淑女たちのお茶会
リリンスの自室は、今日は朝から賑やかな笑い声に包まれていた。
「まあ、では裾の短いお衣装を着ている方は、市中にもそうはいらっしゃいませんのね?」
「そうなのよ。最先端すぎてまだ受け入れられてないみたい。でもよかったら仕立屋を紹介するわよ? 後宮で流行ったら、お父様きっと喜ぶわ」
「それはいい考えですわ!」
「私も! 私もぜひ!」
後宮の女たちがみな短い丈の服を着て足を見せながら歩いたら、父を含め男どもは喜ぶだろうけれど、母が絶対に許さないだろうなあ、とリリンスは内心舌を出した。
部屋に集まっているのは後宮の妾妃たちだった。人数は五人ほど。リリンスを囲んで長椅子や絨毯の上に座り、茶を飲みながら会話に興じている。
謹慎を命じられたリリンスの機嫌伺いに、昨日から入れ替わり立ち代わり、妾妃たちが彼女の部屋を訪問しているのだった。普段おいそれと後宮の外へ出られない女たちであったが、正妃が特別に許可を出したらしい。
王女に媚びを売ったところで自らの立場が有利になるはずもないと知っていて、それでも妾妃たちはぞくぞくとリリンスの元を訪れた。明るくてお喋りで庶民的なリリンスは、後宮の女から妙に人気がある。それに無断で王宮を脱出した王女の噂はすでに後宮にも届いていて、彼女らは一様に興味津々の様子だった。
妾妃たちの纏った衣装の煌びやかな色合いと、香水と化粧の匂い――後宮で感じるそれにはどことなく生々しさがあって、若いリリンスはまだ苦手だったのだが、この明るい居間に場所を移すとさほど気にならないのが不思議だった。『職場』から離れて彼女らも余計な気負いがないのかもしれない。
邪魔にならぬようさりげなく、キーエたち侍女が茶を補充して回っている。白い磁器の茶碗の中で、濃く煮出した茶が湯気を立てていた。その渋みを、リリンスは最近になってようやく美味しいと思えるようになった。
「それで、ナタレ様は姫様を命懸けで守ったのですね!?」
一人が目をきらきら輝かせながら訊いた。他の者たちも一斉に身を乗り出して、興味深げに答えを待っている。リリンスは側頭部を掻いた。
街の様子や巻き込まれた荒事について、彼女らは実に無遠慮に質問をぶつけてくる。訪問者が替わる度に同じような内容を訊かれ、リリンスは少々辟易していたものの、その無神経さに救われているのも事実であった。気を遣われて腫れ物に触るように扱われるよりはずっといい。
「命懸けっていうか……うん……一生懸命に戦ってくれた」
「とってもお強いってお聞きしていますけれど?」
「そうね……でも私が足手纏いになっちゃって、彼は酷い怪我を」
小声になってしまったリリンスの頬の痣は、すでにほとんど消えていた。念のため白粉をはたいているので、まったく分からない程度になっている。
王女の気まずさを知っているのかどうか、妾妃たちは、
「身を挺して姫様を庇ったのですね! 名誉の負傷だわ。まるで物語のよう」
「決して手の届かぬ姫君への、まさに献身的な愛ですわ! あんな素敵な方に想われて羨ましいこと」
などと無邪気にはしゃいでいる。完全に野次馬的立場なのだった。
「あ、愛って言わないでよね。ナタレは責任感で守ってくれたわけだし……て、え? ナタレって人気あるの?」
彼女らの言葉から明らかな羨望を感じ取ったリリンスは、訝しげに首を傾げる。女たちは揃って大きく肯いた。
「ご存じありませんの? 国王侍従の方々はみなお若くて優秀ですけれど、ナタレ様はその中でも際立っていらっしゃいますもの」
「そうそう、お顔立ちが綺麗で、細いのに身体つきが精悍で、動きが颯爽としていて、礼儀正しくて」
「少し陰のあるところもいいですわよね。王都の貴族にはない魅力ですわ」
と、顔を見合わせてころころと笑う。
