間違えた少年はそして
「今回の件、すまなかったね」
ヒラクに紅茶を勧めながら、学園長が呟く。
カップに手をつけないまま、ヒラクは彼に「何の件ですか」と視線で問いかけた。
ヒラク達が神器を持ち帰って3日後の休日である。
迷宮から帰還するなり保健室へと運び込まれたハクアだが、彼女の傷は保険医ダスティによってあっさりと治療された。
大事を取ってという理由でここ三日は授業に出ていないが、後遺症などは無いそうだ。
「娘の件だ。彼女の、あー、暴走を止められなかった」
思い返すヒラクを前に、学園長は言葉を選びながらそう言った。
ハクアの計画……もしくは暴走の顛末は、既に学園長の知るところとなっている。
物のついでという訳ではないが、ネブリカ盗難の件に関しても、証拠と同時に提出してあった。
「書類とかはキチンと仕舞いましょうね!」
そもそもの発端は、学園長が重大な予言書を放置していたことが原因だ。
腰に手を当てたリスィは、迫力のない顔で彼を睨んで紅茶を飲み干す。
前回学園長が呟いていた妖精用のカップが、今日は用意されていた。
「うむ……妻にもよく叱られたものさ」
困り顔で笑いながら、学園長もまた紅茶を口にする。
親指ほどの大きさのカップにこぼさず紅茶を注げるのだから、おそらくこの人もただ者ではないのだろう。
思いながら、意地を張っても仕方ないと考え直しヒラクも紅茶を啜る。
「見えるところにわざと放置してるのかと思ってました」
それでも零さずにはおれず、チクリと言葉を重ねた。
すると学園長は、珍しいものでも見るように目を見張り応える。
「まさか。私がイタズラをするのは生徒だけだよ」
「すごく不適切なセリフです!」
唇にイタズラな笑みを浮かべ、そんな事をのたまう学園長。
それにリスィが悲鳴のような声を上げる。
「……娘さんも生徒ですよ」
出来れば生徒へのイタズラも勘弁してもらいたいのだが。
思いながら、ヒラクは彼の発言に訂正を入れる。
「おぉ、そうだったな」
すると学園長は、そんなことは忘れていたとばかりに声を上げた。
結局のところ彼にとって、娘は興味の対象ではないのだろう。
モズが話すところによると、昔からハクアと学園長の親子には奇妙な溝があったらしい。
この家庭環境が、彼女をあんな……あぁいう人間にしたのかもしれない。
無論そんなもの、ハクアを許す理由にはならない。
……では、許す理由が無いのならどうするのか。
「さし当たって、彼女は退学にしよう」
考えるヒラクを前に、学園長が軽い調子で言い放った。
「えぇ!?」
「……本気ですか?」
驚愕の声を上げるリスィと、学園長の本気を計りかね彼の顔を凝視するヒラク。
だが、学園長は冗談で言っているわけではなさそうだった。
「彼女のせいで、君たちは生命の危機に立たされた。盗難の件も併せれば今後も同じような妨害を仕掛けてくる可能性もある。妥当な線だと思うが」
紅茶をすすり、涼しい顔で彼は語る。
ハクアが目を覚ましてから、ヒラクは彼女に会っていない。
モズも彼女を訪ねたが、体調不良を理由に追い払われたそうだ。
学園長が言うように、ハクアは今後も同じような……いや、今回の件を恨んでもっとえげつない手を打ってくるかもしれない。
それでもーー。
「いえ、そこまでしなくて結構です」
息を一つ吐いて、ヒラクは答えた。
すると、傍らのリスィもほっと息を吐く。
「……良いのかね?」
今度は学園長が、ヒラクの真意を探るようこちらをじっと見る。
それもそうかもと思い直したのか。リスィの視線もこちらへ向いた。
「代わりに、なんですけど」
学園長をまっすぐ見つめ返して、ヒラクは切り出した。
「何かね? 私にできることがあれば善処しよう」
すると、学園長は慎重な物言いながら、彼に約束する。
言質を取った。という訳ではないが、ちょうど聞きたかった言葉が出、ヒラクは肩の力を抜く。
「学園長。来週は時間が空いていますか?」
それから、彼に問いかけた。
すると学園長はやはり多忙らしく、中空に視線を漂わせてから「空けよう」と頷く。
「三者面談をしましょう」
それを確認して、ヒラクは提案した。
「ほう」
「さんしゃめんだん?」
三者面談自体を知らないリスィが首を傾げる。
「お父さんとハクアさんに話し合ってもらって、そこに僕が立ち会います」
