ep16 仲間
ギルドの奥へと続く廊下を、ミランダの背中を追いながら歩くレインとサヤ。
静かな廊下には、時折遠くから訓練音のような衝撃音が響いていた。
「……あー、俺の幸せ異世界ファンタジーライフ、どこ行ったんだ……うぅっ」
レインは項垂れたまま、ボソボソと愚痴をこぼしていた。
「なんだよ《運命歪術師》って……魔法も使えないし、武器で戦うタイプでもないし……不運を操るって、前の俺と変わんねーじゃねーかよ……」
「はいはい、ぶーぶー言ってないで、元気出しなよレインー」
サヤは両手を後ろで組みながら、軽い口調で言った。
「ほら、ミランダお姉ちゃんも言ってたじゃん? 成長していけば新しい能力も習得できるって。まだ始まったばっかだし、頑張ろう?」
「……お前は良いよなぁ〜、《幽魂転生者》で《幽終の王冠》? アクティブスキルが3つにパッシブスキルが2つ? はぁ〜……恵まれてるよな……」
「いやまぁそれはそうなんだけどさ。伸びしろがあるって考えばいいじゃん? てか、さすがにへこみすぎっしょ!」
「はぁ〜あ、結局俺の人生……日本でも不幸、異世界でも不幸……やってらんないよ……」
レインは悲劇のヒロインのような表情で空を仰いだ。
そんな彼を見て、ミランダは前を歩きながら振り返らずに言った。
「……見てる限り、二人の能力は“過去の生き方”を色濃く反映してるみたいね。サヤは“最強の幽霊”……だっけ? そしてレインは"不幸な人生"。その魂に刻まれた記憶がそのまま職業として現れてる。特にサヤの睨んだだけで殺せる眼……うん、実に恐ろしい」
「真の英雄は眼で殺すってね~♪」
「恐らく並みの冒険者じゃ手も足も出ないわね」
そんな軽いやり取りをしているうちに、三人は訓練所の大きなスライド式の扉の前に辿り着いた。
中からは時折、ズゥン……と重低音のような振動が伝わってくる。
「……何か音がするな」
レインが怪訝そうに眉をひそめる。
「開けて」
ミランダが冷静にそう告げた。
サヤが不安げにレインの方を向く。
「……一緒に開けるか」
レインとサヤが同時にスライド扉に手をかけ、力を入れて開き始める。
その直後――
「言い忘れてたけど、中にはあんたたちの“仲間”になる子がいるわ」
「え?」
「えっ?」
ズドオォォンッ!!
扉が開かれた瞬間、轟音と共に訓練所の奥から巨大な火炎球が炸裂。
爆発と同時に赤熱の魔力が吹き荒れ、扉の前の三人の視界を一瞬で炎色に染め上げた。まるで空間ごと焼き尽くすかのような火柱が天井まで噴き上がる。衝撃波で床が震え、熱波が肌を刺すように押し寄せた。
「アッツ!!」
「なっ……なに、今の!?」
サヤが思わずレインの肩にしがみつき、レインも呆然と口を開けた。
訓練所全体が煙に包まれ、視界はゼロになる。
「……風よ、舞え」
ミランダの風魔法が訓練所に満ちた煙を吹き飛ばすと――
そこに現れたのは、蒼銀に煌めく髪をなびかせた、気品ある少女だった。
柔らかく波打つロングヘアは、まるで夜空を映したかのような青と銀のグラデーション。その瞳も同じく深く澄んだ水色で、どこか幻想的な光を湛えている。彼女の立ち姿には、一切の迷いがない。静かなる自信と、確かな実力を感じさせる堂々たる佇まいだった。
濃い紺のローブは月の紋章が刻まれた留め具で留められ、裾から覗くのは光を反射して煌く、星屑のような柄のミニスカート。すらりと伸びた脚に黒いブーツを履き、片手には魔力が脈打つ細身の杖を携えている。
サヤとレインは、あまりの凛々しさと幻想的な雰囲気に思わず見惚れ、拍手と歓声を上げるのも忘れて口をぽかんと開けてしまった。
「ちょ、何あの子……すっごい可愛いんですけど……」
「うん……なんかすげぇ魔法だったよな……」
少女は静かにこちらへ向き直ると、少し柔らかく微笑んだ。
「あら、ミランダ先生。思ったより早かったですね」
「ちょっとやり過ぎじゃない? 訓練所ごと燃やさないようにね、ルナベール」
ミランダがやや呆れた声で言うと、少女はこちらへ向かってくる。
「紹介するわ。たった今から、あんたたちの仲間になる“ルナベール”よ。仲良くやりなさい」
ルナベールは、背筋を伸ばし、丁寧にお辞儀をした。
「ルナベール・アイリーンです。職業はウィザード。よろしくお願いします」
「わぉ……なんて礼儀正しい子なのかしら」
「ど、どうも……こちらこそ、よろしくお願いします……」
レインが妙に姿勢を正しながら挨拶を返す。
「何緊張しちゃってるのよレイン」
「し、してねぇよ!」
そんな中、ルナベールが一歩前に出て、不意に言った。
「あの……お二人が、異世界から来たって本当ですか?」
「えっ、な、なんでそれを……」
ルナベールは小さく息を吐くと、懐から魔法道具を取り出した。
それは手のひらほどの蒼い結晶――《幻記結晶》。
「昨晩、ギルドマスターからこのファントムレコードを通じて周知がありました」
起動とともに、空間に淡い光が浮かび上がる。
ギルドマスター・フレアの立体映像が再生され、真剣な口調で何かを語っていた。
サヤとレインは顔を見合わせ、同時に苦笑する。
「……まぁ、一応そう……かな?」
「なんか一緒にこの世界に飛ばされちゃってさー、あはは……」
