神器覚醒
どすん。土煙を上げて、モズの体が地面に落ちる。
「痛ぅぅ……」
随分な高さから落ちたにも関わらず、彼女は腰を押さえながらゆっくりと立ち上がった。
どうやら大きな怪我は無いようだ。
そして、侵入者が現れたというのに、守護獣である竜も起きる気配はない。
その様子にほっと息を吐き、表情を引き締めたフランチェスカはハクアの胸ぐらを掴んだ。
「何故突き落としたりした!?」
威厳ある騎士の眼差し。
しかし、その手は震えている。
こいつの本性は手のほう。つまり恐がりの虐められっこだ。
本来のペースを取り戻したハクアには、すぐにそれが分かった。
「だってムカつくんだもの」
「なっ!?」
元々眼中に無かったせいで気づくのが遅れた。
まぁこれからも注目することはないだろう。
笑顔で言い捨てて、彼女の手を除ける。
「……後で覚えてて」
じろりと、アルフィナが睨んでくる。
この女にも感情はあるらしい。
内心でそう考え、ハクアは何だか楽しくなってきた。
「あ、アルフィナさん! 鞄の中にロープがあります!」
妖精の指示に、アルフィナはいそいそと縄を取り出すと地面に固定し出す。
「あはは、こわーい。それじゃ先に行ってるね」
彼女がそうしている内に、ハクアは返事も待たずに飛び降りた。
その身には既に、補助魔法がかけてある。
「我が愛しき者を守り給え」彼女が真にそう思えるのは自分だけである。
猫のように空中で姿勢を整えると、軽やかに着地。
うん。やはり自分は鈍くさくなどない。
それに、この補助魔法一つあれば、あんな縄など必要ない。
使いこなせないモズ達が悪いのだ。
「自分に酔ってるとこ悪いんだけど」
彼女が自己確認を行っていると、件のモズから声がかかった。
「あ、モズちゃん大丈夫?」
ハクアが横に目を向けると、そこには大剣を支えに立つモズの姿があった。
ぱっと見る限りどこか折れたとか捻ったというわけではないようだ。
自分で突き落としておいてなんだが、頑丈な娘である。
「大丈夫? じゃないわよ!」
「モズちゃん。静かにしないと竜さんが起きちゃうよ」
フランチェスカのものとは違う、おびえのない一直線な怒りをぶつけてくるモズ。
それを妙に心地よく感じながら、ハクアは彼女を宥める。
すると、モズはついと視線を竜へと向けた。
「……こいつが生きてるならね」
そうして、どこか寂しさを滲ませながら呟いた。
先ほどの位置からは見えなかったが、伏せられた竜の体からは肉が所々爛れ落ち、腐敗している。
右目の周りは特にひどく、眼球はこぼれ落ち虚ろな眼窩が覗いている。
起きる様子はおろか、呼吸している様子すらもない。
「あ、死んじゃってるんだ」
モズの態度が拍子抜けした事から来ているのなら、気持ちはハクアも一緒だ。
せっかくモズを囮にしてでも神器を手に入れようと思っていたのに。
そうだ。肝心の神器は……。
ハクアがキョロキョロと周囲を探していると、フランチェスカとリスィ。そして高所恐怖症であるアルフィナが、表情をいつも以上に凍らせながら降りてくる。
彼女らも最初は守護獣に対して警戒のポーズを取っていた。
しかしモズに促されその惨状を見て取ると、視線はハクアへ向く。
「さてと……」
「……リンチ」
彼女らは恐ろしい雰囲気を纏いながら、ハクアへと近づいてくる。
「後で」の約束ではなかったのか。
「それよりあれを見て」
本当にハクアを秘密裏に粛正しかねない彼女たちをかわしながら、ハクアは守護獣の脇辺りを指さした。
するとそこには、白い棒状の物が無造作に転がされている。
「神器だよ、神器。降りてきた甲斐があったねっ!」
「降りたんじゃなくて落とされたんだっての! ……ていうか、神器ってもっとこう、祀られてたりするんじゃないの?」
律儀につっこみを入れてから、自身と神器のあまりの粗雑な扱いにモズが苦い顔で呟く。
「そうだな。巨大な神殿があり、そこで私は神の声を聞くのだ」
それにフランチェスカがうんうんと同意するが、流石にそこまで妄想豊かじゃないわよとモズに睨まれる。
「まぁ、私も地べたに寝かされてたみたいですよ。それに……」
彼女らを苦笑しながらなだめるリスィ。その顔が、珍しく真剣な相を帯びた。
「感じます。あれは、神器です」
タイプの近い神器でなければ共鳴はできない。
それでも、目の前にあればそれが同類かぐらいはリスィにも判別できた。
