まつろわぬ神器
自分とモズは、過去に出会っていた。
その衝撃に愕然とするヒラク。
「何よ」
間抜けな表情をしている彼に気づき、モズはヒラクを睨んだ。
「い、いや別に何でもないよ!」
一方でヒラクは、混乱したまま咄嗟にそう誤魔化す。
あれから5年近く経っているとは言え、何故こんなインパクトのある少女の事を忘れていたのか。
ましてやリスィに話す際、あの象のことまではっきり思い出していたではないか。
自らの脳の出来に果てしない疑問を抱くヒラク。
「あの時のカムイ様……すごく強かった」
そんな彼より自らの思い出が魅力的らしく、モズはうっとりと語る。
――これは、チャンスかもしれない。
頬に手を当てて悶えるモズの様子を見ながら、ヒラクは考えた。
奇しくも共通の思い出が彼女の口から漏れたのだ。
「あの時は大変だったね」などと話に乗ってしまえば良い。
そうすれば「何故アンタがそれを」と来て自然にカムイの事を話せるはずだ。
よし。プランを練り、ヒラクが口を開きかけたその時である。
「あの時私を抱き上げてくれたカムイ様の腕、とても優しかった」
モズの口から、ヒラクの思い出とは違う情景が出力された。
あの時彼女を抱き抱えたのは、カムイではなくヒラクのはずだ。
しかもそのまま象の暴威の外へ放り投げようとしていたのだから、優しくもない。
「あ、あの、モズ?」
口を挟もうとヒラクが声を出すが、モズはまるで聞いていない。
夢を見るような表情のまま、彼女は語り続ける。
「そうして象を倒したカムイ様は、私をお姫様抱っこしたまま頭を撫でてくれたの。あの時、私は探索者になろうって決意したのよ」
「……いやモズ。両手で抱えたまま頭を撫でたら腕が三本になっちゃうよ」
「え、あ、あれ? おかしいわね」
ヒラクが指摘すると、モズはようやく気づいたようで首を捻る。
その顔は真剣そのものだ。
それを見て、ヒラクはついに確信した。
彼女の脳内からは、あの時のヒラクの存在そのものが完全に消滅している。
「そ、そんなに影が薄かったかな……?」
あまりの扱いに、ヒラクはついそんな声を漏らした。
自分も彼女と数年前の少女を同一人物だと気づけなかったが、まさか居たことすら忘れられているとは。
確かにあの頃から隠れ身のギフトは持っていたし、シャドウサーバントというあだ名も彼女の影に隠れているからつけられた冷やかしの称号だ。
しかしそれにしても、命を救ってこの扱いは想定外だった。
こうなると、その思い出の線から会話を続けるのは諦めた方が良さそうだ。
今「あそこで君を抱えていたのは僕なんだ」と言っても、頭がおかしくなったとしか思われないだろう。
「あの腕の温もり。匂い……今でも覚えてるわ」
しかもこんな事を言われているのに、名乗り出られる人間がいようか。
先ほど彼女は件の温もりと匂いに包まれていたはずなのだが、その辺りも記憶の改竄が進んでいるのかもしれない。
「くしゅん! ごほっ! ごほっ!」
ヒラクがそんなことを考えていると、うっとりとしていたモズが急にくしゃみと咳を連射した。
「だ、大丈夫?」
水気を含む風と落下のせいで体が冷えたのだろうか。
守護獣の落下時に、水しぶきもかかった気がする。
そう思ってヒラクがモズを見ると、白い制服も濡れ体に張り付いていた。
「何やらしい目で見てんのよ。真っ二つにするわよ」
何を勘違いしてか。モズが警戒態勢で自らの体を隠す。
しかもその顔は真っ赤に火照っていた。
やはり風邪だ。彼女は間違いなく風邪をひいている。
「……後で保健室に行こうか」
冷静に判断したヒラクは、彼女を落ち着かせようとしつつそう提案した。
風邪薬の類もあそこには置いてあったはずだ。
保険医であるはずのダスティに医療の知識があるかは若干怪しいが……。
「別に風邪じゃないわ。ただの持病よ」
だが、そんなヒラクの提案を、鬱陶しそうにモズが遮る。
そうしてから彼女は、しまったと顔を歪ませた。
「持病って……」
そう言われ、ヒラクは思い出す。
確か象型に襲われた時のモズも、苦しそうに胸を抑えていたはずだ。
そんな体で迷宮探索などして大丈夫なのか。
ヒラクの頭をそんな疑問が頭を過ぎったが、口には出さないことにした。
彼女を怒らせるだけなのは目に見えている。
「こういうところで人に遅れを取ってる分、私はもっと効率的にやらなきゃいけないのよ」
そう考えるヒラクの前で、モズは自分に言い聞かせるように呟いた。