父親の愛人たちのあっけらかんとした会話に、リリンスは少し呆れた。侍従は国王の随行で後宮に出入りする機会があるから、接点も多いのだろう。
にしても、国王の寵を競う立場にありながら、横目でしっかりと若い男を捉えているとは恐ろしい。
「それにね、ナタレ様、あれで結構可愛らしいんですのよ。陛下のお供で後宮にいらっしゃった時なんか、ねえ」
一人がさも可笑しそうに口元を押さえ、同意を求められた他の妾妃も意味ありげに肯く。女の艶を含んだその視線に、リリンスは嫌な予感がした。でも、聞きたい。
「陛下がお帰りになるまで居間で待っているのだけれど、まあそれが、ずいぶん緊張したご様子で」
「一晩中、部屋の隅っこの椅子に腰掛けてじっとなさっているようなの。侍女の話ではお茶もお飲みにならないって」
「だからこちらも、何となく隣室が気になってしまって、集中できませんのよ」
「あまり物音を立てたり……声を出したりするのも憚られて。陛下は面白がっておいでのようですけど。どうせならあいつも混ぜるか、なんておっしゃって」
彼女らの会話の意味はリリンスにも分かった。後宮の部屋を訪れた国王が、寝室で愛妾と過ごしている間、侍従は続きの居間で待っていなければならない。いくら広い間取りとはいえ、風通しのいい王宮のこと、隣室の気配は否応なしに伝わってくるだろう。成人していてもまだ若いナタレにとっては、少々刺激の強いひと時であるはずだ。
ナタレに何てことさせてるのよ――リリンスは顔を赤くしながら、父親の振る舞いに憤った。女の人とよろしくやってるすぐ傍に控えさせるなんて!
ませたところがあってもやはり十六歳の少女らしく、嫌悪と恥じらいと少しばかりの興味に、王女は複雑な表情を浮かべる。そんな気持ちが伝わって、妾妃たちはそれぞれ美しい口元に好もしげな微笑みを刻んだ。姉が妹に向けるようなそれであった。
どの娘も、後宮に入った当初は見目麗しくはあるが初心な感じなのに、半年も経つうちに見違えるほど磨かれる。そして神経が太くなるようだ。隣室に若い侍従が控えていても、ほとんど気に留めずに国王の相手が務められるほどに。
というか、お父様はもともとそういう性格の女性ばかりを集めているんだわ――リリンスは居心地の悪さを感じながら、皿に高く盛られた砂糖菓子をひとつ摘んで口に放り込んだ。
がさつなのは駄目だが、繊細すぎても妾妃は務まらない。情が深すぎる女も向いていない。彼女らが国王の子を産むことはあり得ず、だからこそ一、二年で暇を出されるのが通例だからだ。その辺り、国王は実に公平である。
ならばその後にどれほどの男へ降嫁されるか――彼女らがしたたかに狙っているのはそこなのだった。退職金を元手に商売を始めた女傑もいるにはいるが、もと後宮の女は花嫁として引く手あまたなのである。
大切な帯を破られて取り乱したカガラのように、後宮にいる間、彼女らが国王を心から慕って尽くしているのは確かだ。だがそれは一生添い遂げたいという類の感情ではないらしい。
国王の寵愛を競うのも他の同僚たちへの優越感を得るためで、あわよくば側室になどと目論む者はいない。また国王も、そういった期待を抱かせる振る舞いはしないのだ。
「このお菓子、美味しいですわ。どうやって作るのかしら?」
「私、菓子職人に知り合いがいますの。今度訊いてみますね」
リリンスの目の前で、今、妾妃たちは楽しそうに歓談し、和やかに笑い合っている。しかしその実、陰では結構な悪口を言い合っていることをリリンスは知っている。
カガラを嵌めようとしたエバリンのように、悪意を持って同僚の足を引っ張る者は少なくなかった。といって他の者を潰しても自身の権力が増すわけではなく、彼女らがそうしているのは単に相手が気に入らないからだ。女ばかりの閉鎖的な集団では、当然にこういったことが起こるのだろう。