彼女に説明する意味も込めて、ヒラクは「お父さん」に話した。
呼び方を変えたのは、彼に親として接してほしいからだ。
この様子では、ハクアと学園長の二人に話させても有益な会話にはなるまい。
かと言って、自分とハクアで話してもはぐらかされるだけだろう。
だから、教師であり親族である学園長の力で引きずり出して、ハクアが何故あんな行動をするのか問いただす。
そしてできるなら、彼女が抱えた問題の解決に協力する。
排斥する訳でも、自分達に火の粉がかからぬよう距離を置くわけでもない。
ヒラクが取ろうとしているのは、むしろハクアと積極的に関わっていく道だった。
「君はそこまでお節介だったかな?」
腕を組み、学園長はおどけてみせる。
原因を取り除くことなどできないかもしれない。よりこじれる可能性もある。
そもそもハクアの性根が問題であり、どうやっても解など存在しないのかもしれない。
「このぐらいのお節介を焼く権利は、もらえると思っています」
それでも諦める事はしないと、ヒラクは誓ったのだ。
このまま彼女を野に放ってしまえば、結局ヒラクの知らないところで誰かが犠牲になるだけだ。
それならば、ヒラクが適度に相手をしたほうが被害は小さい。
「……分かった。ひとまず場を設けてみよう」
降参とでも言うように、学園長は長く息を吐く。
とはいえ、大変なのはこれからだ。
「ごちそうさまでした」
話が一段落ついたのを感じ、ヒラクは立ち上がった。
結局話についていけなかったリスィも、慌ててそれに続く。
「私も一つ頼んで良いだろうか」
ヒラクが部屋を辞そうとした時、その背中に声がかかった。
「あの娘とは碌に会話していなくてね。接し方が分からないのだ」
振り向けば、学園長は気まずそうに呟く。
「今度、役に立ちそうな本を持ってきます」
自分にも答えはない。
それでも、歩み寄る気持ちがあれば着地点は見つかるかもしれない。
ヒラクはそう答え、部屋を出たのであった。
◇◆◇◆◇
学園長の元を辞したヒラク達は、保健室へと向かっていた。
保険医ダスティが昼食を摂る間、留守番をしなければならない。
自身の分はもちろん、ルームメイトのライオやミラウの為にも、留守番の報酬にもらえるポーション用の瓶が必要だ。
「ネブリカの鱗粉、少し加工しないで残しておかなきゃね」
ポーションについて考えを巡らせていたヒラクは、ふと思い出して耳横を漂うリスィに話しかけた。
「ん、どうしてですか?」
彼女からすると、思考の繋がりが分からなかったのだろう。
リスィは空中を漂いながら、ヒラクの顔を覗きこむよう首を傾げる。
バランスを偏らせた為か、彼女の体は徐々に下降していった。
「いざって時、あれを使えばリスィの魔力を回復できるはずだから」
リスィの体を手のひらで受け止めながら、ヒラクは答える。
それからもう片方の指で、彼女の顔にかかった前髪を払った。
あっと声を上げたリスィは、相好を崩してそれに身を任せる。
あれから二人でいくつかのことを試し、リスィの神業について大体の概要は明らかになっていた。
人間の引き寄せ。学園にいるヒラクさえも迷宮内へ転移させる強力な神業だが、消費する魔力はかなり多いようだ。
人間用のポーションでは、リスィの魔力を回復することができない。
しかし同じ神器であるネブリカの鱗粉をそのまま使えば、それが可能なはずだった。
「頼りにしてるよ」
そのままリスィの頭を撫でつつ、ヒラクは彼女に告げた。
リスィが神業を使いこなせるようになれば、戦略の幅が大きく広がる。
何より初めての明確な役割は、彼女の自信へと繋がるはずだった。
しばらくされるがままになっていたリスィだが、はっと声を上げ正気を取り戻す。
「は、はい! 頑張ります!」
それから、ぐっと握り拳を作るとヒラクに頷いた。
「白杖の事もあるしね」
彼女の様子を微笑ましい気持ちで眺めながら、ヒラクは呟く。
前回の探索でハクアが所有者となった神器、通称白杖(フランチェスカはもう少し複雑な名前を付けていたが)。
現在これは、ヒラクの持ち物となっていた。
迷惑料代わり、ということで学園長から渡され、ハクアもそれを承諾したらしい。
更正の兆し……と見るには早計だろう。
何せこの神器、一度使えば魔力が補填されるまで一年は使用不能なのだ。
だが、ネブリカの鱗粉を使えば、この期間も短縮できるかもしれない。
