禁断領域での追跡
「いなくなったって、どういうこと?」
ヒラクの上に乗ったまま、呆然とモズが問う。
「と、とりあえず退いてくれるかな?」
そんな彼女を刺激しないよう、ヒラクはやんわりとそう提案する。
「わぁってるわよ」
自らの軽さを主張するようにもうひと跳ねしてから、モズはヒラクの上から退いた。
「あの、とにかく事情を聞かせてもらえるかな?」
立ち上がったヒラクは、ズレかけたウィッグを直すべきか外すべきか迷いながら、ミラウに問いかける。
「あ、うん。ええと、その」
それに対し、ミラウは何度か首を縦に振った後説明を開始した。
――彼女の神器であるネブリカがいなくなった、その経緯を。
モズに事情を説明した翌日、ミラウはモズを学園へと誘ったが、モズは体調不良を理由にそれを断った。
一人、正確にはネブリカと二人で学園へ向かったミラウだが、その際にネブリカは胸の下に隠していたという。
「賞金ランキングに登録するにしてもしないにしても、管理委員会には登録しておくべきってアタシが言ったのよ」
苦い顔で腕組みしながら、モズが呟く。
自らの提案が裏目に出たことを危惧しているのだろう。
管理委員会とは、正確には財宝管理ギルドの俗称である。
神器及び希少な装飾品に関しては、ここに証明書を発行してもらうことで正式な持ち主だと管理委員会に認めてもらうことができる。
これが盗難された場合は格安で捜索願いを出すことが出来、管理委員会や賞金目当ての賞金稼ぎが行方を探してくれるのだ。
「闇市に流れても大抵突き止められるし、望むなら品物に追跡魔法を付与することもできる。極端な話、登録するだけで盗難を牽制できるんだ」
「へー、世の中便利なんですねぇ」
補足の説明をするヒラクに、リスィは老婆の如き感心の声を出す。
ちなみに学園でも管理登録を行うことができるが、それができるのは物品を鑑定する探索直後か放課後の一時間に限られていた。
「だから、探索の時間にネブネブの事をみんなに相談して、それでみんなが良いって言ったら管理登録だけしてもらおうと思ったの」
以前も言っていたように、ミラウはネブリカをドロップ賞金ランキングに登録するつもりは無かったらしい。
パーティーメンバーの承諾さえ得られれば、鑑定はせず管理ギルドにネブリカの登録だけをするつもりだったのだが……。
「私達の探索は午後からだったから、ネブネブには女子トイレの用具入れに入っててもらったんだ」
「じょ、女子トイレ……」
その隠し場所はどうなのだろう。
そう思わないでもないヒラクだったが、確かにそこならば用がない限り開ける人間はいないはずだ。
事実、一時間目が終わり彼女が様子を見に行った時には、ネブリカはそこにいた。
退屈で死にそうだと漏らしていたという。
しかし二時間目の終わり、周囲に腹の具合を心配されながらミラウがトイレに向かったところ、ネブリカはそこに居なかった。
慌てたミラウは探索を中止。クリナハや他のパーティーメンバーの助けを借り、学校中を探し回った。
だが、結局ネブリカは見つからずじまい。
もしや寮に帰っているのではと戻ってきてみたが、そこにいたのは女装したヒラクとそれに馬乗りになったモズだった。
「勝手にどこか行かないようにってネブネブには言っておいたし……お菓子も置いておいたのに」
ヒラクの上から降りたモズ。そして女装したままのヒラク。
彼らの前で話し終えた後、途方に暮れたような顔でミラウは呟いた。
トイレの中で菓子を食べたくなるかは疑問だが、かと言って蟻が菓子ごとネブリカを連れ去ったわけではあるまい。
主人のためなら自己判断で動くと言ったネブリカだが、言いつけを破ってまで動く理由も思いつかない。
「ええと、トイレの清掃なんかは?」
事務員が間違えて連れて行ってしまったのではないか。
何となくあのアバウトなレモン女史の顔を思い浮かべながらヒラクが聞くと、ミラウは首を横に振った。
「聞いてみたけど、早朝にしたっきりだって」
