最後の隠し事
「ひ、ヒラクさ」
突如落ちてきたヒラクへと声をかけようとするリスィ。
だが、それよりも早く首を巡らせたヒラクは、突如として駆けだした。
「ちょ、ちょっと!」
向かうは守護獣の方。彼は途中でアルフィナが落とした鞄を拾う。
そしてその中から幾つかの物品を取り出した。
「モズ! フランチェスカ!」
鞄を投げ捨てながら彼が呼びかけると、二人の目が驚愕で見開かれる。
「は?」
「な、なんで!?」
それに構わないのは竜もヒラクも同じ。
隙が出来た彼女達に、竜が襲いかかる。
「オイル!」
それを、詠唱破棄したヒラクの呪文が阻んだ。
バランスを取るという概念が欠落したような竜は、あっさりと前のめりに転倒する。
それを見るや、ヒラクは右手に挟んでいた眼球大の玉を相手に投げつけつつ叫ぶ。
「ファイア!」
ポンポンポンと火が点ったと思えば、球は次々に爆発。
同時に煙が周囲に広がる。
対クリナハ戦でも使った煙玉だ。
視界が白く染まる中、フランチェスカに駆け寄った彼は左手に挟んだポーションの一本を開けた。
「ど、どうしてここに……」
「話は後で!」
目を白黒させている彼女にぴしゃりと言うと、その太股に容赦なくポーションを浴びせかける。
「し、しみる……!」
「ごめん、とにかくアルフィナに合流して! モズも!」
ふともも、ではなく背中を叩いてフランチェスカを促したヒラクは、やはりぼぉっとしているモズに叫ぶ。
だが、それに対して彼女はあらぬ方向を見てためらう様子を見せる。
ヒラクがそれをいぶかしんだ次の瞬間、煙を切り裂くように竜の尾が振るわれた。
風切り音からそれを察したヒラクは、モズを抱え転がる。
煙が晴れ、その隙間から虚ろな竜の片目がヒラク達を見据える。
「ファイア!」
モズを抱えたまま、ヒラクは竜の足下へと呪文を放った。
ボゥッとオイルが引火し、派手な炎が吹き上がる。
竜型の守護獣が燃えさかるその様に、ヒラクの記憶がフラッシュバックしかける。
だが、それを堪えて彼はモズの手を引き立ち上がらせた。
炎を纏い、竜はもがく。
咄嗟に避けたせいで、フランチェスカとは竜を挟んで反対側に来てしまった。
「こっち!」
彼女と合流するのは危険だと判断したヒラクは、振り返るフランチェスカに走れと手で指示する。
そして自らもモズの手を握ったまま、燃えさかる竜から全力で遠ざかる。
ホールの壁にたどり着くと、地面から数十センチほどの高さにある横穴へ半ば押し込むようにモズを入れた。
「ちょっと!」
尻を触っただの触っていないだのという彼女の抗議を無視し、背後を見る。
竜についた火は既に消えており、崩れかけだった腐肉はさっと表面を炙られた事でむしろハンバーグのごとくまとまりを生んでいた。
竜の首が、何かを探すように巡らされる。
緊張に身を硬くするヒラク。視界の先では、フランチェスカ達も壁際で固まっている。
だが竜はそのどちらにも向かってくることなく、中央でぴたりと動きを止める。
おそらく、相手の魔力感知範囲からは逃げ出せたようだ。
判断したヒラクは、ふぅと息を吐いた。
それから、いまだに竜のいる方向をじっと見ているモズを退かして自らも穴の中にはいる。
内部は意外と狭く、座ってもなお体を曲げねばならないほどだ。
「あ、アンタなんでここに……」
未だ混乱から抜け出せぬ様子のまま、モズが尋ねる。
スペースの都合彼女の顔が近くに来、ヒラクは胸をどきりとはねさせる。
「ええと、リスィが、神業に目覚めたみたい」
それを押し殺し、ヒラクは簡潔に答えた。
リスィにとって念願の神業だ。
今すぐ祝福してやりたいが、生憎彼女達とははぐれてしまった。
「神業……?」
モズは事態を把握しきれていない様子だったが、ヒラクとてリスィの神業がどういう性質のものだったはよく分かっていない。
「もう一回引き寄せてくれれば良いんだけど」
半分独り言のように呟いて、ヒラクはフランチェスカ達が逃げた方向を見つめた。
ヒラク達と同じく横穴の中へ逃げ込んだようで、彼女らの姿は確認できない。
あれだけ大がかりな神業だ。ネブリカのような魔力の鱗粉を持たないリスィでは連続使用は難しいかもしれない。
「それで、何でこんな事になってるの?」
とりあえずしばらく経過を待つことにして、ヒラクはモズに尋ねた。
モズ達が危ないと判断した途端体が勝手に動いたが、実の所今がどういう状況かまるで把握していない。
何も分かっていなかったのにあんな動きが出来たのか。