「あの、ですね。ヒラク様」
ヒラクがそんなことを考えていると、リスィがおずおずと声を出した。
「何?」
神妙な彼女の様子をいぶかしみながら、ヒラクは手のひらの上にいるリスィの顔を見る。
すると彼女はもう一度逡巡して、それからヒラクに問いかけた。
「もしも今度こそ本当に、スキルだけを振り直せる神器を手に入れたとしたら……使いますか?」
リスィにとって、それは心の中にずっと燻っていた疑問だった。
ヒラクの為と言われ、自分達はハクアと迷宮に潜った。
それに関してヒラクからは、ちゃんと相談してほしかったという部分にだけお叱りを受けたのみである。
けれど、もしリスィが最初に思い描いたような神器を持ってきたとしたら、ヒラクはそれを喜んだろうか。
こんな仮定の話をしても意味がない。
分かっていても、ヒラクから答えを聞きたかった。
緊張しながら、リスィはヒラクの顔を窺う。
するとーー。
「僕はスキル振りを間違えた」
何か詩でも引用するように、ヒラクが口にした。
「え……? そ、そんなことないです!」
そのせいで反応が遅れたリスィは、慌てて彼の言葉を否定する。
ヒラクのスキルは一見無軌道に見えるが、今のパーティーに無くてはならないものになっている。
それは前回の探索で、リスィが強く実感できたことだ。
しかしヒラクは、彼女に対してゆっくりと首を横に振った。
「内容の問題じゃない。カムイとの関係が壊れるのに怯えて、本当に必要だと思うスキルを自分で決めなかった。それが間違いだったんだ」
確かに、どんなスキルを取るかという選択は重要だ。
それに悩む少女達の姿を、ヒラクは何度も見てきた。
だが、ヒラクが尊いと思ったのは、彼女たちが取ったスキルではない。
それを取ろうと決めた彼女達の意志だ。
「だから、もし振り直す事ができる神器が見つかったとしたら、僕はそれを使って自分の意志でスキルを選び直してみたい。そう思うよ」
歩調を緩めながら、ヒラクは改めてリスィにそう答えた。
「ヒラク様……」
彼の本音に、リスィが泣きそうな顔でヒラクを見上げてくる。
このスキル振りをしてこなければ、ヒラクはリスィと出会うこともなかった。
自分達の出会いも間違っていたと言われているようで、不安なのだろうか。
「僕は確かに間違えた。でも、リスィに出会えて幸せだよ」
そんなことを思って、ヒラクは手の中の妖精に伝えた。
スキル振りを間違えたからといって、人生の全てを間違えたわけではない。
リスィとの出会いも、カムイとの出会いも、それ自体はけっして間違いではなかったはずだ。
「わ、私もヒラク様がご主人様で幸せです! でも、あの……全部振り直しちゃうと」
すると、ヒラクに張り合うようリスィが声を上げる。
しかし彼女の声はその途中でしぼんでいき、くしゃくしゃになっていく。
どうやらリスィも、自分が何を言いたいのかまとまらないようである。
……スキルの構成が変われば人格までも変わってしまうような気がする。
ヒラクが神器を使う前に憶えたあの不安を、リスィも感じているのだろうか。
そう、ヒラクは思い当たった。
振り直しの神器など、本当に存在するかも分からない。
そもそも、それが見つかったとしても……。
「振り直すと言っても、ポータルが無いと困るし、オイルもなんだかんだで便利だし、ポーションも作らなくちゃいけないし、マッピングが無くて不便だったらしいから、それも取ると思う」
不安そうなリスィの前で、ヒラクは指折り数えた。
ヒラクは自分の意志でスキルを選び直してみたいだけであって、生まれ変わりたいわけではない。
前線で皆と並んで武器を振るう自分など想像できないし、かと言って後方から強大な魔法を放つと何故かモズに当たる気がする。
補助魔法……も考えたが、動きの慣性が変わる魔法を少女たちはあまり好まないようだ。
と、なると。
「結局、今とそんなに変わらないんじゃないかな」
あまりしまらない話だ。
考えながら、ヒラクはそう結論づけた。
どうにかやりくりして強力な治療手段は用意するだろうが、多分それだけだ。
「そう……そうですね!」
ヒラクが微笑みかけると、リスィも嬉しそうに頷く。
かつて彼女は、主人が前線で活躍しないことに不満を覚えていた。
しかし今更そんなヒラクを見れば、違和感しか覚えないであろう。