だからこそ、正妃や側室たちの監視の目が重要になってくる。
何だか不毛――でも絶妙な均衡だわ、とリリンスは苦笑いした。
彼女が嫁ぐであろうアートディアス帝国では、厳格な一神教が信仰されている。大らかなオドナスとは違い、皇族といえども婚姻は一夫一妻制で、後宮のような場所はない。その事実を知ってリリンスは安堵していた。自分にはとても管理しきれない。
ただ彼女らの割り切った図太さはいっそ爽やかで、リリンスが嫌悪を感じることはなかった。利害関係のない第三者だからかもしれないが、こうやって馬鹿話に興じているのは純粋に楽しかった。
その後お喋りの話題は、王宮の噂話から、若い衛兵の話、街で流行っている芝居の演目、最新の美容法へと目まぐるしく移っていった。
「私ね、気付いたんだけど、コダヌは朝じゃなくて夜に飲んだ方がいい、絶対!」
リリンスは力説した。コダヌとはある木の根を煎じた苦い飲み物で、美容と健康にいいとされている。
「寝る前に飲むのよ。牛乳と一緒に」
「まあ……考えただけで不味そうだわ」
「そりゃ不味いわよ、臭いし。でもね、飲んで寝ると翌朝、すっごくお通じがいいの!」
「すっごく、ですか?」
「うん! もう自分でもびっくりするくらい出る出る。お肌の調子もよくなるのよ。お勧めよ」
女性ならではの悩みは共通している。熱心に聞き入っていた妾妃たちは、一様に興味を惹かれたようだった。今夜から、後宮に勤める女官たちはコダヌと牛乳を配って回る羽目になるだろう。
「あとね、もうひとつとっておきの便秘解消法があって……」
リリンスが勿体をつけて声を潜めた時、周囲の女たちが急に身を強張らせた。リリンス本人ではなく、彼女の顔の後ろに視線が集まっている。
彼女が怪訝に思うより先に、
「面白そうなお話ですね」
と、のんびりした声が背後から聞こえた。
振り返った視線の先で、楽師は涼やかな微笑みを浮かべていた。楽器の他に、今日は布の包みを抱えている。
リリンスは慌てて口元を押さえた。出る出る、などと聞かれていなかっただろうか。抗議の意を込めて部屋の入口に控えるキーエを睨むと、侍女は肩を竦めた。
「何度も声をお掛けしましたよ。姫様、お喋りに夢中で」
何かこんなこと以前にもあったな、と顔をしかめるリリンスをよそに、思わぬ人物の登場に妾妃たちは色めきたった。喘ぐような溜息を漏らしてサリエルを眺め、衣服の裾の乱れをいそいそと直す。それでも彼から目を離さない。
女ばかりの寛いだ空気に、甘酸っぱいものが混じったようだった。
「サリエル様……このような所でお会いできるなんて!」
「まあ私ったらこんなはしたない格好で」
「何て幸運なのかしら。お招きしてもなかなかいらして下さらないのだもの」
王女そっちのけでサリエルを取り囲んで、口々に話しかける。
「申し訳ありません、ご招待が多くて。いずれ必ず伺います」
サリエルの対応は公平で、どの女にも等しく視線を向けているようだった。笑顔も振る舞いも非常に自然で、誰にも違和感を感じさせぬほど慣れている。この場で誰か特定の者を依怙贔屓すれば争いの種になると心得ているのだ。
さすがは『暁月の君』だわと感心するリリンスに、サリエルは手にした布の四角い包みを見せた。
「姫様、頼まれていた物をお届けに上がりました」
「ありがとう!」
リリンスは長椅子から立ち上がって、その包みを受け取った。中身は書籍なのでずっしりと重い。
「それから、他の方からも言付かった物があるのですが」
「何?」
首を傾げるリリンスの前で、サリエルは周囲を見渡した。それで彼の言わんとするところを感じ取り、
「みんな、そろそろお開きにしましょう。今日は楽しかったわ」
と、彼女は賑やかな客人たちを追い出しにかかった。実際、お茶会が始まってから結構な時間が経過していた。
