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第41話:宣戦布告は、ピアノと恋と


 文化祭の喧騒が嘘のように、静けさを取り戻した放課後の教室。夕日が差し込み、生徒たちのいなくなった机と椅子が、長い影を落としている。床には、まだ片付けきれなかった色紙の切れ端や、風船の残骸が転がっていて、祭りの後の、心地よい寂しさを感じさせた。


 俺と響は、クラスの片付けを終え、二人きりで、その教室にいた。


「……終わったね、文化祭」

「ああ、終わったな」


 どちらからともなく、そんな言葉を交わす。この数日間は、まるで、嵐のようだった。天音蓮という、圧倒的な才能との出会い。突きつけられた、残酷な現実。そして、二人で乗り越えた、絶望の夜。その全てが、遠い昔の出来事のようにも、ついさっきの出来事のようにも感じられた。


 だが、確かなことが一つだけある。この嵐は、俺たちの絆を、より一層、強く、固く、結びつけてくれた。


 響は、夕日に染まる窓の外を、じっと見つめていた。その横顔は、もう、迷いを振り切った、一人の戦士のように、潔く、そして美しかった。守られるだけだったか弱いお姫様は、もうどこにもいない。


 やがて、彼女は、ゆっくりと俺の方を、振り返った。その蒼い瞳には、燃えるような、決意の光が宿っている。


「私、決めた」


 その、凛とした声に、俺は息をのんだ。彼女が何を言おうとしているのか、もう、分かっていたから。


「もう一度、コンクールに出る」


 それは、俺が、ずっと待ち望んでいた言葉だった。彼女が、自分の意志で、再び、ピアニストとしての道を、歩き始める。その決意表明だった。母親の呪縛でも、誰かの期待でもない、彼女自身の魂の叫びだった。


「天音さんに、勝ちたい。ピアニストとして、彼女と同じステージに立って、私の音で、彼女に勝ちたい。あの人の、あの完璧で、冷たいだけの音に、私の心の音を、ぶつけたい」


 彼女の言葉は、力強く、一点の曇りもなかった。それは、単なる復讐心ではない。自分自身の音楽を、自分の存在価値を、証明するための、気高い挑戦だった。


 だが、彼女がコンクールに出る理由は、それだけではなかった。


「そして……」


 響は、少しだけ、頬を赤らめ、はにかむように、言葉を続けた。その表情は、戦士の顔から、一人の恋する少女の顔へと、変わっていた。


「奏くんの隣に立つにふさわしい、私になりたいから」


 その、あまりにも、まっすぐで、純粋な想い。俺は、胸が熱くなるのを感じた。俺の専属ピアニストは、俺が思っている以上に、ずっと、強くて、気高い女性だった。俺が守っているつもりで、実は、俺の方が、彼女のその強さに、救われていたのかもしれない。


「……ああ。応援する。俺が、お前を、世界一のピアニストにしてやる。俺の、最高の音で、お前のピアノを支えるから」


 俺は、彼女の前に立つと、その手を、強く、強く、握りしめた。俺たちの、新しい物語が、今、ここから始まるのだ。


 その、感動的な瞬間を、ぶち壊すかのように。

 教室のドアが、静かに開いた。


「……話は、聞かせてもらったわ」


 そこに立っていたのは、やはり、天音蓮だった。彼女は、教室の入り口に寄りかかり、腕を組んで、面白そうに、俺たちを見ている。いつからそこにいたのか、全く気配を感じさせなかった。


「それでこそ、私のライバルよ、月宮響。あなたが、そのステージに上がってくるのを、心待ちにしているわ」


 その言葉には、もう、以前のような侮蔑の色はない。ただ、好敵手の復活を、心から喜ぶ、純粋な闘志だけが、燃え盛っていた。


 そして、彼女は、その紫の瞳で、俺のことだけを、まっすぐに、射抜いた。


「でも、奏くんだけは、譲らないから」


 それは、恋のライバルとしての、明確な、宣戦布告。俺の隣で、響が、びくりと、体を震わせるのが分かった。彼女は、俺の手を、さっきよりも強く、握り返してきた。


 ピアノと、恋と。二つの戦場で、俺たちの、新たな戦いが、今、幕を開けた。


 その、一触即発の空気を、またしてもぶち壊すかのように、教室のドアから、ひょっこりと、二つの顔が覗いた。

 隼人と、美桜さんだった。


「よーし、ようやく腹決めたか、二人とも!」

「もー、じれったいんだから! 私たちも、全力で応援するに決まってるでしょ!」


 二人は、ニヤニヤしながら、俺たちに近づいてくる。どうやら、最初から、全部、聞かれていたらしい。


 響は、顔を真っ赤にして、俯いてしまう。俺は、そんな彼女の肩を、そっと抱き寄せた。


 ピアノと、恋と、そして、友情と。

 様々な音色が、複雑に絡み合い、俺たちの、新しいプレリュードを、奏で始めていた。


 その音色は、きっと、世界で一番、騒がしくて、温かくて、そして、愛おしいものになるだろう。

 

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