いや、そうなったらそうなったで、また惚れ直してしまうかもしれない。
「えへへ……」
結局自分はヒラクが大好きなのだなぁと、身悶えするリスィ。
「どうしたの?」
そんな彼女を、ヒラクが不思議そうに見る。
「あ、いや……あのですね」
思わず誤魔化そうとしたリスィだが、こういった思いは相手に伝わっていると過信せずきっちり伝えた方がよい。
と、最近読んだ雑誌に書いてあったと思い出す。
彼女が改めて主人へと自らの気持ちを伝えようとしたときーー。
「こんな所にいた! ちんたら歩いてんじゃないわよ!」
ここ最近ですっかりお馴染みになった罵声が、彼女の耳に届いた。
口を尖らせながらリスィが背後を向くと、そこには制服姿の少女達。
モズ、アルフィナ、フランチェスカの三人が、横並びでヒラクを待ちかまえていた。
それを見とめたヒラクは、リスィに口の中で「また後で」と告げ少女達に近づいていく。
「何かあったの?」
そうして彼は、会うなり罵倒してくるモズに苦笑しながら問いかけた。
「……守護獣の卵が、孵るらしい」
すると、その横にいたアルフィナがいつも通りの小さく、しかしよく通る声で呟く。
「えぇ!?」
その内容に、リスィはひっくり返った声を出した。
ヒラク達が持ち帰った守護獣の卵は、学園側に預けられていた。
換金しようという意見も出たが、前代未聞の品物であるため価値がつけられないらしい。
そこで所有者をヒラク達にしたまま、学園長がどこからか連れてきた研究者達がそれを解析することになっていたのだが……。
「名義上は私達の物なので、せっかくだから立ち会わないかということだ……行くか?」
思い返すヒラクに、フランチェスカが問いかけてくる。
だが、既に彼女の体はそわそわと忙しなく動き、視線は期待するように輝いている。
これでは、断ることなど出来ないではないか。
「そうだね。皆で見に行こうか」
それを微笑ましく思いながら、ヒラクは彼女に答えた。
生まれたての守護獣相手なら、そう危険もあるまい。
彼の返事を聞いたフランチェスカは、ぐっとガッツポーズを取る。
「ふっふっふ。私の顔を見た竜は一目惚れ。そうして私は|バーディッシュ・ドラグーン・プリンセス《斧槍竜姫騎士》として名を馳せるのだ」
そうして、自らの野望……もとい妄想をぶつぶつと垂れ流し始めた。
その顔には高貴とは言い難い笑みが浮かんでいる。
「その為にも、ヒラクには早く乗馬を教えてもらわねばな」
と思えば、今度は年頃の少女らしいはにかんだ笑みをヒラクに見せた。
本当に様々な面を持つ少女である。
敵わないなと困り笑いを浮かべるヒラク。
「アホか! 人間に懐くわけないんだから倒してGGPの肥やしでしょ! いや、ある程度育ててからの方が効率的かしら……」
だが、そんなフランチェスカを押しのけるようにしてヒラクの前に出たモズは、そんなセリフをまくし立てる。
「次のスキルは、一応アンタに任せてあげるから」
それから、口を尖らせそんなセリフを付け足した。
傲慢極まりないセリフだが、普段を鑑みれば彼女が自分を信頼してくれているのは分かる。
「うん、ありがとう」
だからヒラクは、彼女の分まで素直に礼を言った。
彼の表情をちらり見て、モズはふんと聞かせるように鼻息を吐いた。
「……守護獣の名前はカムイで」
「いや、皮肉効きすぎだよそれ……」
一方アルフィナは、飄々とそんなことを呟く。
使役するにしても肥やしにするにしても、その名前ではやり辛いことこの上ない。
ヒラクがつっこむと、彼女は口の両端を上げニヤリ。
今までで一番大きく笑った。
だが、しばらく表情筋を動かしていなかった代償か頬がひくひくと動いている。
彼女もまた、少しずつできることを増やそうとしているのだ。
少女達は皆、自分の道をそれぞれのペースで進んでいる。
一度は道を間違え足を止めた自分だが、彼女たちのおかげでようやく再び進み出すことができた。
これからは自分で選択した道を進んでいけば、いつかどこかへとたどり着くはずだ。
「行きましょう、ヒラク様!」
「うん、行こう」
きっと。そう願って。
僕はスキル振りを間違えた 了
守護竜カムイ
神器によって一度卵へと戻された守護獣が再び生まれ変わった姿。
目覚めた際にヒラクへ一目惚れ。
以後彼の探索に付き添い、様々な活躍をする。
ヤンデレ気質。