確かに元々の体が虚弱ならば、肉体強化があっても効果は多少減じる。
だが今までの動きを見るに、そこまで目立つような遅れがあるようにはヒラクには思えなかった。
敢えて言うならば、数年前と大して変わらない身長体型ぐらいだろうか。
「それで焦ったら、もっと効率が悪くなるんじゃないかな?」
彼女が自身の力を発揮しきれていないと考えるならば、その原因は自らのコンプレックスと余裕の無さからだ。
精神の不安定さが魔力を減じさせ、それを糧とする肉体強化の効果を活かせずにいるのだろう。
「うっさいわね! 非効率の塊みたいな奴に言われたくないわ!」
そう考え、つい口に出してしまうヒラク。
だがそれは余計なお世話だったようで、結局モズを怒らせてしまう。
そのままいつも通りヒラクへの罵倒を続けるかと思われたモズ。
だが彼女は、肩を落とすと絞り出すように呟いた。
「……アンタを見てると、自分の生き方を全部否定されてるような気分になるのよ」
それは、彼女にしてはひどく気弱な言葉だ。
だが、モズが以前にも似たような事を言っていたのを、ヒラクは覚えていた。
モズ達が植物型の魔物の攻撃によって全滅しかけ、それをヒラクとフランチェスカの活躍によって撃退した後のことである。
あの時ヒラクは言った。各々の人間に必要なギフトは違って良いのではないかと。
しかし、こうもヒラクに助けられる場面が続けば、モズが自らの道、そして存在意義に疑問を持ってもおかしくはない。
「僕は、そんなつもり……」
言いかけて、ヒラクは口をつぐんだ。
自分にそんなつもりがないからこそ、彼女を余計苦しめるのだ。
「良いわ。分かってるわよ、アタシがまだまだ未熟なだけだって」
何も言えなくなってしまったヒラクに対し、モズは自らを諫めるように息を吐く。
そうして、瞑目した。
「そ、そんなことないよ」
それは違う。
お世辞にしか聞こえないと分かっていても、ヒラクはつい口にしてしまった。
ヒラクがモズを上手く――彼女風に言えば効率的に支援できてしまうのには、きちんと理由があるのだ。
ヒラクのスキルは、無駄の塊ように見えて……そう見せかけて大半はカムイという一人の少女を支援するために取得されたものだ。
だからこそ、モズの失敗も適時フォローできてしまう。
何故ならモズは、探索者カムイを憧れとし、それを理想型とする探索者だからだ。
「いいったらいいの! きっと私はカムイ様みたいな探索者になって、アンタなんかいる必要無くしてやるんだから!」
やはりただの場当たり的な言葉にしか聞こえなかったようで、モズは空元気気味にヒラクの言葉を遮る。
――彼女は知っているのだろうか。
モズが目指しているカムイという少女は誰よりもヒラクを必要とし、そして死んでいったということを。
モズがこのまま進めば、確かにカムイのような強さを手に入れられるかもしれない。
だが、孤独に強さだけを求め進んだ末路もまた、彼女と同じなのではないだろうか。
魔物を倒し、迷宮内で佇むカムイの後姿が思い出される。
「その、カムイのことだけど」
それと同時に、ヒラクの口は動き出していた。
自分はやはり、カムイの死についてモズに話すべきだ。
これを告げることで、モズは悲しむかもしれない。
あるいは、立ち直れなくなってしまうかもしれない。
それでも、伝えるべき事をカムイに伝えなかったあの後悔を繰り返してはならない。
強く決意して、ヒラクが決定的な言葉を言いかけた時である。
「ヒラクさまーーー!」
「ほぐぅ!」
空から何か水滴のような物が落ちてきたかと思えば、続いて頬に衝撃。
何事かとヒラクが手で探ると、顔を涙と鼻水でぐしょぐしょにしたリスィが、彼の頬にひっついていた。
「り、リスィ落ち着いて」
その水気を受け止めながら、人差し指でヒラクは彼女を宥めた。
「おーーい」
後方の階段にはフランチェスカ。それから更に遅れてアルフィナがおっかなびっくり階段を下っている。
リスィはヒラクの無事を確認するため、階段を飛ばしてきたらしい。
彼女の気持ちはありがたい。
ありがたいが……今回ばかりはもう少しゆっくりでも良かったのではないだろうか。
「えーと、モズ……」
「は、鼻水ついた手を向けんじゃないわよ!」
ヒラクはもう一度モズへ語りかけようとするも、リスィの体液がついた手のせいでそれは遮られてしまった。
完全に話すタイミングを逸してしまった形である。
「二人で守護獣を倒してしまうとはな」
