円環を壊す少女
「結局7階って、どんな場所なんですか?」
2時間の迷宮探索を終え、転送室から出たリスィはヒラクへと尋ねた。
残り時間ではもちろん3階下になど潜ることは出来ず、結局ヒラク達が難色を示した7階とやらの正体は分からずじまいである。
「んー……まぁ見た方が早い、かな?」
しばらく考え込んだヒラクだが、上手い説明が思い浮かばなかったのか非常に曖昧な答えを返す。
それでは納得できぬとリスィが三人娘の方を見ると、彼女らは順番に口を開いて言った。
「基本は一本道だ」
「……縦に長い」
「面倒くさい」
……謎は深まるばかりである。
一本道なのに面倒くさくてしかも迷宮であるのに縦に長いとはどういうことか。
自分ももう子供ではないのだから本当のことを教えてください。そうリスィが周囲に問いかけようとした時である。
「私とのことは遊びだったって言うの!?」
大人の世界に踏み込んだような少女の叫びが、廊下に木霊した。
「……修羅場」
人の本能は修羅場の臭いを無視できない。思わずそちらへと視線を向けるヒラク達。
すると大方の予想通り、そこでは一人の女子が更衣室から出てきた男子へと詰め寄っていた。
その光景に、ヒラク達のように迷宮から出てきた生徒、着替えを終え雑談に興じていた生徒、そして入り口に立たれているので出るに出られなくなった更衣室の生徒達までもが注目する。
「ちょ、人聞きの悪いことを言うなよ」
男子の方は周囲の目と耳が自分に向けられているのを感じ、バツが悪そうに辺りを伺っている。
「貴方が私を捨てたのは本当じゃない!」
だが女子の方はそんな物はお構いなしに、涙ながらに男子を詰った。
「捨てたって……別のパーティーに移籍しただけだろ?」
「おかげでうちの編成はボロボロよ! あんな女に誑かされて!」
男子は弁明するも、彼女は聞き入れる様子がない。
「……痴話喧嘩半分、迷宮攻略の問題半分といったところか」
彼らのやりとりを見、フランチェスカが額をおさえる。風紀委員も兼任する彼女は止めに入るべきなのだろうが、どうにも気が重いようだ。
「学校が始まってまだ日が浅いのに、もうカップルさんができてるんですねぇ」
「吊り橋効果……」
リスィがどこかずれた感想を言い、アルフィナが夢の無い呟きを漏らす。
そういえば自分のルームメイトも初日でパーティー内の女子に一目惚れしていた。
思い返しながら、ヒラクは苦笑いをした。
「あれは男の方が正しいでしょ。効率のためにより強い人間と組むのは当たり前よ」
モズはと言えば完全に花より団子――もとい効率といった案配で、彼女らしい持論を展開する。
「貴公が信奉しているカムイ=メズハロードはパーティーすら組まなかったと聞くが?」
それを半眼で見ながら、フランチェスカが呟いた。
ピクリと、モズとヒラクの肩が動く。
「カムイ様ぐらい強いと、半端な探索者なんて足手まといになるだけなの! あー、早く私もあの境地にたどり着きたいわ」
叫んだのはモズだった。彼女は当てつけのように息を吐いてみせるとそう言い放った。
「きょ、今日足を引っ張ったのは貴公だろう!?」
「だからあんぐらい一人で何とかなったってーの!」
それにフランチェスカが反応し、二人はいつも通りの取っ組み合いへ突入しようとする。
「……あ」
だがそれを、アルフィナが漏らした一音が止めた。
小さい割に妙に通る彼女の声にモズとフランチェスカ、そしてヒラクまでがアルフィナの視線の先を見る。
すると彼女が見ているのはあちらも取っ組み合いへと発展しそうな男女であり、そこへ一人の少女が静かに歩み寄っていくところだった。
「ハクア……」
モズが呟いて、奥歯を噛みしめる。
ハクア=リカミリアがゆったりとした足取りで二人へと近づく。
すると、まるでその周囲だけ空気の色が変わったかのような錯覚をヒラクに起こさせた。
それは喧嘩をしていた男女にとってもそうなのだろう。
二人は動きを止め、丸い目でハクアを見る。
「ごめんなさい。私のせいで喧嘩になっちゃったみたいで」
そんな彼らに、ハクアは深々と頭を下げた。
「ハ、ハクアちゃん! 別に君が謝る必要なんて……」
男子が慌てた声を出し、彼女にそれをやめさせようとする。
