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微睡む流砂の遺産  作者: 橘 塔子
第六章 流れゆく先
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砂と海との会見

 浜辺沿いの道を進んで行くと、やがて沖の方に大きな船影が望めるようになった。

 数は四隻、高い三本の帆柱を備えたそれらは立派な帆船である。イーイェンの船に間違いなかった。代表団は小舟に乗り換えて、すでに上陸しているのだ。


 彼らが会見の場所に指定したウィチク村の浜には、十数艘の漁船が引き上げられていた。いずれも二、三人乗るのが精一杯の質素な小舟であった。舟の傍には、釣果であろう魚や海藻類が天日干しにされている。

 浜から坂道を上った先に、質素な木造住宅がひしめき合うように密集した村がある。百名ほどの漁師とその家族が暮らす、ごく小さな集落である。

 そこは濃い臭いがした。海風に混じった潮の香りが溜まり、何倍にも凝縮されている。砂漠の民には生臭いとすら感じられるその臭いが、リリンスは不思議と不快ではなかった。むしろ強い生命力を体感するようで心地よい。


 集落に足を踏み入れた彼女は、馬上から興味深げに村の様子を眺める。細い道を挟んで、似たような小さな家々が並んでいる。軒先には漁で使う網や銛が干されていた。浜で見かけたような干し魚を吊るしている家もあった。

 それにしても、静かだ。浜から魚を運ぶ漁師も、道端でお喋りする女たちも、網の繕いをする老人の姿もない。しんと静まり返った真昼の漁村を、百騎あまりの隊列が進む光景は異様であった。

 リリンスの後ろを進むナタレは、浜に並んでいた舟を思い出した。あれだけの数の漁船が陸に戻っているのなら、ほとんどの漁師は村にいるということだ。この時刻に漁が終わったとは考えにくく、おそらく男たちは海へ出ずに待機しているのだろう。

 そう意識すると、固く閉ざされた家々の窓や扉から、警戒心の籠った視線を感じる。村人は誰もが息を潜めて、招かれざる客を監視しているのだ。


「どうやら歓迎はされていないようだな」


 ウーゴが嘆息混じりに言うと、先導するカサカは動揺もなく答えた。


「ここの住民にはイーイェンから渡って来た人間が多い。あなた方は余所者なのです」

「周囲は敵ばかりか。実に楽しい状況だね」


 そう広くもない村の中央部に辿り着くと、他の民家よりひと回り大きな家が現れた。といっても、大きいだけで飾り気のない土壁の住宅である。

 玄関先で初老の男が待っていた。イーイェンの言葉でカサカと一言二言交わし、扉を開く。その視線は、やはり用心深げにリリンスたちに注がれている。

 カサカは馬から下りて淡々と指示した。


「ウィチクの村長です。王太子殿下と、随行者は四名のみお入り下さい。中で連合総長がお待ちです。他の方はこちらでお待ち下さいますよう」

「それでは殿下の警護に十分ではない。イーイェンの代表団が殿下に危害を加えぬと、保証でもあるのか?」


 さすがに承服しかねるナタレを、リリンスはいさめた。


「こちらは招かれてる立場よ。従いましょう。何かあったら、外のみんなが大暴れしてくれるでしょ」


 他の民家にイーイェンの伏兵が忍んでいたら、あっという間に包囲されてしまう――その恐れはあったが、リリンスの意向には従わざるを得なかった。

 結局、ウーゴとハザンとナタレ、そして王軍の通事が彼女に付き添って村長宅に入った。

 




 客間のテーブルの向こうに座っていたのは、まだ二十代と思われる若い男だった。短く刈り込んだ頭髪、濃い眉毛と鷲鼻の厳つい顔立ち、浅黒く焼けた逞しい体躯は漁師と言っても通る。


「イーイェン連合の代表、シキ総長です」


 カサカに紹介されて、リリンスはまじまじと相手を眺めた。

 彼が着ているのは薄い木綿でできた服で、袖も裾も短い。砂漠とは暑さの種類が違う海洋には、こういった服装が適しているのかもしれなかった。そのくせ、光沢のある巻貝を細工した首飾りを、その猪首に何重にも巻いている。

 彼の後ろに並んで控える随行者たちも、同じような格好をしていた。総長と同年齢くらいの若者から白髪混じりの中年男性まで、総勢十名ほどの人間が並んでいる。意外なことに、黒髪をきりりと束ねた若い女の姿もあった。