あからさまに不満げな表情を浮かべる妾妃たちの前で、わざとらしくサリエルの腕に手を絡ませて見せたのは、ちょっとした優越感を感じるためだった。
「ごめんなさいね。私、これからサリエルと話があるの――二人っきりで」
小娘の悪戯心だと誰もが分かっていても、女たちの間に、殺意にも似た冷たい焔が一瞬燃え上がった。
サリエルは困ったように溜息をついたが、そういう嫉妬心を向けられることが、リリンスには少し心地よかった。
妾妃たちが渋々と、それでもいちおう礼儀正しく挨拶をして部屋を出て行くと、キーエが間仕切り布を閉めるのを確認してから、リリンスはサリエルの腕を離した。
「仲がよろしいんですね、後宮のご婦人方と」
「あなたもね。あんまりモテすぎるとお父様の恨みを買うわよ」
腰に手を当てて半ば本気でそう忠告するリリンスに、サリエルは小さな包みを差し出した。
「なあに、これ……?」
片手に載るほどの木綿布だ。リリンスは不思議そうにそれを開いた。
中から現れたのはひとつの装飾品だった。真鍮製らしい細い鎖の先に菱形の台座、そして深い真紅の小さな石。鎖の長さからして首飾りだろう。細工も石の質も、それほど高価には見えない慎ましげなものだ。
リリンスはその首飾りに見覚えがあった。
「サリエル、これもしかして……」
「ナタレから預かりました。姫様に渡してほしいそうです」
彼女の大きな目が見開かれ、頬に朱が上り、それから口元が緩んだ。抑えようとしても抑えきれない笑みが顔いっぱいに広がる。
それは確かに、王都の広場の小間物屋で見た首飾りだった。
安い柘榴石の象嵌ながら、リリンスが気に入って手に取った品だ。彼女に買ってやれ、などとナタレがからかわれて――彼は再度足を運んで、わざわざ買い求めてくれたのだろうか。自分のために?
「か、彼は元気だった? 傷の具合は……」
「もう大丈夫そうでしたよ。毎日鍛錬を重ねているだけのことはあります」
少なくとも外出できる程度には回復しているということが分かり、リリンスは心から安堵して赤い石を凝視した。すると、ふいにサリエルが抱えていたヴィオルを床に置き、首飾りを手に取った。
「それから、姫様に謝りたいと言っていました」
彼はリリンスの背後に回り、彼女の首にその首飾りを掛けた。鎖に絡まぬよう長い黒髪をそっと掻き分け、うなじの所で器用に留金を繋ぐ。
一瞬触れた手指は真鍮の鎖以上にひんやりとしていて、リリンスは鼓動が跳ねるのを感じた。
「自分のせいであなたを危険な目に遭わせたと、ずいぶん落ち込んでいるようでしたよ」
「そんなこと! ナタレのせいじゃないのに」
リリンスは勢いよく振り返った。衣服の裾が揺れて、低いテーブルの上の砂糖菓子が散らばった。
「ナタレは私のために戦ってくれた。私のために……人を殺そうとしてくれた。身勝手に巻き込んだ私が悪いの!」
「だったら、それは姫様が直接ナタレに言うべきですね」
怒りさえ籠った必死の口調に、サリエルはわずかに微笑む。
「こそこそしないで、ちゃんと筋を通して、堂々とお会いになればいいと思いますよ。姫様は自由なお立場なのですから――ご結婚なさるまでは」
リリンスは俯いて、胸元で揺れる柘榴石を握り締めた。
ささやかな重みの宝石ではあったが、それを贈った者の真摯な想いをはっきりと感じ取って、彼女の手が温かくなった。
そう――結婚してこの国を出て行ったら、本当にナタレとは会えなくなってしまうのだ。彼にしてもいずれは故郷へ戻る日が来る。
ああやって一緒に街を歩くことは、たぶんもう二度とできないのだろう。
「分かったわ。外に出るのが許されたら私、ナタレと話すね」
最初で最後の思い出を、後味の悪いものにしたくはなかった。リリンスは顔を上げて、彼女らしい、陽光のような笑みを浮かべた。
鈍く疼き続ける胸の痛みを堪えて。