ならば誘拐……もとい盗難か。
しかし、そもそもミラウが神器を持っていることを知っているのは自分達の他に……。
そこまで考えて、自然とヒラクとモズの視線が交錯した。
「とにかく探すわよ!」
だがモズは自らの推測を口にはせず、ヒラク達を促す。
「あ、うん。でも」
それに倣い頷くヒラクだが、ふと思い出して彼女を止めた。
「あによ!?」
「いや、僕仮病を使って潜入したから、入り口から出て行く訳には……」
出鼻をくじかれ牙をむき出すモズに、ヒラクはそう返す。
気づきたくない部分に目を向けて冷静に考えれば、女子寮入り口にいたレモン女史はヒラノ=ロッテンブリンコの正体を分かっていたように思える。
だがしかし、そうだとしても再び堂々と外へ出て良いかは別問題だろう。
「元々どうする気だったのよ!?」
「とにかく君に会うのに夢中で……」
詰問され、ヒラクは慌ててそう答えた。
その後で自分が妙に恥ずかしい台詞を言ったことに気づく。
「今すぐその窓から飛び降りなさい」
そんな彼に対するモズの返答は、非情もとい非常に冷たいものだった。
「えぇ!?」
「アンタ高いところから落ちても平気でしょ! そこなら女子寮の裏手だから!」
そこまで言われるほどの事を言ったのだろうか。困惑するヒラクだが、モズは苛立った口調でそんな言葉を足す。
なるほど、守護獣との戦いで使った浮遊の呪文があれば二階程度から降りても怪我はすまい。
「スカートでやりたくないんだけどなぁ……」
「言ってる場合か! アタシが窓から放り投げるわよ!」
納得はしたが、スカートを翻しながらゆっくり降下する自分という光景は想像もしたくない。
渋るヒラクを、モズはぐいぐいと押す。
「モ、モズさん落ち着いて!」
そんな彼女を宥めながら、リスィもそれに続いた。
「二人とも、仲が良いんだなぁ……」
そんな場合ではない。心では分かっていながら、ミラウはそんな呟きを漏らさずにいられなかった。
◇◆◇◆◇
女子寮から脱出したヒラク。
彼が次に向かった先は、校内の女子トイレだった。
「み、見つかったら大変ですね」
「うん、生涯で一番気配消去を活用した気がするよ」
胸を抑えながら呟くリスィ。同じく鼓動を早めながら、ヒラクは彼女に答えた。
授業中なので、急に腹が痛くなった生徒がいない限りは大丈夫なはずだ。
いや、そういう事態はこんな時に限って起こりうる気がする。
自分の運の悪さを自覚しているヒラクは、ここにきた目的を手早く済ませてしまうことにした。
女子トイレの用具室を開け放つと、その前で瞑目し、詠唱を開始する。
「あらん痕跡を我に示したまえ……」
目を瞑るのは、ここが女子トイレであり、自らが女装をしているということも忘れるためだ。
「追跡」
そうして、完成した呪文を解き放つ。
すると、掃除用具入れの中に緑色の淡い光が点々と点った。
「な、何の魔法を使ったんですか?」
その光をおっかなびっくり見つめながら、リスィがヒラクへ問いかける。
「追跡だよ。さっき管理登録の話でもチラっと出てたんだけど」
「品物の場所を突き止めるって……アレですか?」
本当にさりげなく言ったので、覚えているだろうか。
不安になりながらヒラクが尋ねると、リスィは主人の不安顔の意味が分からないらしく、首を傾げながらそう答える。
たまにヒラクすら忘れそうになるが、リスィは優秀な記憶力を有しているのだ。
「よく覚えてたね」
「えへへ……って、それならネブネブの居場所も分かるってことですか!?」
ヒラクに誉められふにゃりとなったリスィだったが、すぐに気づいて彼に問う。
だが、それに対しヒラクは首を横に振った。
「本来は事前にかける魔法だし、僕じゃスキルのレベルが低いから無理だよ」
事前にかけておけば何年後でもどれだけ離れていても追跡できるような、本格的追跡魔法もある。
だがヒラクの場合、追跡魔法のギフトは1つしか所持していない。
そこまでの働きは不可能だ。
