ep37 死と闇と不運を統べし者
街の喧騒を離れた先にある、小高い丘のふもと。
そこに建つ石造りの建物──それが、歴史博物館 《古代記録館アーカ・メモリア》だった。
風化した獣の彫像が門柱に立ち、分厚い扉には古語で「記せ、そして伝えよ」の文字が刻まれている。
魔法文明以前からの記録を残すこの施設は、観光客よりも研究者やギルド員に人気の“静かな穴場”だった。
「へぇ~、思ったよりちゃんとしてるんだ……てっきり埃っぽいとこかと」
サヤが感心したように見上げる。
レインが苦笑しつつも、その扉を押し開けた。
中に入ると、空気は一変。
薄暗がりの中に魔導ランプが灯り、古びた書物、遺物、石板、ホログラム映像による再現映像などが整然と並んでいた。
「静かだな……誰もいないのか?」
館内には他にほとんど人の姿はなく、時折小さな魔導精霊が展示品を案内しているだけ。
その静けさが、ふたりの間にも自然と落ち着いた空気を生んでいた。
中央ホールには、“神話期”から“現在”へと続く三つの大展示コーナーが設けられていた。
「こっち、“四大獣と四国の起源”って書いてある」
サヤが壁のホログラムパネルに触れると、淡い光が舞い上がり、朱雀・青龍・白虎・玄武の神話的ビジョンが浮かび上がった。
「へぇ……なんか、美術館みたいだね」
サヤがぽつりと呟く。照明魔導灯に照らされる展示群は、どれも荘厳で、どこか神聖な空気を放っていた。
◆一つ目の展示──『創世記《始源の絵画群》』
ホールの奥で最も目を引くのは、高さ五メートルを超える巨大な絵画だった。
夜空のようなキャンバスに、ひときわ明るく描かれた二柱の神──
一人は、光をまとう神。
もう一人は、漆黒をまとう神。
手を取り合い、星の粒を撒き、山や海、空を創造していく姿が幻想的に描かれている。
《世界を創りし双子の神──ガイアとアルバ》
「これ……」
レインが息を呑む。
「ガイアとアルバって、兄弟で一緒に世界を作ったんだな」
「……でも、次の絵、見て」
隣には続きの絵画があった。
そこでは、光の神ガイアが四体の獣──朱雀・青龍・白虎・玄武──を生み出し、
一方の闇の神アグルは、禍々しい魔神──アバドス──と化し、天を裂く戦いに挑んでいた。
光と闇が激突する構図。
双子だった神が、やがて“創造”と“破滅”に分かたれていく様が、静かに、だが圧倒的な筆致で描かれている。
「仲良かったはずなのに、どうして……」
サヤが思わず呟くその声は、少しだけ寂しそうだった。
◆二つ目の展示──『四聖獣と四大陸』
ホログラムで再現された巨大な地図が空中に浮かぶ。
その輪郭は、まるで四体の獣の形を象っていた。
炎の大陸──朱雀の背に広がる《紅陽》
風の高地──青龍の尾に沿った《蒼嶺》
雪の平野──白虎の脚に抱かれた《白氷》
そして、水と森の環──玄武の甲羅を模した《碧渓》
「すご……地形そのものが、四聖獣の形になってるんだね! 前にルナちゃんから教えてもらった通りだ」
「こんなん……RPGの世界地図やん……!」
サヤがぽつりと感想を漏らし、レインも苦笑する。
それでも、ふたりの表情には驚きとワクワクが隠しきれなかった。
◆三つ目の展示──『世界を守る者たち──エグゼアの系譜』
壁一面に飾られた一枚の絵。
そこには八人の戦士が描かれていた。
それぞれが異なる国の装束を纏い、異なる武具を携え、
全員が、中央に封じられた“黒き影”──魔神アバドス──を取り囲むように立っていた。
「これが……エグゼア?」
レインが絵に見入る。
「八人で、魔神の復活を防いでるってわけか」
その横には、実物大の“エグゼア装備”のレプリカが展示されていた。
赤熱した刀、空を駆ける靴、宙に浮く盾──それぞれに説明文が添えられている。
《選ばれし者のみに適合する特別な装備であり、魂の覚醒により真価を発揮する》
《神の加護と魔の対抗術式が内包されており、通常の鍛冶技術では再現不可能》
「なにこれ……中二病の夢、詰まりすぎじゃん……!」
サヤが笑いながらも、明らかに目を輝かせていた。
レインもつられて笑い、少しだけ真面目な声でつぶやく。
「……俺たちのギルドって、みんなこのエグゼアを目指してるんだよな。いつか俺たちも、こういう存在になるのかな」
その呟きは、空気のように小さく静かに広がった。
──だが、その次だった。
ふたりの足が、不意に止まる。
◆四つ目の展示──『魔神アバドス──不運と死を司る影』
他の展示と違い、ひときわ暗く、重苦しい雰囲気が漂っていた。
黒い幕が垂れ下がる中、ぽつんと佇む石碑。
そこに刻まれていたのは、ふたりにとって見覚えのない──けれど、どこか“知っている気がする”名前。
《魔神アバドス──死と闇と不運を統べし者》
次の瞬間。
ズギッ
「……っ、う……」
「……あたま……っ!」
レインとサヤが、同時に頭を押さえた。
こめかみの奥で何かが脈打ち、遠い記憶を叩き起こそうとする。
目を凝らせば、石碑の表面が揺れていた。
笑っているように、嘲るように──“こちら側”を見ているように。
(これ……なんだ……? 見たこともないのに、知ってる感じがする……)
互いに顔を見合わせたが、言葉は出なかった。
だが、その痛みはすぐにおさまり、まるで何事もなかったかのように消えていく。
「……気のせい、かな?」
「……うん、かも」
「そろそろ出るか」
「……うん」
サヤがそっと腕を引き、ふたりは無言のままその場を離れた。
──展示室の奥で、黒き影がほんの一瞬だけ蠢いたことに、誰も気づくことはなかった。