適当に転がされてはいるが、あれは間違いなく神器である。
「やっぱり! じゃぁあれを持って帰って任務完了! だねっ!」
それを聞いたハクアが、いつも以上にはしゃいだ声を上げる。
というかこの女、アタシを突き落としてから妙にテンション高くてうぜぇ。
確かに好かれているとは思っていなかった。
だが、そこまでか。
「その前にまず、一番大きな問題があるでしょ」
色々な意味でげんなりとしながら、モズは口を開いた。
「……所有者」
それを、アルフィナが補足する。
「神器は己が持ち手を自ら選ぶという。問題無かろう」
二人が何を心配しているか分からないようで、フランチェスカが勇ましい口調とは裏腹に口元に指を当て小首を傾げる。
「選ばれちゃったらどうしましょう……」
「それはないから安心しなさい」
それにつっこむのは女子として何か負けたような気になるので無視し、何やらわかりやすくおかしな事を言っているリスィのほうへ、モズはそう返した。
「そ、そうですか……」
神器持ちの神器などという奇妙な存在は聞いたことがない。
フランチェスカに聞かせると目を輝かせそうなのでそれは置いておくとして、モズが心配しているのはそんな事ではなかった。
神器と言っても、モズ達が知っているのはリスィとネブリカだけだ。
どちらも小うるさいほど自らの主人を主張してきて面倒くさい事この上ない。
特に最近ルームメイトとなったネブリカはありますあります主人であるミラウにくっついていて、モズは少々ノイローゼ気味だ。
……それも置いておくとして、問題はあの白い棒っきれが主人を主張するかである。
一番最初に握った奴が「この棒が私を選んだ!」などと言い張り出したら否定する手段がない。
後で他の人間が「私が本当の所有者だ!」などと言い出したら更なる泥沼である。
普通の仲良しパーティーなら問題はないが、相手はあのハクアだ。
やりかねない。
アルフィナもそれを危惧しているのだろう。
思考を共有し、彼女がアルフィナと頷きあっていると。
「あ、これ先に宝石がついてるよ」
……いつの間にか、ハクアが神器に近づき、それを拾い上げていた。
「ちょ、何で止めないのよ!?」
慌てたモズはそれを看過していたフランチェスカを責めた。
「いや、だから神器は自らが所有者を選ぶという話であって……」
「その所有者を誰が証明すんのよ!?」
戸惑いながら答えるフランチェスカにも一言で分かるよう詰問する。
彼女が叫ぶと、視界の端でハクアがニヤリと笑った。
……気がした。
視線を向けると、彼女はいつも通り微笑んでいる。
しまった。何もこいつの前でそんな事を話す必要はなかった。
モズは歯噛みする。
「あ、私この子のマスターになっちゃった。かも」
ほら、やっぱりあんな事を言い出す。
どうせモズが抵抗しなければそのまま戴くつもりだし、他の女が真の持ち手だと判明したら「ごめーん。勘違いだったー」などと見え見えの言い訳をし出すのだ。
あの女の手口なんぞモズにはお見通しである。
しかもハクアは見通されていることも承知であり、それを喜んでいる節もある。
まったく持って面倒だ。何故自分があの女の性癖に付き合わなければならないのか。
「アンタねぇ」
ため息をつきながらも放置するわけにもいかず、モズがこちらへ歩いてくる彼女を説教しようとしたその時である。
パァァと。白棒の先についた宝石が眩い光を放った。
「あ、れ?」
ハクアが呆然とした声を上げ、手元の神器を見る。
嫌な予感に襲われるモズ。
「どうしたんですか?」
一方リスィは暢気にそんな事を尋ねる。
「私、この神器の使い方……分かる。分かってきた」
それに、ハクアは素直に答えた。
白い棒には文字が刻まれている。先ほどまでは意味が分からなかったそれが、先ほどの光によってハクアには読めるようになっていた。
先程まではただ単に適当な嘘でモズ達をからかってやろうと思っていただけだった。
だが、今は違う。
神器は、自分を選んだのだ。
その事にほくそ笑むハクア。
彼女の邪悪な笑みを見て、戦慄するモズ達。
では先程までの発言は何だったのだとつっこむ余裕すらない。
考えていた中で一番面倒なことになった。
四人もいるのに。なんならそこの妖精も勘定に入れても良いのによりによってこの女を選ぶとは。
モズが神器の趣味の悪さを内心で愚痴っていると、ハクアの表情が急に変わった。
「……え、これって」
「またどうしたんですか?