「残念だけど、僕ができるのは魔力の痕跡を足跡みたいに辿るだけなんだ。それもかなり強く残るか波形が独特なものじゃないと……」
言いながら、ヒラクは個室に納められた掃除用具を退かしていく。
すると、壁に備え付けられた棚に一際多く緑色の粉が落ちているのを発見した。
おそらくここに、彼女は座っていたのだろう。
ネブリカの羽についた鱗粉は、魔力が結晶化したものだ。
それに色が付いて、今光を放っているのである。
そしてリスィ達の魔力は人間の物と組成が違う。彼女が自力で動いたのなら、追跡は容易いはずだった。
「……ダメだね」
だが、魔力の跡は個室から出たところでぱったりと途切れていた。
……袋か何かに入れてしまったのだろう。
痕跡が途絶えていても追跡できる魔法はあるが、事前に印をしていない品物を探すとなると、もはや追跡魔法ではなく予言の範疇である。
「少なくとも、自分の意志でここを出た訳じゃなさそうだね」
だが少なくとも、ネブリカを連れ去った人物がいるのははっきりした。
考えをまとめながら、ヒラクは水道へ向かう。
蛇口をひねると、冷水を顔に浴びせた。
「あの……じゃぁネブネブは誘拐されたんでしょうか?」
もちろん、それだけでは化粧は落ちない。
顔を上げぬまま化粧落としを取り出し顔面に塗りたくる彼に、リスィが小さく尋ねた。
「多分ね」
顔を覆う指の間から、ヒラクは答えた。
この痕跡を見れば、誰かに連れ去られたと考えるのが自然だろう。
そしてその誰かとは……。
「それって、ハクアさんの仕業ですか?」
「……多分、ね」
ヒラクの探索仲間の他に、ネブリカの事を知っていたのはハクアだけだ。
普通ならそれだけで人を疑いたくはない。
それなのに、ヒラクの中には彼女がらみだろうという確信めいた気持ちがある。
そんな自らの考えに嫌気が差し、ヒラク冷水を顔に浴びせながらリスィに答えた。
「あの、その場合ネブネブは……」
ヒラクとハクアは同じクラス。つまり彼女が鑑定所を利用できる時間は過ぎている。
神器が登録されたとなれば、多少騒ぎになったはずだ。
それが無かったという事は、少なくともまだこの学園でネブリカが登録された訳ではない。
そして次の組。ミラウ達のクラスが探索の時間を終えるまでは一時間ほどある。
ハクアがネブリカを拉致した犯人だとして、彼女は次にどんな行動を取るだろう。
しばらく瞑目し、ヒラクは考えをまとめた。
「一度男子寮に戻ろう。多分……必要になる物があるから」
目を開くと、鏡の中にある自らの顔を見ながらリスィに呼びかける。
そこに映った顔は、先ほどの化粧姿よりはいくらかマシだ。
「ヒラク様、あの、必要なものって……?」
しかし、リスィから見た主人の顔はひどく憔悴しているように見えた。
ヒラクの声に何か思い詰めた物を感じ、リスィは体を震わせた。
管理ギルド
希少な物品等を登録、管理し、登録品が盗難等を受けた際に捜索を請け負う組織。
登録料はもちろん捜索料も格安であり、イルセリア全土に窓口がある。
その為探索者やセレブ、美術品蒐集家などにも需要が高い。
彼らはこれらの希少物の情報を、商店などと取り引きすることで報酬を得ている為、登録した品物が貴重であるほど、その情報の公開許可を受諾するほど(公開は段階制である)登録料が安くなる仕組み。
治安維持にも大いに貢献しているので国からの支援も受けており、それが活動費や賞金稼ぎへの報酬に充てられている。
ただし非公開情報の漏洩が噂されたりと、彼らを嫌う人間も少なくない。
国からの援助金が多額なのもこの為だ……などと吹聴すると失笑を食らうので注意。
予言
神の言葉を聞き、失せ物や未来を占うギフト。
レベル1の段階ではごく稀に数秒後の危険を予知できる程度だが、レベル3ほどからコインを使ってYES/NOの質問が出来るようになる。
的中率には日頃の行いが関係するという噂が為されているが、真偽は定かでない。




