転調
徹夜明けのダンジョン探索となったが、ヒラクの体に疲れはそう残っていなかった。
入る直前に刺激を強くしたポーションを飲んだおかげという事もある。
だが何より、ダンジョンに入るとヒラクの体は本調子に戻るよう習慣づけられているようだった。
ただそれでも、自覚していない疲れが残っている可能性はある。
今日の探索はいつも以上に慎重に行わなければ。そう決意したヒラクだったのだが……。
「今の戦いの何が悪い? 悪しき魔物達を即座に全滅させたではないか」
「だから魔力無駄遣いしすぎなのよ! あんな雑魚に魔法なんて使う必要無いでしょ!」
眼前では、彼の疲れをぶり返させそうな光景が繰り広げられている。
迷宮に突入して1時間。既に4度目となるやりとりであった。
「華麗なフィニッシュの為には必要なことだ。貴公こそ節約節約と小姑のようだぞ」
「えぇそうね! アンタのせいで皺ができそうよ!」
魔物を倒した後で、その方法についてモズとフランチェスカの二人は延々と喧嘩をしている。
あの二人にもお互いを思う気持ちはある。
その事をそれぞれから聞いたヒラクはそれを知っているのだが、当人同士に伝わらなければ意味がない。
しかしはて、ヒラクから彼女らに話したとして、二人が素直に受け止めるだろうか。
「……終わった」
一人黙々と魔核を解体していたアルフィナが、ぼそりと呟く。
「あぁ、おつか……おわっ」
ヒラクがそちらを向くと、彼女は手の平大の箱から、自身の身長よりも長い槍を取り出しているところだった。
「わぁー、手品みたいですね」
それを見て、リスィがのほほんと感想を漏らす。
フランチェスカとモズの争いに関して、二人は温度の違いはあれど我関せずを決め込んでいるようである。
「ええと、それ、とりあえず僕が持つよ。持ちきれなくなったら置いていこう」
喧嘩する二人とのんびりしている二人の間に立つと、確かに悩んでいるのが馬鹿馬鹿しくなってくる。
頭をかいてアルフィナに近づいたヒラクは、彼女に手を差し出した。
「も、持って行くんですか?」
それを見上げたリスィが驚きの声を上げる。
槍は下手をすればダンジョンの天井へぶつかってしまうほどの大きさである。
とんでもないドケチを見つけたような彼女の反応も、当然と言えば当然だろう。
「もしかしたらエンチャント付きかもしれないからね」
そんな彼女に苦笑を返しつつ、ヒラクはそう答えた。
可能性はかなり低いが、生来貧乏性な彼は、拾える宝はなるべく拾うことにしていた。
「この派手好き乳デカ女!」
「派手好きは認めるが騎士と呼べ!」
ヒラク達がそんな会話をしている間にも、モズとフランチェスカはいまだに喧嘩をしている。
「ちょっと胸がデカいからって浮かれやがって!」
「む、胸は関係ないだろう! や、やめろ、こら!」
その内容はもはやお互いの主義主張から離れ、若干桃色めいた方向へ進んでいるようだった。
モズが甲冑越しにフランチェスカの胸部を押すと、今はベルトで固定されているため押しつぶされた胸が重量感をもって押し返してくる。
「えーと……」
それを横目に見た後、槍を受け取ったヒラクはアルフィナへと視線をやった。
「……乳比べとか、失礼だと思う」
自らを抱くようにして胸を隠すアルフィナ。
「比べた訳じゃないよ! ただ、その……」
それに対して、ヒラクは慌てて首を横に振る。
連動して手に持った槍がぶるんぶるんと震えた。
そんな意図が無いわけではなかったが、彼が主に考えていたのは別のことであった。
あまりそのようには見られていない気もするが、ヒラクはやはり男子である。
同じ女子であるアルフィナならば、自分より上手くモズたちを仲裁できるのではないか。
彼はそう考えていた。
「出来ることを見つけると言ったけれど、そこまではするつもりは無い」
しかし、まるでヒラクの考えを読んだかのように、アルフィナが独り言のようなトーンでそう呟く。
「そっか……」
おそらく自分の考えは彼女に筒抜けなのだろう。
そう納得しつつ、ヒラクは頭を垂れた。
例の幼なじみとアルフィナの和解は、一応成立したらしい。
しかし、アルフィナの中にある、彼女の両親を殺してしまったという自責の念が消えたわけではないはずだ。
そんな彼女に、喧嘩の仲裁などと言うやぶ蛇になりかねない行為を求めるのは酷なことだろう。
考えが浅はかだったと、ヒラクは内心で自らを叱った。
