し顔を上げる。


「ま、次は決めるわ。俺だって、やればできる男なんでね」

「ふふ、期待してますよ」


 こうして三人の魔法特訓は始まった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ――もう、何時間この顔ぶれと同じ話をしているのだろう。


 ロゼ・アルバート・スターライトは、煌びやかな照明と金銀の器に囲まれた長卓の端で、無表情にワイングラスを傾けていた。

 グラスの中の赤い液体は、まるで血のように粘ついて見える。美しいのに、どこか吐き気を誘う色だった。


 ランチのあとは、貴族たちによるパーティー、午後の茶会、オペラ鑑賞、そして舞踏会。

 完璧に着飾ったロゼは、そのすべてに「ゼファルの婚約者」として参加してきた。


 そして今――晩餐会。


 また同じ顔ぶれの貴族たちと、また同じような形式ばった会話。


 財政の話、魔導技術の話、家同士の婚姻の噂、爵位の相続。笑顔の仮面をかぶった彼らは、誰一人「人」としてロゼを見ていない。

 ただ、“スターライト家の令嬢”、あるいは"ゼファルの婚約者"という札付きの商品としてしか――


「我が婚約者ロゼを見てくれたまえ、皆の者。美貌と品格を兼ね備えた、まさに貴族の鑑だろう?」


 ゼファルがワインを片手に、笑顔でロゼの肩を抱いた。気取りのない仕草のようでいて、その手には無意識の支配があった。

 ロゼは僅かに肩を強張らせたが、表情には出さない。完璧な微笑みで取り繕うだけ。


「飛空艇が目的地に到着し次第、すぐさま我々は婚姻式を執り行う。この空の旅は、我らの結びの祝いでもあるのだよ」


 その声には、疑問も余地もなかった。

 “それが当然”という支配の色が、言葉の端々からにじんでいた。


「おほほ、ゼファル様。ロゼがこのように育ったのも、ひとえに私のしつけの賜物ですわよ。スターライト家の誇りに懸けて。ゼファル様のために」


 マリリア夫人は、芝居がかった笑いと共に、ゼファルに向けて満面の笑みを浮かべていた。

 だがその笑みは、ロゼにとっては――自分を値踏みする商人の目にしか見えなかった。


(……母にとって私は、自分の理想を叶える道具でしかないんだわ)


 思わず、手の中のフォークを強く握った。手袋越しでも、爪が皮膚を傷つけそうなほどに。


 母は、父が亡くなって以降、凋落していくスターライト家を支えるためだけに生きてきた。ロゼに課せられたのは、「家の価値を保つための婚約」。そして相手は、年の離れた資産家・ゼファル。


 ゼファルはロゼの“意志”に一度も耳を傾けなかった。ロゼの“夢”など、初めから聞く気すらない。


 (わたし……ほんとうは……)


 歌いたい。

 あのとき、彼の演奏に触れて芽生えた想いが、胸の奥で膨れ上がっていく。


 音楽に心を動かされてしまった。

 幼い頃、庭園で一人きりで口ずさんだあの頃を思い出してしまった。でも、貴族の娘として、それは“無価値な幻想”として否定されてきた。


(――もう、いや)


 気づけば、視界がぼやけていた。

 涙があふれそうになり、グラスの向こうの景色が滲む。


 ざわめきが遠のく。


 鼓動の音だけが、やけに鮮明に響いていた。


 もう限界だった。


「……っ……失礼します……」


 テーブルを離れ、ロゼは椅子を引く音も構わず立ち上がった。


「ロゼ! どこへ行くの!」


 マリリアが慌てて呼びかけてきたが、振り返る余裕なんてなかった。


「ちょっと……、少しだけ……空気を……」


 ごまかすように出した言葉は、喉の奥で詰まり、消えた。

 もう、何を言っても無駄だった。ただ――逃げたかった。


 誰にも触れられない、自分だけの場所へ。


 この場の空気が、自分という存在を少しずつ削っていく。

 「貴族の娘」「婚約者」「理想の嫁」――誰かのための“役割”ばかりを押しつけられて。


 私は、ただ"歌いたい"。

 この胸の中の旋律は、誰のものでもない。

 私の声は、私自身のものなのに。


 ……音楽だけが、私を赦してくれた。


 心の奥で、小さな音が震えた。

 それが、私だけの“歌”の始まりだった。


 ただ、逃げたい。


 自分を押し込める檻から。


 自分を“商品”として扱う人々から。


 夢を否定する世界から。


 ――音楽だけが、私を救ってくれる気がした。

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