ep42 タイタニクス
搭乗口をくぐった瞬間、レインたちの視界に広がったのは、まさに空に浮かぶ王宮だった。
金と白を基調としたアーチ状の天井は高く、高く伸び、その内側には細密な魔導紋と星辰図が浮かび上がっている。
魔力灯の柔らかな光が、天井全体を昼夜の移ろいで彩っており、今はちょうど朝日が差し込むような温かな金色を帯びていた。
足元は、織物ではなく魔導強化ガラスの床。その下を流れるのは、魔力の奔流――淡く揺らめく青と白の魔素が流れ、まるで“雲の上を歩いている”かのような錯覚をもたらす。
ホールの中央には、三層構造の螺旋階段がそびえていた。
銀の手すりに魔石が散りばめられ、光を受けて七色にきらめくその姿は、空の中の舞踏会のような幻想的な雰囲気を漂わせている。
その美しさに圧倒されながらも、ルナベールが静かに説明する。
「ここはタイタニクスの第一層《煌翔の間》。全乗客が最初に通る、言わば“玄関ホール”です。ですが、この船は《階級別の居住区分》が厳格に分けられていて、階層によってアクセスできるエリアも異なります」
ルナベールの言葉に、レインとサヤはきょろきょろと辺りを見回す。
「まさかとは思うけど……」
「ええ、まさにその“まさか”です。上層階には、貴族専用の《第一等区画》。展望ラウンジや高級レストラン、演奏ホールや劇場なんかも設けられています」
そう言ってルナベールは、螺旋階段の奥、光が差し込む絢爛な通路を指差す。
「そして中層階が《第二等区画》。中堅冒険者や学者、富裕商人など、身分に余裕のある者たちが利用します。私たち護衛任務者も、基本的にはこちらが滞在エリアです」
「じゃあ……下層は?」
「《第三等区画》。物資積載区画に近く、抽選で乗船できた一般市民や、飛空艇スタッフの仮眠エリアなどもここです。広さはあるのですが、装飾や設備は最低限で、いわば“空の格差社会”ですね」
サヤが思い切り顔をしかめる。
「うわ~……上に行けば行くほど、空気まで貴族仕様になってそう」
「空の上まで格差社会とか、世知辛い世の中だな……」
レインは半ば呆れながらも、星模様の天井を見上げていた。
周囲を見渡せば、金襴の服をまとった貴族が付き人を従えて歩き、一方で、控えめな装いの民間人が、感嘆の声を漏らしながら恐る恐る周囲を見回している。
その間を縫うように、魔導式の浮遊カートが荷物を運び、精霊のような案内役のホログラムが乗客に挨拶をしていた。
ここは単なる交通機関ではない。
空を駆ける都市そのものであり、空中貴族社会の縮図。
その名に恥じぬ、圧倒的な威光を放つ飛空艇――《タイタニクス》だった。
螺旋階段を上がり、魔導扉を抜けた先に広がるのは、まるで王族専用の宮殿のような空間だ。白銀の床に織り込まれた金糸の魔導ラインが、天井のシャンデリアと共鳴してゆらりと光を帯びている。
壁は淡いローズゴールドの大理石、窓は外界を映す魔法のグラスウォール。視界の先には空に浮かぶ雲海と、遠くにそびえる火山の稜線が見渡せた。
「ウチの知ってる“部屋”って概念、今、崩壊したわ……」
「これもう“神殿”だろ……ここまで差があると嫉妬すら抱かないわ」
「こればっかりは私も今まで見たことがありません……貴重な機会になりそうです」
ロゼの専用客室は、まさに“空中の離宮”だった。
部屋の中央には、薄桃色の花が咲き誇るように配置された豪奢なラウンジソファ。壁際には魔導オルゴールや、香を焚く魔香塔が設置され、ほのかに薔薇と檀の香りが漂っている。
天蓋付きのベッドは、もはや寝台というより王の玉座。純白のシーツと羽毛布団に、金刺繍の枕カバー。棚には世界中の高級茶葉や香水瓶が並び、その一つ一つに魔法の封印が施されていた。