「貴方を見て、これが余計なことか見極めさせてもらう」
そんな彼に対し、アルフィナが普段より少し力を篭めて言葉を続けた。
思わず顔を上げるヒラクだが、アルフィナの表情は変わらない。
自分が彼女達の仲を取り持つことが出来れば、アルフィナもパーティーメンバーと関わることに対して積極的になるのだろうか。
思いのほか、自分は重大な任務を背負っていたらしい。
「ええと、努力してみます……」
それに気づいたヒラクが苦笑いをしていると、その様子を見たリスィがあっけらかんと言った。
「大丈夫ですよ! お二人はお互いを想い合ってるんですから!」
聞いていて恥ずかしくなる。もしくは二人の関係について勘違いされそうなセリフである。
「この、くのっ!」
「や、やめないか! うひゃっ!」
向こうでは二人が乳繰りあっているので尚更だ。
なるほど。アルフィナとリスィにはそれぞれ考えがあって、静観を決め込んでいるようである。
「こんの、横にも下にも隙間なんて作って! 窮屈アピールか!」
「つ、作りたくて作った隙間ではない……ひゃ、やめっ」
ただ彼女らがそうしている間にも、二人の喧嘩……らしき物は新たな局面へと発展していっているようだった。
フランチェスカの背後に回ったモズが、彼女の鎧の隙間から手を入れようとしている。
このまま経過を見守ったほうが二人にとっても、ヒラクにとっても良い方向に進むのではないかとも思われたが……。
「モズ、それぐらいでやめ……手とか入れたら抜けなくなっちゃうって!」
リスィほど楽観視は出来ず、アルフィナのように放っておくことも出来ず、ヒラクは結局二人の仲裁へと入ったのだった。
◇◆◇◆◇
「ええと、災難だったね」
フランチェスカと並んで歩きながら、ヒラクは彼女を慰めた。
「まったく、好きでこうなった訳ではないというのに……」
中の物の収まりが悪くなったのか。フランチェスカは胸鎧を上下に揺すりながらため息を吐く。
そして、そんな彼女の胸の収まりを内外問わず悪くした犯人であるモズは、大股かつガニ股でずんずんとダンジョンを進んでいた。
「力が抜けて、そのまま魔力まで搾り取られるような気分だった」
「そんな訳……いや、あるかもね」
若干上気しながらそんなことを呟くフランチェスカに動揺しながらも、ヒラクは彼女の話に同意する。
「そうなのか!? その、ここを揉まれると魔力が抜け出るようなことが……」
するとフランチェスカが驚いた様子でヒラクを見ながら、胸甲の上に乗せた手をわきわきと動かした。
「そ、そうじゃないよ。前に他の子にも言ったことがあるけど、精神状態で魔力って上下するから」
その仕草で沸いて出た不埒な想像振り払いながら、ヒラクは彼女に答える。
それは少し前、保健室で留守番をしていたときに捻挫をした女子に話した言葉であった。
不安になれば精神が萎縮、消耗し、使える魔力は少なくなる。
逆に高揚していれば、普段よりも多くの魔力が使えるようになるのだ。
一昨日モズとフランチェスカが競い合って魔物を倒したときもそうであった。
彼女が胸を揉まれて気分が高揚するような人間ならば別だろうが、動揺や羞恥心を感じれば魔力が減じてもおかしくはない。
ヒラクはそう考えていた。
「なるほど。騎士らしく気を引き締めろということだな」
「いや、緊張しすぎても無駄に消費するだけだから。なんていうか……自然体でいるのが一番なのかな?」
そう口にしながらも、おそらくそれはフランチェスカには難しい試みだろうとヒラクは感じていた。
そもそも彼女は姫騎士という役割を演じているのだ。
自然体も何もない。
「ふむ……難しいものだな」
予想通り、フランチェスカは眉根を寄せて唸った。
「あ、あのさ……」
自分の言葉のせいで余計に考え込ませてしまったか。
反省したヒラクが彼女をフォローしようとすると、それより先にフランチェスカが大きく息を吐く。
「分かっている。真の騎士とはきっと、こんな甲冑や、ギフトになど頼らなくとも己を誇ることができる人間なのだろう」
彼女は視点を落としながら、魔力が減じている影響か少々弱気な調子で呟いた。
「私は未だにムゥちゃんに……死んだ人間にすら頼っている。それではいけない。分かっては、いるのだ」
自分に言い聞かせるように呟くフランチェスカ。
「死んだ人間に、頼る……」
彼女の様子よりもその言葉に、ヒラクの胸がえぐられたかのように痛んだ。