サヤが少し困ったように笑って返すと、ルナベールの表情がすっと引き締まる。
「証拠はありますか?」
その場に一瞬の沈黙が訪れる。
「え?」
「……えっ?」
「異世界から来た証拠を、見せてください。でなければと、私はあなたたちを“仲間”だとは認められません」
訓練所の空気が、一気に凍りついた。
ルナベールのまっすぐな瞳が、レインとサヤを射抜くように見つめていた。疑いではない。信じるために、彼女は“確かな何か”を求めているのだ。
ルナベールの後ろでミランダが頭を抱えた。
「え、証拠って言われても……」
レインが困ったように視線を宙に泳がせる。
「スマホとか持ってくればよかったねぇ……」
サヤがボソッと呟くが、もちろんそんな現代的な物は一緒に転生してきていない。
「二人は今までに存在しない、特別な職業を持っているわ。そして、これからその能力を確かめるところだ。それでどうだ?」
ミランダが静かに口を開き、ルナベールの問いに応じる。
ルナベールはしばし黙考し、そして頷いた。
「ではその能力を見せてください。それが“真実”なら、わたしは納得します」
「よし……サヤ」
ミランダが視線を送る。
「見せてやれ。《幽魂転生者》の力を」
「え~いきなりぃ? 心の準備ってものがぁ……」
頬を膨らませるサヤだったが、すぐにパッと表情を切り替え、拳を握りしめて気合を入れる。
「まぁいいか!ウチ、こういうの得意だし。よーし!じゃあそれ見て、ちゃんと仲間になってよね、ルナたん!」
「ル、ルナたん!?」
ルナベールがわずかに眉をぴくりとさせたが、サヤはもうお構いなしだ。
ミランダが、指先で軽く空中をなぞる。すると――魔法陣が訓練所の中央に描かれ、魔力をまとった霧が凝集し始める。
「召喚魔法:《猪龍王バルグ》」
ミランダの低く響く詠唱とともに、霧が一気に爆ぜる。
ズンッ……!
濃密な魔力の塊が地を揺るがし、霧の中から現れたのは――
真紅の体毛を持つ、全長三メートルを超える巨大な猪の獣だった。蹄が地を踏むたびに震動が走り、牙は小さな剣のように鋭い。
「うわ……でっっか……!」
レインが思わず身を引き、サヤのほうへ目をやる。
「さ、サヤ、大丈夫か……!? 無理するなよ!」
「大丈夫大丈夫、任せといて。ウチがただのギャルじゃないってところ見せてあげる♪」
その言葉とともに、サヤの瞳が――スッと細められる。
「……いっくぞー!」
その瞬間、レインは息を呑み、ルナベールも思わず身を固くする。ミランダは腕を組んだまま、真剣な眼差しでサヤを見据えていた。訓練所の空気が、ピリッと張り詰める。
「必殺! デス……ゲイザー☆彡」
サヤは叫びながら勢いよく腰をくねらせ、片手をピースサインにして目の横で構える。軽く足をクロスさせたポージングでウィンクをきめながら、ギャル全開のノリでニッと笑った。
……だが、何も起こらない。
沈黙。
「……あれ?」
「なんですかそれ。真面目にやってますか?」
ルナベールが呆れた声を漏らす。
「 真面目にやれー!」
レインも思わずツッコミを入れた。
「えぇ〜やってるよぉー? おっかしいなぁ〜〜〜、ウチ的にはそれっぽい雰囲気出してるんだけどな〜〜」
頭をかきながらサヤが苦笑する。
「力は内にある。感じなさい、自分の奥に流れる魔の波。そして、それがどんな形を望んでいるのかを――描くのよ」
ミランダが助言する。
「描くって言っても、こう、目からビームで、ビー!って感じでやってるんだけどさー」
サヤが何度か猪を睨んでみるが、結果は同じ。何も起こらない。威勢よく構えたピースポーズも、煽りウィンクも、ただ空回りに終わっていた。
「……あれぇ~?」
肩をすくめるサヤ。まるで拍子抜けしたような空気が、訓練所を包み始める。
その様子を見たルナベールは、ふっと瞳を伏せ、深く小さく息を吐いた。
「はぁ……やはり証拠は見せられないようですね」
その声は冷たくはあったが、怒りではなく――“失望”だった。
「私……てっきり、特別な力があるからこそギルドマスター直々に迎えられたのだと思っていました。けれど……今の姿は、ただふざけているだけにしか見えません」
足音を立てずに静かに背を向ける。
「これ以上ここにいても、時間の無駄です。失礼しま」
「サヤ!」
レインが一歩、強く床を踏みしめて前に出た。その叫びは、訓練所の空気を震わせるほどの真剣な響きを帯びていた。
「俺を……呪い殺した時のことを思い出してみろ!」
その場の空気が、一瞬、ピリリと張り詰める。
ルナベールもミランダも、わずかに目を見開いた。
「お前はもっと……いや、とんでもなく怖かった!人を闇に引きずり込むような、ゾッとする空気を纏ってた! あまり細かくは覚えてはないないけど、目を合わせた瞬間、心臓が凍るような! あの時の……“幽霊”だった時のお前を思い出せ!!」
その言葉に、サヤの瞳がゆっくりと閉じられる。
静寂。
彼女の表情から、軽さや冗談めいた色がすうっと消えていく。
まるで空気が変わったかのように、空間がひやりと冷たくなった。
――そう、まさに“死”の気配。
「……あの時のアタシ……サヤ子……。世界を震撼させ、恐怖に陥れた最恐の幽霊――」
ズンッ!!