しかし女子の方は彼の腕をがっちり掴み、ハクアに対して警戒心を露わにしている。
どうやらハクアが件の、男子を引き抜いたというパーティーらしい。
事態をようやく把握したヒラク。
一方周囲が緊張感に包まれる中、ハクアが姿勢を戻す。
「やっぱり、自分の探索メンバーが欠けたからって他の人に頼むなんて良くなかったよね」
顔を上げた彼女の目尻には涙。
ハクアはそれを指ですくい取る。
「俺から入るって言ったんだしハクアちゃんは悪くないよ! これからも同じパーティーで……」
「ちょっと!?」
口から泡を吐きそうな勢いで彼女を庇おうとする男子と、その様子に怒りをさらに強くする女子。
それに対し、ハクアはゆっくりと首を振った。
「良いの。別の人を見つけるから、貴方はみんなのところに戻って」
静かに告げられた言葉は、男にとって死刑宣告に等しいようだった。
その一言で、彼の体は石になったように固まってしまう。
「二人とも凄くお似合いだと思うな。ちょっと羨ましい」
それからハクアは視線を女子の方へ向けると、儚げな笑みを浮かべた。
その笑みはまるで、触れれば花弁が落ちてしまいそうな花である。
その可憐さ、けなげさに、男子はもちろんハクアを敵視していたはずの女子までもがぼうとなり、言葉を失う。
「それじゃあね!」
そしてその隙をぬけるように、ハクアは踵を返し駆けだしていた。
「ハ、ハクアちゃ――ん!」
ようやく硬直が解け、ハクアを追いかけようとする男子だが、女子の方は呆然としながらも彼の腕をがっちりと放さない。
「アイツはあぁやって、有望そうな奴をつまみ食いしてるのよ。で、気に入らなきゃポイって訳」
そのやり取りを苦々しい表情で見ていたモズが、奥歯に挟まった物をすりつぶすような調子で呟いた。
「つまみ食いって……」
すっかりハクア劇場に見入っていたヒラクだが、モズの言葉で我に返ると女子としてはあまり聞こえの良くない彼女の言葉をとがめる。
「サークルクラッシャーというやつですね!」
それを彼の頭の上で聞いていたリスィが、ヒラクの知らない単語を使った。
おそらく神語かもしくは知らない方が良い単語だろうと辺りをつけ、ヒラクはそれを聞き流す。
「そんな事を繰り返しては、まず本人の評判が落ちるだろう」
眉をひそめてフランチェスカが言い返すと、モズは顎をしゃくって男子たちの方を示した。
先ほどまでは傷害沙汰になりそうな彼らだったが、今はすっかり毒気が抜かれ喧嘩を続けられるような雰囲気ではなくなっている。
周囲で注目していた生徒達からも、ハクアを非難するような言葉は出ていないようだ。
「だから魅惑にスキル振ってんのよ。本人もぶりっこが大得意だし」
4人パーティーから突然一人を引き抜いておいて結果が予想できないはずがない。
精神抵抗を持っているヒラクからすれば、そう考えられるのだが、げにおそろしきはチャーミングの効果かそれともハクア本人か。
「うげっ」
などとヒラクが考えていると、モズがまたしても容姿に似合わないしかしもはや彼女らしい呻き声を上げた。
何事かとヒラクが彼女の視線を追うと、男女の元から離れたハクアが、こちらへと歩いてきていた。
「あ、モズちゃん」
今彼女に気づいた。
そう示すような態度でハクアは目を丸くすると、花が咲いたような笑顔を見せてモズへ駆け寄る。
そうして彼女は非力さを表すように息を整えると、近しい者に会えた油断から……とでもいうように顔を曇らせ呟いた。
「またメンバーが欠けちゃった……」
彼女の仕草にいちいち穿った意味付けをしているのは、もちろんヒラクがねじれた根性をしているせいである。
果たしてモズは、彼女の言葉をどう受け止めたのか。
ちらりとヒラクがモズの様子を窺うと、アルフィナ、フランチェスカ共に同じ事をしているのが目に入った。
おそらく頭上のリスィも一緒だろう。
すると彼らの視線に気づいたモズが、がるると犬歯をむき出してヒラク達を睨む。
それからハクアに視線を合わせないまま、彼女は先程の勢いもどこへやら小さく言葉を返した。
「そりゃ……お気の毒に」
愛想とも皮肉とも取れる言葉である。
つまり、普段の彼女と比べると非常に歯切れの悪い。