「あの、ヒラク様」
先ほどまで黙ってヒラクの肩にとまっていたリスィが、彼に対して気遣わしげに声をかける。
彼女の頭を指で撫でたヒラクは、いぶかしげな表情をしているフランチェスカへ尋ねた。
「そうだ。ポーション飲んでおく?」
今日の探索では、短時間で戦闘回数が嵩んでいる。
それは苦戦が少なかったことの証でもあるのだが、しかしいつもより消耗が激しいのも事実のはずだ。
そう判断したヒラクは背嚢を漁り、その中から魔力を補填するポーションを取り出した。
「あ、あぁ、もらおう」
何かを誤魔化された。そう感じたのか、フランチェスカの返事には戸惑いがある。
それでもポーションを受け取ろうとした彼女に対し、前方を歩くモズから声がかかった。
「もうへばったの? 情けない」
口の片端をひん曲げた、人を馬鹿にした表情。
あからさまな挑発である。
「そうではない! 私はただ先の安全を考えただけだ!」
それに対してヒラクより一歩前へ出たフランチェスカが、声を張り上げる。
普段のモズであれば、こんなことで突っかかったりはしないはずだ。
短い付き合いながらも、ヒラクにもそのぐらいは分かっていた。
「あ、あの、喧嘩は……」
ヒラクは二人を止めようとするが、双方の耳に彼の言葉は届かないようである。
「あんなバカみたいに魔法連発してるからバテるのよ」
「私に負けた貴公に言われる筋合いはない!」
「なっ!? あん時はアンタが卑劣……もとい卑猥な手を使ったからでしょ!」
そうして二人の言い争いはどんどんエスカレートしていく。
もはやヒラクには止めようがなく、後ろのアルフィナなどは黙々と自分の仕事道具を点検している。
「次の魔物を倒した方が真の王者だ!」
「ふん、私の実力を思い知らせてやるわ!」
そして、トントン拍子でいつの間にかそんな取り決めが為されていた。
「な、なんか落としどころを見つけたみたいだね」
決闘で雌雄を決めようとするほど、二人は頭に血が昇っているわけではないらしい。
それを確認し、ヒラクはホッと息を吐く。
「また掴み合いが始まるのかと思いました」
「……もとい一方的な鷲掴み」
背後ではリスィとアルフィナが好き勝手な事を言っていた。
そうしている内に、モズとフランチェスカの二人は我先にと大股でダンジョンの奥へと歩いていってしまう。
「ちょ、待ってって二人とも!」
自分に理解ができないだけであって、これが彼女たちにとって最適なコミュニケーションの取り方なのかもしれない。
アルフィナ達を促しつつ自分もその背中を追いながら、ヒラクはそんな風に考える。
「大丈夫かなぁ……」
しかしそれでも、彼は不安をぬぐい去ることができなかった。
「まぁ、お二人も盛り上がってるみたいですし……。この前みたいに強くなってるんじゃないですか?」
「うん、そうだね……」
情けない顔をしている主人を、羽のない妖精リスィが励まそうとする。
精神の高揚によって魔力は高まり、その結果戦闘力が増す。
それはこの間ヒラクがリスィに教えた事であり、先ほどフランチェスカに語ったことだ。
ヘタに回復して水を差すよりも、あのままの方が強いかもしれない。
あの様子であれば、滅多な魔物には負けまい。
「うん、多分そうだ……」
リスィの言葉に、まるで生卵を無理矢理飲み込むようにして頷いたヒラクは、もう一度呟いた。
「……」
そんな彼の背中を、アルフィナがじっと見つめていた。
◇◆◇◆◇
ひとまず二人を見守ろう。
そうやって答えを保留したヒラクだったが、数分後、それは日和った考えだったと思い知らされる事になる。
今、彼の目の前には天井スレスレの大きさを持つ、太陽に背を向けるひまわりのような植物型の魔物が立ちふさがっている。
そして、その背後ではーー。
「ごめんなさいごめんなさいおじさんおばさんごめんなさい」
「私は……私……やだ、魔物怖い魔物怖い」
「あぅ、え、あ……」
彼の仲間。三人の女子達が虚ろな顔でひざまずき、うめき声を上げていた。
植物型
人間の二倍ほどの大きさを持つ、ひまわりのような形状の魔物。
花の代わりに巨大な魔核を持つ。
4階から初めて現れる、ダンジョン内徘徊型。
最大の特徴は魔核から放たれる精神波。
対象の魔力を削り取り、耐性の無い者、魔力の少ない者の精神を衰弱させる。
場合によってはそのまま発狂してしまうこともある。