重く、地鳴りのような気圧が空間を包む。
空気がねじれ、訓練所全体に、圧倒的な“死の気配”が満ちていく。
ルナベールが息を呑み、思わず一歩後ずさる。
「な、なに……これ……っ……!?」
ミランダすら、顔をこわばらせていた。
「とてつもない……魔力……。違う、これは魔力だけじゃない……!」
青黒いオーラが、サヤの全身から吹き上がる。風が逆巻き、まるで空間が“彼女”を中心に反転し始めたかのように。
——キイィィィィィィンッ
金髪は漆黒に染まり、褐色だった肌は青白く変化していく。服装は白装束に変わり、額には白い三角巾。完全に“日本の幽霊”そのものの姿へと変化していた。
「まさか……これが真の姿だというの!?」
ルナベールが恐怖に顔をこわばらせる。
「こいつが……幽霊というやつか……!」
ミランダも驚愕を隠せない。
レインは目の前の光景に、身震いしながらも笑った。
「そうだこれだ……俺が死の間際に見たサヤ子の姿……! お前の力を見せてやれ!」
レインの叫びに応えるように、サヤは瞑っていた目を大きく開き、まっすぐに猪を視界に捉えた。
「……《呪いの眼差し》」
その瞬間、猪の体がビクンと震えた。
目を白黒させ、白目を剥き、泡を吹き、まるで悪夢に飲まれたかのように痙攣し――
ズドォン
そのままバタリと仰向けに倒れ込む。
訓練所にも静寂が落ち、倒れた巨大猪の亡骸を前に、誰一人言葉を発せずにいた。
その中心で、幽霊の姿に変貌したサヤが、ちょこんと首をかしげて口を開く。
「あぇ? なんか出来ちゃった♪」
無邪気なその声は、重苦しい空気をさらに異質なものに変えていた。
ルナベールは、凍りついたようにその場から動けなかった。
(なに……今のは……!?)
視界の端で倒れた猪が、完全に呼吸を止めている。幻影とはいえ、その“死”は確かなものとして場に刻まれていた。
彼女の中で、魔法の常識が音を立てて崩れていく。
(あれは……魔法じゃない。殺気でも、戦闘技術でもない。まるで“死”そのものが、具現化して襲いかかってきたような……)
ルナベールの胸を、冷たい戦慄が這い回る。その異様な圧力と存在感は、明らかに“この世界の常識外”だった。
(この子……本当に、異世界の存在なの……?)
一方、ミランダもまた驚愕に言葉を失っていた。
(……とんでもない。これが……あの子の《幽魂転生者》の力……!?)
ギルドで数多の魔法使いや戦士を見てきた彼女ですら、今の“死”の演出には底知れぬ恐怖を覚えていた。
(間違いない。この力はおばあちゃんが言っていた例の——)
けれど――その場でただ一人、サヤの姿を見て笑っている者がいた。
レインだった。
頬にうっすらと笑みを浮かべ、サヤの異形の姿を見つめる目は、どこか誇らしげですらあった。
(これだ……これが俺を殺したときの、あの目だ)
あの恐怖を、再び味わっているはずなのに。なのに、胸の奥に広がるのは恐れではなく、妙な安心感だった。
(このとんでもないのが俺の相棒ってのは……悪くないかもな)
誇張でも誤魔化しでもない、“本物”を見せつけてくれた――そのことに、どこか胸が熱くなるのを感じていた。
幽霊姿のまま、ふぅと息をつくサヤ。
「びっくりしたでしょ? これがアタシの本気の《呪いの眼差し》ってやつよ。怖すぎ注意ねー♪」
その口調とは裏腹に、空気はまだ完全には解けていない。訓練所を包むその余韻は、“この場に生きる者”でさえも、死の冷たさを肌で感じるほどの迫力だった。
ミランダとルナベールは、まだ言葉を見つけられないまま、ただその異様な少女を見つめ続けていた。
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