「これって……寝る場所? 祀る場所じゃなくて?」
レインが目をぱちぱちさせながらつぶやいた。
「黙って動きなさい。運ぶ物がまだありますわよ」
高いヒールの音と共に、後ろから凛とした声が響いた。
ロゼの母――マリリア・スターライト侯爵夫人。
整った姿勢に宝石がきらめくロングドレスをまとい、その眼差しは氷のように鋭い。
「箱をそこへ。あちらの茶器セットは鏡台の隣。カーペットが少しでもずれたら、報告しなさい」
「か、かしこまりました!」
ルナベールが即座に応じる。
「はーいはーい……って、え、これ運ぶの? 重っ!」
サヤが頑張って持ち上げたのは、明らかに中身が“宝飾品だけで20キロある”ような巨大トランクだった。
「丁寧にね」
ロゼはやや離れた位置で、優雅に扇子をたたきながらぽつりと一言。
「はぁ、まるで使用人みたいな扱いだな……」
レインは愚痴をこぼしつつ、魔導スーツケースを二つ重ねて運ぶ。
棚に魔導香を並べ直し、飾り布のひだを調整し、クッションの角度を母娘に確認しながら整えていく三人。
ロゼはほとんど何も言わないが、時おり視線を送ってきては、目元で無言の圧力をかけてくる。
「……この作業、クエストより疲れるんだけど」
サヤが小声でぼやく。
「わかる」
レインも心底同意していた。
やがてすべての荷物の配置が終わり、マリリア夫人がようやく一言。
「……良いでしょう。あなたたち三人、もうここでの仕事は終わりです。自分たちの部屋に戻りなさい。なにか用があれば、こちらから呼びつけますので。では、私はラウンジへ」
その口ぶりは、まるで手駒に"戻れ”と言うかのようなものだった。
ルナベールが一歩前に出て、穏やかながらもはっきりとした声で言う。
「ですが私たちは護衛任務のために同行しています。すぐ側にいることで、万が一の際に迅速な対応が可能になります。護衛として、あまり離れすぎない距離にいるのが――」
「――“万が一”って何よ?」
夫人の声が、ピシャリと空気を切った。
彼女は一歩踏み込み、眉を吊り上げる。
「このタイタニクスがどこに浮かんでいると思っているの? これは朱雀が誇る世界で最も安全な空の宮殿よ? ここで“万が一”なんて、あり得ると思っているの? まさか空中で盗賊でも湧くとでも?」
その言葉に、ルナベールが思わず言葉を詰まらせる。
「それに」
マリリア夫人は続ける。
「貴族専用のラウンジやサロンに、あなたたちのような冒険者風情が立ち入れるとお思い?規則ですもの。下層の民が上流の空気を吸うのは、抽選席までで十分」
さすがにレインもサヤもムッとした顔を浮かべたが、ルナベールが慌ててそれを押さえるように小さく首を振った。
マリリア夫人はそれを見て満足げに鼻を鳴らす。
「まったく……冒険者というのは、どうしてこうも“融通”というものが利かないのかしら」
その言葉は、確実に聞こえるような声量で投げつけられた。
そして、言いたいことだけ言い残すと、今度こそ高々としたヒールの音を響かせて廊下へと消えていった。
残された三人は、しばし沈黙したまま立ち尽くしていた。
「……ルナ、ごめん。なんか、俺ら何も言えず……」
レインが謝罪すると、ルナベールは首を振った。
「いえ。……私も、まだまだ未熟ですね」
その表情は、ほんの少し悔しげで、それ以上に、どこか悲しげだった。
三人はロゼに挨拶をして、割り振られた部屋へと向かった。
残されたロゼは、ひとつ溜め息をついた。
「ふぅ……ようやく静かになりましたわね」
その目にはどこか疲れた影が差していた――が、それに気づいた者はいなかった。