戸惑うような彼女の表情。それに反応するリスィの声。
彼女へと他の少女達の注意が逸れた、その一瞬の出来事であった。
「グガァァァ!」
咆哮が響き、周囲の灯火達が一際大きな炎を吹き上げる。
――モズには目の前の光景が信じられなかった、
咆哮の主が、先程確かに生命活動を停止していたはずの竜だったからだ。
そしてそれが、腐肉を落としながら立ち上がったからだ。
「ハクア! 後ろ!」
この世のものとは思えぬ光景に一瞬呆然としたモズだが、慌てて警告を発する。
「え?」
だが、神器に気を取られていたハクアは、モズ達より更に反応を遅らせてしまう。
次の瞬間、ごう、と風が吹いた。
ハクアの体が一瞬でぼろ切れのようになり、宙を舞う。
彼女は空中で自身の鞄、そして神器を放り出しながら、十メートルほどの距離を放物線を描いて飛ぶ。
そして、竜の右腕から飛び散った肉片とともにぐしゃりと音を立て、地面に落ちた。
「……ハ、ハクア?」
信じられない気持ちで、モズは彼女の名を呼んだ。
先ほどまでは余裕ぶった笑顔を浮かべていたあの女が、あんな風に無惨な姿になるなど、悪い冗談にしか思えなかった。
返事はない。
代わりにどくどくと、ハクアの周りに血溜まりが広がっていく。
「ハクア……!」
思わず突き落とされたこともあんなに疎ましく思っていた相手なのも忘れ、モズはハクアへと駆け寄ろうとする。
「下がれモズ!」
アルフィナ達を下がらせながら。フランチェスカは彼女に警告を飛ばす。
「このっ!」
立ちふさがる腐敗した竜。
それを振り払うように、モズは大剣を繰り出した。
だがその一撃は、竜の前足で弾かれてしまう。
ぐしゃり。肉が粘土のように弾け飛んだが、達した骨は揺らぐ様子も見せない。
お返しとばかりに竜の尻尾が振るわれる。
地面に大剣を突き立て、その陰に隠れるモズ。
だが、それでも尻尾の勢いを止めることはできない。
ギィンと鈍い音がして、モズの体がはね飛ばされる。
そうしながらも宙返りをし、何とか着地した彼女だが、自らの手元に目をやって悲鳴をあげた。
「やっぱ粗悪品じゃないこれ!」
守護獣の一撃を受け止めた大剣。それが半ばの所で、ぽっきりと折れていたのだ。
どうやら竜の腐り具合は所により差があるようで、尻尾はその中でも劣化が少ないようだ。
傷一つない尻尾を翻した守護獣は、再びモズのほうを向いて顎関節を見せびらかす。
「言っている場合か!」
叫びを詠唱に変え、後方からフランチェスカが電撃を飛ばす。
迸ったそれは竜を撃ったが、腐肉が焼ける嫌な臭いをまき散らしただけで竜の動きを阻害するには至らない。
「くっ」
歯噛みしたフランチェスカはそのままモズを庇うように前へ出た。
次の瞬間、竜の背中についた羽が、血をまき散らしながら関節を無視し、ぐりんと反転する。
「なっ!?」
驚愕の声をあげるフランチェスカ。
まるで第三第四の腕のように稼働するそれが、フランチェスカ達へと交互に降り落とされた。
ざくざくざくざくざくざく。
皮膜が破れ傘の骨のようになるも、竜はまるで頓着しない。
そのまま無慈悲に、下にいる者達を切り刻んでいく。
土煙が巻き起こり、モズ達の姿が覆い隠される。
「フランチェスカさん! モズさん!」
思わず体が前に出たリスィ。彼女の体を、アルフィナがぎゅっと胸に留める。
今出て行っても、あの嵐に巻き込まれるだけだ。
「……大丈夫。必ずみんな無事で帰る。だから」
静かな口調に強い決意を滲ませ、アルフィナは肩から下げた鞄を見た。
――だから、自分達に出来ることを考えて欲しいとアルフィナは言っているのだ。
しかし、この鞄にはあんな竜に立ち向かえるようなアイテムは入っていない。
ヒラクならこの中の物で何とかしてしまえるのかもしれないが、一通り使い方を教わっただけのリスィではその方法が思いつかない。
何とか頭を巡らせ解決策を考えようとするリスィだが、目の前の光景に心を乱され集中することが出来ない。
その時――。
バキィン! と音がした。
続いて回転しながら宙を飛び地面に突き刺さったのは、今度は竜の羽、その残骸である。
それを契機に、土埃が晴れていく。