ため息を吐くヒラクに、階段を下り終えたフランチェスカが、様々な感情の入り交じった苦笑を寄越す。
「下が水辺で助かったよ。成長もしきれていなかったみたいだし」
リスィに頬を潰されつつ視線をフランチェスカに向けると、話の続きは諦めてヒラクはそう答えた。
あの守護獣と水の溢れる階層で出会えたことが幸運だったのだ。
普段なら再生能力と逃げ場のない熱に阻まれ、倒すことは難しかっただろう。
相手が鳥としての機動力を発揮できたのも、この階層のおかげではあるのだが。
「生まれの不幸を呪うが良いって奴ですね!」
ようやくヒラクの頬から離れたリスィが、彼の知らない格言めいたことを言う。
「ふん! 散々脅されたけどあんなもん楽勝よ!」
「真っ先に落とされていなければ、説得力があったのだがな」
「うぐっ」
小さな胸を誇らしげに張ったモズだが、フランチェスカにつっこまれて呻く。
今回の出来事は色々とイレギュラーが重なった結果であり、ほかの守護獣も同じように考えられては困る。
そう考えるヒラクだが、これが彼女なりの虚勢だということも分かっているので何も言わずにおいた。
呆れた顔をしながらも同じ事を考えたのか。
フランチェスカもそれ以上モズを諫めたりはせずに、ヒラクへと笑いかける。
「ともかく君はこれで不死鳥スレイヤーだ。と、死なぬ者を殺すというのもおかしいな。いや、敢えてそこを採用してエターナルライフスレイヤーとでもすべきか……ううむ、ノーライフ……これではアンデットだしな」
だが、自分の発言に何か鉱脈めいた物を発見したようで、彼女はぶつぶつと呟きながら自分の世界へと入ってしまった。
「そんな大げさな……」
そもそもの不死鳥スレイヤーという単語すら聞いたことがない。
フランチェスカをどうやって現世に戻そうかと惑っていたヒラクだったが、ふと視線を感じそちらを向く。
「……全然嬉しそうじゃない」
すると、いつの間にか階段を降り終えていたアルフィナが、ひたりとヒラクを見つめている。
そうして彼女は、直前まで青ざめた顔をしていたことなど微塵も感じさせない無表情でヒラクに告げた。
こういった彼女の行動は、唐突なれどいつも通りのものだ。
それでも、ヒラクの胸は特別に強く跳ねる。
「あ、いや、そういう訳じゃないよ。ずっと、守護獣を倒したいとは思ってたから……」
それは、図星を突かれたという自覚があるからだ。
「……詳しく」
そんなヒラクの答えに、アルフィナの目がすっと細くなる。
「とにかく神器よ! 早く拾いに行かなきゃ横取りされるかもしれないわ!」
だが、そんな彼女の視線を遮るようにモズが突然大きな声を出した。
「いや、それは無いだろう」
フランチェスカが腰に手を当て呟くが、彼女は聞いていないようだ。
七階は一本道である上周囲を見渡しやすいので、他の探索者と出会う確率は他の階層より高い。
それでも、ヒラク達が落ちて再び登るまでの間に神器を見つけて持ち帰るような、すさまじく間の良い人間がいるとは思えない。
「……間の悪い」
そして、モズはアルフィナに間の悪い女認定を受けていた。
しかしこれだけ話そうとして話せないという状況が続くとなると、おそらく今日は、こういう日なのだろう。
心なしか膨れた頬をしているアルフィナに「後でね」と伝えて、ヒラクは未だに自らの頬にひっついているリスィに尋ねた。
「リスィ。声はどうなってる?」
するとリスィはハッと目を見開き、自らの耳へと手をやる。
「あれ?」
そうしてそこを引っ張ったり押しつぶしたり、あるいはねじったりしていたリスィだが、やがてそのまま首を捻りだした。
「ど、どうしたの?」
まるで新手の健康法のようなポーズだが、そうではあるまい。
いやな予感がしながらヒラクが尋ねると、彼女は耳抜きのポーズをしてから答えた。
「いえ、声が聞こえなくなってて……」
「いつからよ!?」
それに素早く噛みついたのはモズだ。
「ひゃっ」
もちろん実際に牙で噛みついたわけではない。
しかしそうしてもおかしくないようなモズの剣幕に、飛び上がったリスィが中空でひっくり返る。
「こ、小石が投げ込まれた辺りまでは聞こえてたんですけど、炎が吹き出したりヒラク様が落ちたりでそれどころじゃなくなっちゃって……」
それから彼女は、恐る恐るといった調子で弁明を始めた。
「……モズが落ちたのはどうでも良い出来事」
それをアルフィナが静かに茶化し、失言に気づいたリスィが今度はぴょんと飛び上がる。