ヒラク達の視線が再度モズへと集まり、モズが再度彼らを睨むというループが完成した。
モズはハクアを怒鳴りつけてみたり、かと思えば今のように萎縮したり、一体彼女をどう思っているのだろう。
胸の内でヒラクは考えた。
恐れている? まさか。
そして湧き出た答えを即座に否定すると、頭を振る。
すると――。
「あれ……?」
どこからか観察されているような視線を感じ、ヒラクは顔をあげた。
しかし、誰と目が合うわけでもない。
先程まで俯いていたはずのハクアも、いつの間に笑顔に戻っている。
「あ、でもね。マイクくんのおかげで今日は6階まで行けたんだよ!」
そして、そんな彼女は手を打ち合わせると、自らが上機嫌に戻った理由を説明した。
マイクとは、おそらく先程の男子のことだろう。
そして、彼女の迷宮攻略はヒラク達より二階も先へ進んでいるという。
「えっ!?」
しかし、それに対し声を上げたのはリスィだけだった。
ヒラクはもちろん三人娘も、驚きを顔に出さないようにしている。
リスィが周囲の反応に気づき、何かまずかったですかと彼らを見た。
まずいことはない。進捗状況など秘匿しても仕方がない。
だが、彼女に後れをとっていると知られるのは、何か不都合な気がする。
ハクアの笑みが深くなったような気がし、ヒラクは背筋に滴るものを感じた。
そうしてヒラクが戦々恐々としていると、ハクアが腰を屈めた上目遣いでモズを見る。
「な、何よ」
普段ならあり得ないアングルからの視線にさらされ、モズが狼狽した声を出す。
そんな彼女に、ハクアはゆっくりと尋ねた。
「モズちゃん、私のパーティーに入ってくれない?」
「なっ!?」
「あぁ……」
モズは驚きの声を上げたが、ヒラクにしてみればなるほど、といった気持ちの方が強い。
だから自分は彼女に迷宮の進み具合を知られたくなかったのだ。
モズにしてみれば、それは答えに窮する問いかけである。
イエスと答えれば効率のためにハクアの軍門に下ることになる。
何せこちらの方が遅れているのは既に悟られているのだ。
そうでなくとも、散々にけなした相手と一緒に迷宮へと潜るのは心情的に厳しかろう。
だがノーと答えれば、効率が全てだという自らの信条を曲げることになる。
効率を出すためならばパーティーなど乗り換えて当たり前。
先程彼女自身がそう言ったのだ。
「う、ぬ……」
案の定、モズが返答に詰まる。
ここは、見守るべきだろうか。
その表情を見ながら、ヒラクは逡巡した。
どう答えるかは、モズの自由だ。
今まではなんだかんだで仲良くやってこれた、とヒラクは勝手に考えている。
彼女も同じ気持ちであると信じて見守るのが、正しいパーティーの在り方というものではないだろうか。
それで彼女がパーティーを離れる決心をしたとして、ヒラクに止める権利などない。
思考としては、それで正しいはずだ。
だがしかし――。
意を決した様子のモズが、口を開いて返事をしようとする。
「そういうのは、僕達にも相談して欲しいな」
しかしそれよりも、ヒラクが一歩前に出てそう言う方が早かった。
中途半端に口を開いていたモズが、パクパクと口を動かす。
「そうだな。目の前で引き抜きとは、いささか大胆すぎる」
「……以下同文」
フランチェスカとアルフィナがそれに続き、ハクアを牽制した。
ヒラクの頭頂部がぐっと引っ張られる。
おそらくリスィも拳を握りしめ、ハクアとの対決姿勢を取っているのだろう。
目を丸くしたモズが、彼女らの顔を見回す。
そんな間の抜けた顔のままモズがハクアの方へ視線を戻すと、ハクアはふっと息を吐いた。
「……もう、冗談だよっ」
そうして、彼女はいつも通りのふんわりとした笑顔に戻り、可愛らしくそうのたまった。
「モズちゃん。とっても良い友達に囲まれてるみたいだもん」
まるで先程の発言が、大切な友達であるモズの仲間を試すためのものであったかのような態度である。
「誰が友達よ!」
その言葉にモズがようやく、彼女らしい叫びを上げた。
彼女が吐いた火の息から逃れるように、ハクアが身を翻す。
「それじゃあまたね!」
そうして彼女は、そう言うと跳ねるようにステップしながらやってきた方向へと歩いていった。