驚嘆と呆れの気持ちで目を丸くするモズ。
「ハクアが神器を取りに行くって、アタシ達を誘ったのよ」
それから気を取り直した彼女は、ぶっきらぼうにそう答えた。
視線を逸らしているのは、ヒラクにその事を黙っていた後ろめたさのせいか。
「ハクア?」
その中に、不可解な単語が二つある。
内の一つを、ヒラクは問いただした。
「……あそこに転がってるでしょ」
すると、モズは感情を押し殺したような声音で、広間内の隅を指さした。
そこには、白い布切れのような物が転がっている。
ヒラクが目を凝らせば、それは確かに人間の――残骸のように見えた。
あれがハクアだというのか。
「生き、てるの?」
恐る恐る。ヒラクは尋ねた。
「分かんないわよ。神器の所有者になったと思ったら、後ろから竜に吹っ飛ばされて……補助魔法はかけてたみたいだけど」
モズはそれに、あくまで表面上は冷静に答えた。
しかしモズを逃がそうとしたときに見せた躊躇いの態度。そして今彼女の手がきゅっと力を入れて組まれている所を見れば、モズが己の心を殺している事は分かる。
「そう、なんだ……」
胸にきゅっとした痛みを覚えながら、ヒラクは広間を見渡した。
広間の隅、ヒラクがいる横穴とフランチェスカ達が逃げ込んだ辺りから等距離の位置に、ハクアは転がっている。
彼女と竜の間には、吹き飛ばされる途中で落ちたのであろう彼女の荷物。
それに混じって、白い杖が落ちている。あれが神器だろう。
自分たちが助かるだけなら、まだ何とかなる可能性がある。
だが、あの状態のハクアを助けながらとなれば、状況は絶望的なものになる。
それが分かっているから、モズはハクアを助けようなどとは口に出せないのだ。
本当は、彼女を助けたいのに。
「アンタ……神語解読は持ってる?」
そんな想像をしていたせいだろうか。
どこか縋るような響きを含ませながらモズが問いかけてくる。
神器に刻まれた説明書きである神語は、通常その神器に選ばれた者にしか読むことができない。
その神語を解読し、あらゆる神器が使用可能になるのが神語解読だ。
「いや、取ってない……」
そう書けば素晴らしいギフトに見えるが、普通の人間が複数の神器と出会う事などそうそう無い。
所持している人間は稀である。
ヒラクがカムイと組んでいた時代、いくつかの神器を見つける機会があった。
しかしそれらは全て主人をカムイに選び、ヒラクに使い回せる物品でもなかったので修得する機会はなかった。
よってモズの、おそらく期待を裏切るのは心苦しかったが、ヒラクにはそう答えるしかなかった。
「そう……よね」
ヒラクの答えを聞き、モズがひっそりと息をつく。
抑えようとしたが抑えきれない。
大切な何かを諦めようとする。
そんな種類の表情だった。
「神器があれば、なんとかなるの?」
彼女にそんな表情をさせるのが嫌で、ヒラクは早口で尋ねた。
我知らず硬い口調になってしまう。
「アルフィナの婆さん……予言師が言っていたらしいわ。あれはスキルを振り直せる神器だって」
あまり話したくはない様子を見せるモズ。
それでもヒラクに押される形で、彼女はそう答えた。
「スキルの、振り直し……」
彼女の答えに、ヒラクは他に出た単語も忘れ呆然となった。
そんな都合の良い物があって良いのか。
いや、自分はそれを都合が良いと考えているのか。
確かに考えたことがある。
自分がもし別のスキルを取っていたらと。別の道を歩めるのならと。
だが、考えても詮無きことだとヒラクはいつもそれを打ち消してきた。
それに、どうせそんな物が手には入ったとしても自分は……。
「む……」
気づけば、モズがじっと、ヒラクの心中を計るように見つめていた。
コホンとわざとらしく咳をしたヒラクは、思考を切り替える。
なるほど。自分がそれを使えば、あの竜を打ち倒しハクアを救出することもできるかもしれない。
モズ達がハクアの誘いに乗ったのも、おそらくヒラクの為だろう。
「言っとくけど……」
アンタの為なんかじゃないんだからね。
などという定型句が、モズの口から漏れかける。
「分かった。神語解読を修得すればいいんだね」
それを遮って、ヒラクは彼女に頷いた。
「修得って……どうやって」
想定もしていなかった彼の台詞に、モズは目を丸くする。
周囲には魔物などいない。
いるとしたら守護獣だけだ。
確かに、モズがそうであったように、守護獣を倒してもギフトを修得することは出来る。
だが、それではあべこべに……。