 こちらよりも頭数を揃えてきたな、とナタレは不機嫌な表情を隠さずに彼らを睨み据えた。狭い客間は彼らの運んで来た潮の香りで満たされ、息苦しいほどだった。

 ナタレの不安をよそに、リリンスは落ち着いた物腰で話しかけた。


「はじめまして、シキ総長。オドナス王国王太子、リリンスと申します。本日はお招きありがとうございます」


 カサカがそれを南洋語と呼ばれるイーイェンの言葉に訳して伝える。シキは椅子から立ち上がりもせず、にやりと笑った。


「えらく可愛らしいお嬢ちゃんだな。オドナスの男はこんな娘っ子にタラシこまれるほど女日照りなのかい?」


 とんでもなく下品な物言いに、カサカが顔をしかめる。代表団の面々から失笑が漏れたが、リリンスたちには意味が分からない。王軍の通事が、


「お美しい王太子殿下だと……オドナスの民が忠誠を誓うに相応しいとおっしゃっています」


 と訳して伝えた。南洋語での密談を防ぐために同行した通事とはいえ、直訳するのははばかられる内容だった。

 リリンスはにっこりして、向かい合う椅子に腰掛けた。堅く粗末な木の椅子である。

 通事が脇に控え、ナタレとウーゴとハザンは背後に並んだ。自然と、手が腰の剣に伸びた。

 冷ややかな緊張が降りる中、リリンスの声は鈴を振るように明るかった。


「海を初めて見ました。広くて青くて……とても綺麗ですね」

「今日は波が穏やかだからな。だが海は気紛れだぜ、嬢ちゃん。綺麗なのはほんの上っ面だ。前触れもなく怒りだして、陸を飲み込むこともある――あんたの住む砂漠すらな」

「砂漠も昔は海の底だったと聞いたことがあります」

「ふうん、不思議はねえな。そんな海は、俺たちの領域だ。砂の民の立ち入る場所じゃない」


 通事はごく丁寧に訳したが、シキの表情や口調からは無遠慮な侮蔑が感じ取れた。王女が見縊られているように思えて、ナタレはひどく嫌な気分になる。隣を見ると、ハザンもウーゴも眉間に皺を寄せていた。

 けろっとしているのはリリンスだけだった。鷹揚なのか鈍感なのか、相手の悪意に拘る様子は見せない。


「もっとお話を聞きたいところなんですが、そうのんびりもしていられないので本題に。オドナスの内乱はご存じですよね。なぜこの時期に、私と会って下さったのでしょうか?」

「そりゃ逆に訊きたいね。何を話すつもりでここに来た? 罠かもしれないのに」

「私はあまり腹芸が得意ではないの。だから単刀直入に申し上げますね。私の味方をして下さいませんか?」


 あまりに率直な依頼で、ナタレたちは失望の気配を隠すのに苦労した。交渉事には不慣れなリリンスに複雑な駆け引きはできないと分かっていはいたものの、まさかここまで直球を放つとは。

 そろそろ交代か、とウーゴとナタレは視線を交わす。軍事面に限り、ウーゴは将軍から交渉を一任されてきた。

 通事が訳すと、案の定シキはぷっと噴き出した。


「あんたに味方して、俺たちに何の見返りが?」

「オドナスに恩を売れる好機ですよ。イーイェン連合との貿易に関して、今以上に有利な条件をお約束します」

「その程度じゃ、同胞の血は流せないなあ」

「実戦に加わって頂く必要はありません。ただ海上から威嚇して下さればいいんです。あなた方が我々の側に着いたと知らしめれば、賊軍への威圧になります」

「賊軍、ねえ……血を分けた実の兄にずいぶんな言いようだな」


 シキは頭を掻いて、テーブルの上で両手を組んだ。剣を持つ者だからか、節くれ立った指に飾りの類はない。ただ右手の小指にだけ、見事な金の指輪が嵌められていた。粗野なこの男には似つかわしくない、真珠を埋め込んだ華やかな細工の装飾品である。

 リリンスはその指輪に目をやりながら、


「兄は……第一王子はあなた方に何と?」

「同じだよ。俺たちの加勢を求めてきた。自分が国王になった暁には、これ以上の海洋侵出はしない、イーイェンの海軍に沿岸の警備を任せたい、と仰せだ」


 どこまで本心か分からねえがな、あの若造、とシキは毒づいたが、通事は訳すのを控えた。


「あのな嬢ちゃん、俺らはあんたたち家族の内輪揉めには興味がない。が、オドナスの内部がガタついてる状況はやっぱり好ましくないと思ってる。よその国が出しゃばってきて巻き添えを食うのもめんどくさいしな。はっきり言って、上に立つのがあんたでも兄貴でもどっちでもいいんだ」

「どちらにつくのが有利か、見極めるために私に会ったのですね」


 リリンスは溜息をついた。その細い背中がますます小さくなったように、背後のナタレたちには思えた。彼女は幼い頃からアノルトを尊敬していた、その兄と比較されて急に自信を失ったのではないかと、ナタレは心配する。