「……余計なこと言って」
彼女の後ろ姿を睨んだまま、モズが呟く。
「見損なうな。どう考えても失敗するような移籍を喜ぶほど、私は腐った人間ではない」
同じく前を向いたまま、フランチェスカは呆れた口調でそう返した。
「そうですよ。確かにモズさんは欲張りのごうつくばりですけど、優しいところもあるって私には分かってます! ね、まだまだ一緒に冒険したいですよぉ」
「……アンタに関しては諦めてるから、まぁ良いわ」
リスィが失礼を煮凝りにしたような言葉を放つ。
だが、言葉通り慣れたのか、それとも先程の彼女の態度でその言葉が本音だと察したのか。モズはいつものように怒鳴ることもなく、目だけでヒラクを見た。
「えっと……」
どうせアンタも何か言うんでしょ。と言いたげなモズの視線に、ヒラクは逡巡した。
しかし、いやいや、こういうところではっきりと意志を示さないから自分はダメなのだ。
そもそも一度彼女の選択を阻んでしまったわけだから。
と考え直し、そうした理由を彼女に伝えることにした。
「どういう選択をするかはモズの自由だけど、その前に僕の気持ちを伝えてないと思ったから」
彼女を信頼して待つ。それも正しい選択だろう。
しかしそれは、自らに出来ることを尽くし、お互いが後悔のない状態にしてからだ。
ヒラクはあの時そう考えて、ハクアとの間に割り込んだのだ。
「何よそれ」
余計なお節介だ。アンタの気持ちなんて知ったことか。モズの瞳はテレパシーでも使っているのではないかと思うほど明確に意志を伝えてくる。
しかし、ヒラクはそんなテレパシストではない。
彼は、モズをまっすぐ見ると真剣な目で彼女に告げた。
「僕は、君に行かないでほしいと思ってるよ」
その言葉を聞いた途端、モズの口がぐにゃりと波打つ。
「アンタはなんか上から目線なのよ!」
続いてヒラクの脛に衝撃。
モズのつま先が、見事に彼のそこへと突き刺さっていた。
「あっだ! ……そ、そんなつもり無いって!」
ヒラクが思わず膝を屈すると、珍しくモズの方が見下ろす位置関係となった。
上から目線って、多分こういうことじゃないよなぁ。
くだらないことを考えながらヒラクが脛をさすっていると、アルフィナがぽつりと呟く。
「……あれは曲者」
「アンタも精神抵抗はもってないくせに、アイツの魅了にかかってないのね」
彼女にのぼせ上がっていない人間を見つけたからか。
それとも自分と同じ立場の人間を見つけたからか。モズが妙に弾んだ声で言う。
生まれつき魅了の類に鈍感な人間もいるが、この間植物型の精神攻撃が効いていたところを見るに、彼女はそう言った性質ではないはずだ。
むしろ後列で一番魔力の余っていた状態からあそこまで追い込まれたのだから、鉄面皮な表層と裏腹に精神的には一番か弱いと思って良い。
思い返しながらヒラクが視線を向けると、アルフィナはその変わらぬ表情のままポツリと呟いた。
「校長に、注意されたことがあったから」
だが、その答えは要領を得ない。
確かにアルフィナは、校長に引き取られこの学園にやってきた。
しかし何故校長が、一介の生徒について注意を促すのだろう。
「校長? 校長が何で彼女の事を……」
疑問に思ってヒラクが尋ねると、三人娘が同様に「本気かこいつ」という視線が降ってくる。
その意味が分からず、比較的視線のゆるいフランチェスカにヒラクが眼差しを向けると、彼女は息を吐いて説明した。
「ハクア=リカミリア。彼女はおそらくこの学園の長、オクタ=リカミリアの親族だ」
本当か。ヒラクが視線をアルフィナに戻すと、彼女はゆっくりと頷く。
ハクアの人を食ったような態度に、どうも見覚えがあったはずだ。
脛と頭がジンジンとする中、ヒラクはぼんやりとそんなことを考えたのであった。
精神攻撃への耐性
本文中ヒラクはひとくくりに考えたが、実際には精神攻撃の種類によって個人の耐性には差が生じる。
精神的外傷を抱える者はそれを刺激するような魔法に弱く、色恋に鈍感な人間には魅了魔法が効き辛い。などの例が一般的。
魅了関係のスキル成功率には立ち振る舞いや容姿が深く関係しており、一発逆転を目指して魅了魔法を取得した非モテ系男子の心を容赦なく叩き割る。