「アンタ……まさか」
そこまで考えて、モズはあることを思い出した。
それは、七階でヒラクと共に守護獣を倒したとき。
ファンファーレが鳴ったモズに対して、ヒラクが示した不可解な反応。
――あれは、彼自身の経験が基になっているのではないか。
彼女がそれを察したのに気づき、ヒラクは頷いた。
「カムイが守護獣と相打ちになった後、ファンファーレが鳴った」
それから、外の様子を窺うふりをしてモズから目を逸らす。
カムイを失って、呆然としていたヒラク。
そんな彼をあざわらうかのように、あの陽気なファンファーレが鳴った。
あの時の軽薄で空虚な音を、ヒラクは今でも覚えている。
「だから、まだ一つだけ、取ってないスキルがあるんだ」
そしてそれ以来、ヒラクが眠ればそこにスキル修得の場所。通称神殿が現れた。
彼の神殿は、この地下迷宮そっくりの場所だ。
この一年間、ヒラクはその夢の中をずっとさまよい歩いてきた。
「でも……いいの?」
そんなヒラクの心中を探るように、モズが尋ねてくる。
あんなに自分のスキル構成に文句を言ってきたモズだが、それでもヒラクを気遣ってくれるらしい。
「何で探索者になったのか聞かれたことがあったよね。僕にも、いまだに答えは分からない」
やはりモズは優しい。
口に出せば確実に殴られるであろう事を考えながら、ヒラクは彼女に微笑んだ。
自分にやれることを。そうは思っていても、今まではどの方向に踏み出して良いかすら分からなかった。
だから、どうしても残ったスキルをいつまでも修得することができなかったのだ。
スキルを振り直す神器などという物を手に入れたとしても、おそらく使えなかったはずだ。
「でも、今はとにかく色んな事を、諦めたくないって思うんだ。モズにも、諦めてほしくないって思う。だから」
息を吐き、ヒラクは言葉を切った。
この学園に来て、少女達と出会い、こんな中途半端な自分でも人の役に立てることがあるのだと思えた。
こんな自分を、許せる気がしてきていた。
スキルの振り直しという手段を取れば、その「自分」がいなくなってしまうかもしれない。
いいや違う。
この思いさえあれば、例え今のスキルを失ったとしてもきっと自分でいられるはずだ。
「ちょっと眠るよ。一分経ったら起こして」
己の覚悟を固めたヒラクは、少々気の抜けたことをモズに頼んだ。
「こんな状況で眠れるの?」
呆れた調子で、モズが尋ねてくる。
人の命がかかっている状況で眠るという作業は、確かに難易度が高いように思えるだろう。
だが、ヒラクにはできる。
逆に言えば、そうやって何時何処ででも眠れなければ、カムイについて行くことはできなかった。
「得意なんだ。迷宮で眠るの」
それは、スキルとは関係なくヒラクに備わった彼自身の持つ能力だった。
とはいえあまり格好の付く特技でもない。
いつもの苦笑を浮かべて、ヒラクは目を閉じた。
それを契機に、まるでスイッチを切るように彼は眠りの世界へと潜ったのであった。
◇◆◇◆◇
夢の中に入ったヒラクは、やはり迷宮の中にいた。
だが、向かいにモズはいない。
ここは迷宮の形をした、優柔不断な自分に相応しい神殿である。
普段は複雑な形状をしていて、普通にスキルを取るにもヒラクを迷わせるその場所。
だが、今日彼が立っている場所は一本道だった。
もっと言えば、十歩行けば壁にぶつかる行き止まりだ。
そしてその壁に、一枚の石版が埋め込まれている。
古ぼけた石版はずっと、ヒラクを待っていたような風であった。
一歩、二歩と、険しい顔でヒラクはその石版に近づく。
その前に、さっと立ちふさがる者があった。
「カムイ……」
それは、確かにヒラクの前で死んだはずの少女。
カムイ=メズハロードであった。
少女は薄く光を放ち、普段は着ようともしなかったドレスを身に纏い、彼に何かを語っている。
その声は聞こえない。
だが、穏やかな彼女の顔を見ていると、ずっとそれを見ていたい気持ちになる。
「ごめんカムイ。僕は、進むよ」
それでもヒラクは、彼女にそう告げた。
寂しげな笑みを浮かべるカムイの幻影をすり抜け、石版を手に取る。
すると、周囲に光が溢れた。
そして――。
ギフト修得の保留
ファンファーレが鳴ったとしても、即座にギフトを修得する必要は無い。
日を跨ぎ、じっくりギフトを選定することが可能である。
ただし毎日神殿の夢を見る羽目になる。
睡眠もしっかり取れるので、この時間を思索などに費やす哲学者もいる。