 しかしリリンスは軽く首を振って、すぐに続けた。


「ですが、お忘れなきよう。私は王太子であって国王ではありません。オドナスの君主は父セファイドです。この戦の当事者は、国王とそれを裏切った王子です」

「将来を考えれば、跡継ぎ二人を比べた方がいいだろ」

「こちらの要求は伝えました。次はイーイェンが答えを出す番です。オドナス国王と第一王子、いずれに味方するか、あるいは中立を貫くか……決めて下さい」


 ぐいと身を乗り出したリリンスは、強い輝きを大きな瞳いっぱいにみなぎらせていた。

 シキは軋む背凭れに身を預けた。彼女の視線を避けた、とも取れる。


「ああ、そっちの意向はよく分かった。数日中に返事をするよ」

「今ここで、ご返答を」


 リリンスは畳み掛けた。


「悠長に返事を待っている時間は、私たちにはないんです。もし駄目ならば、あなた方が私を捉えて第一王子に差し出す前に、さっさと逃げ帰らなければ。こちらも命がかかってるんですよ。だから総長、早くご返答を」


 駆け引きもへったくれもない、味方の懸念を全部晒した要望だった。リリンスの可憐な容貌と相まって妙な迫力があって、シキは嫌そうに顔を逸らした。


「すぐには決められない。いったん島に戻って……」

「決められるでしょう、総長なんですから。その権限はお持ちのはずです。それとも本当に私たちを罠に掛けたの?」

「ったく、ぎゃんぎゃんうるさい小娘だなあ!」


 会話の速度が速くて、通事はついそのまま訳してしまった。

 やはりこいつ無礼な口を、と護衛たちは気色ばんだ。思わず剣を抜きかけるナタレの手を、素早くハザンが押さえる。

 彼らの殺気に反応して、イーイェン側にも不穏な空気が流れた。棘のある視線がぶつかり合い、宙で火花を散らすようだった。


 青くなる通事の前で、リリンスは薄く笑った。無邪気とすら思えた今までの態度が嘘のような、大人びた笑みだった。


「……やっぱり決められないのね、あなたには」

「何だと」

「当然だろうな――貴様は偽物なのだから」


 全員がギョッとしてリリンスを見た。彼女の口から出たのは、流暢な南洋語だったのだ。


 汚れた旅装束の王女は、射抜くようにシキを見据えている。彼はあまりのことに息を飲み、ようやく言葉の内容に気づいた。


「に、偽物だ!? 何を根拠に……」

「やはり、そうか。貴様は本物の連合総長ではない。何の決定権も持たぬ、ただの身代わりだろう」


 リリンスの喋る南洋語はひどく堅苦しかった。こういう修辞しか習っていないのだろう。花弁のような唇から紡がれる尊大な言い回しを、通事が慌ててナタレたちに翻訳した。

 彼女は再び大きく息を吐く。今度は心底呆れかえったような溜息だった。


「私が誤魔化せると思ったか? 名もなきイーイェンの兵士よ。義を通し礼を尽くして赴いた我々に対するこの仕打ち――イーイェンの礼儀はよく分かった」


 一方的な罵倒に、シキは言い返そうとして――できなかった。彼が声を発する前に、リリンスが思い切りテーブルを蹴飛ばしたのだ。

 重い木のテーブルが横にずれ、床と擦れて音を立てる。乱暴と言うも愚かな王女の振る舞いに、再び全員が呆気に取られた。


「ふざけるな! 貴様が愚弄したのは私ではなく父上、オドナス国王だぞ! 私はこれを我が国への挑戦として陛下に伝える。逆賊を討ち取った後はイーイェンだ。何年かかろうと、オドナスは貴様らを海の藻屑に変えてやる」


 リリンスは立ち上がって、細い腕でシキの胸倉をぐいと掴み上げた。


「それが嫌なら、とっとと島へ帰って本物の総長を連れて来い! オドナス王太子を激怒させていらぬ戦いの種を蒔いたと、得意げに報告するがいい」

「殿下、殿下、どうかもうその辺で……」


 見兼ねてナタレがいさめに入る。リリンスの警護のはずが、これでは逆だった。か弱げな少女に締め上げられて、シキは目を白黒させている。

 リリンスは紅潮した顔をシキに近づけ、低い声で言った。


「それからな、二度と私を『嬢ちゃん』と呼ぶな。今度言ったらその舌引っこ抜いてくれるぞ。この…………め!」


 最後の一言は、なぜか通事が訳さなかった。


「……もういい。その娘はおまえの手には負えないよ、ニーザ」


 険悪な空気を、涼やかな声が切り裂いた。


 顔を上げたリリンスの前へ、イーイェンの代表団の中から一人が進み出た。

 その人物を見て、リリンスは大きく目を見開く。


「おっかねえ女……」


 総長を名乗っていた男はようやく解放されて、ぶつくさ言いながら席を立った。

 代わりに椅子に座ったのは、長い黒髪を束ねた若い女だった。


「非礼を詫びよう、リリンス王太子殿下。私が本物のイーイェン連合総長シキだ」

「通事」は通訳のことですが、注釈を加えなくても分かるでしょうか。


リリンスがなぜ影武者を見抜いたか、なぜ南洋語がぺらぺらなのか、次話で種明かしします。

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