まるでサーカスのようだなと、ぼんやり考えるヒラク。
「そんなことはどうでも良……くないけど今は後回しよ! とにかく神器の方へ行きましょ!」
が、今のモズにとって優先すべきは神器のようだ。
彼女はリスィへの文句は置いていき、勢いよく駆けだした。
「は、走ったら危ないってモズ!」
何せ下は苔まみれなのだ。
転倒しないよう彼女へ注意を促しつつ、ヒラク達もまた上へと戻ったのであった。
◇◆◇◆◇
一行が守護獣の居た横穴に戻った頃には、終業時間間近になっていた。
「いない、です」
守護獣が飛び出した穴の中を調べてきたリスィが、首を振る。
「無いってどういう事よ!?」
ひっくり返った声を出すのはモズだ。
彼女はリスィに掴みかかりたいが我慢しているのだろう。
指をキリキリと動かしながら尋ねる。
ちなみに途中でコケたせいで、制服の全面が光苔で輝いていた。
先ほども同じようなやり取りがあった。
思いながら、ヒラクはモズからリスィを庇う。
「穴の奥に深い谷があって……その下が滝になってて……だから」
彼の陰に隠れたリスィは、たどたどしく言葉を紡いでいった。
「ま、まさかさっきの投石で……」
「……落っこちた」
現実味を帯びた予測を漏らすのはフランチェスカとアルフィナ。
「いや、炎が吹き出したしそのせいって事も……」
フォローしようとヒラクが声を発するも、その方向はズレている。
「声も、やっぱり聞こえなくなってます」
ダメ押しのようにリスィが呟く。
「そん、な……」
「モ、モズしっかり!」
モズの体がぐらりと後方へ傾ぎ、ヒラクは彼女がまた落ちぬよう慌てて掴む羽目になった。
こうしてリスィを呼んだ謎の神器は、姿を見せぬまま何処かへと消え去ったのであった。
◇◆◇◆◇
一方、ヒラク達が神器の消失を確認する少し前。
アールズ迷宮探索者養成学園第二クラス。
窓際に座る少年ライオ=ルスティンは、欠伸をペースト状になるまで噛み潰しながら眠気に耐えていた。
午前の過酷な迷宮探索が終わり、昼食も取ったとなれば眠くならないはずがない。
しかも内容がノートを取るだけの座学となれば、もはや拷問の類だ。
これに耐えることがこの授業の目的なのではないか。
妄想と一緒に意識が飛び立とうとする中、わずかな変化を求めて視線を動かしたライオの瞳に何か動く物が映った。
「あれは……」
裸の少女である。
ただしその大きさは、眠気が遠近感を狂わせていなければ手のひらに乗る程度だ。
相手がふわふわと宙に浮いていること。
そしてその体が淡く輝いているという要因を差し引いても、刺激を求め、全神経を面白そうな物を探すことに集中したライオの目でなければ、とらえられなかったことだろう。
そして彼は、自分が目撃したその生き物に酷似した存在を知っていた。
「……リスィ?」
思わず、呟きが漏れる。
彼のルームメイトであるヒラク=ロッテンブリングの相棒……もしくは愛人の妖精リスィに、その小人はそっくりだったのである。
違うのは彼女が、ヒラクお手製である可愛らしい服を着ていないこと。
そして、その背中にアゲハ蝶のような羽を生やしていることであった。
いや、それだけ違えば充分だろう。
よく見えないが、人相も少し違う気がする。
「なんだ。人違いか……」
霞がかった頭で結論づけたライオは、そのまま机に突っ伏した。
中庭にリスィが一人でいるのであれば珍しいが、あれはただの妖精だ。
おかしくも何ともない。
そう考えると共に、ライオの意識は急激に闇へと飲まれていった。
――さて、彼が見た光景は眠気の生み出した幻覚などではない。
妖精は確かにそこに存在し、差し込む日光で水に濡れた自らの体と羽を乾かしていた。
彼女が乾かす羽には、模様に紛れ文字が刻まれている。
それは神器の持つ自らの機能説明である。
神語で書かれ、神語解読のギフト所持者とまだ見ぬ契約者にしか読めないその文字の意味は、「転移」。
まつろわぬ神器は、そうしてしばらく風に吹かれた後、また何処へと去っていった。
肉体強化と病気
肉体強化を修得することで、内臓の機能が高まり病気の症状が緩和される事例は多い。
しかし病気を完治させることは難しく、これはいかなる回復魔法を使っても同様である。
海の向こうの島国には、あらゆる病気を治療する医術のギフトを極めた人間がいる。
もしくはどんな難病をも完治する神器が存在するという噂はあるが、公的な記録には残っていない。