そこにいたのは、片方のみになった翼を振り上げたまま固まる守護獣と、今し方それを叩き折ったフランチェスカ。そしてその背後に庇われているモズだ。
「はぁ、はぁ、はっ……」
荒い息を短く、何度か吐いた彼女が斧槍を地面に突き立てると、髪留めが解けばらりと髪が広がる。
強力なエンチャントを施されているはずの制服が、所々裂けていた。
無論それだけでは済まず、フランチェスカもモズも裂けた制服の下や手足に少なくない傷を負っている。
特にフランチェスカが太股に負った傷は深く、彼女の膝が大きく震えるたび血がしたたり落ちる。
「ど、どいてなさいよ」
庇われた形になったモズが、狼狽して彼女に命令する。
「二百五十年前の戦いに比べればこの程度……大丈夫。やれる。はず」
「素に戻りかけてんじゃないのよ!」
それを断固として拒否するフランチェスカ。
しかし、防御と今の一撃でほとんどの魔力を使い果たしたらしく、口調が自らに言い聞かせるようなものになっている、
一時、歯車に異物が挟まったかのように動きを止めた守護獣だが、すぐに再始動し一歩、二歩と二人に迫る。
それを、リスィは混乱する頭を抱えながら見つめていた。
解決策を考えようとするが、何一つ思いつかない。
「……私が、もう少しだけ食い止める。だから、それでハクアを回復して」
そんな中、鞄から一番効能が強い薬瓶を取り出したアルフィナが語りかける。
彼女は鞄を降ろすと、太股から短剣を抜いた。
「で、でも……!」
アルフィナは戦闘が得意ではない。ほとんど特攻するようなものだ。
それに……あの様子ではハクアが生きているかも怪しい。
「他に手段が、無い」
ぐっと、アルフィナの持つ短剣に力が篭められる。
彼女にもそんなことは分かっているのだろう。
だが、アルフィナが言うように他に取り得る手段が思いつかないのも事実だ。
どうしよう。やはり自分には、何もできないのか。
「ヒラク様……!」
今は自分が彼の代わりをしなければならないのだ。
分かっていても、その名前がリスィの口から漏れた。
心が千々に乱れる。
混乱した頭は、ただ一人を求める。
そして――。
「え?」
リスィの体から、眩い緑色の光が溢れた。
◇◆◇◆◇
リスィ達が出て行った後、ヒラクは再び眠りへと落ちていた。
夢の中の光景は、どこまでも続く石壁の迷宮。
またこの夢か。ヒラクがそこを歩きながら一人ごちていると。
「ラクさ……!」
何か、呼ばれた気がした。
「ヒラク様……!」
今度ははっきりと。
自分を呼ぶ声。
誰だっけ……カムイ、じゃなくて。
「ヒラク様!」
両耳の側で同時に叫ばれた感触がし、ヒラクは跳び起きた。
慌てて周囲を見回すが、そこは変わらず自分の部屋であり、リスィも二人はおろか一人もいない。
ただの夢か。
しかし、妙な胸騒ぎがする。
考え、汗ばんだ自らの手をじっと見るヒラク。
「え?」
その手から。いや、全身から緑色の光が溢れていることに気づいたのと同時に、ヒラクの体は部屋の中から消え去っていた。
◇◆◇◆◇
「……何それ」
奇跡を見るというより、奇妙なモノを見る目でアルフィナが問いかけてくる。
「わ、分かりません。分かりませんけど……!」
自らの体がビカビカと明滅するのに慌てながら、リスィは答えた。
何故自分の体が光っているのかは分からない。が、確かに「繋がった」感触がした。
助けて、ヒラク様!
もう一度、リスィは強く願った。
すると、中空に突然黒い穴が出現した。
「うわっ!」
どすん。と、音がして目の前に大きな何かが落ちる。
同時に光が収まり、リスィはその落ちた物を目を丸くして見る。
「ヒラク……様」
そこには、パジャマ姿で同じく目を丸くしたヒラクがいた。
引き寄せ
妖精型神器リスィの神業。念じた対象を自身の元へ召還する。
ただし対象者の同意が必要。
距離によって消費魔力が増減。
対象が契約者の場合、消費魔力を低減する。
神業の発動
ネブリカも語っていたが、妖精型神器にとって記憶の翅翼はあくまで説明書であり、神業の発動に必要なものではない。
本人の強い意志と発動条件さえ整えば実行可能なのである。




