第19話:答えのない問い
橘さんたちに、俺との関係を問われた一件以来、響は、どこか思い詰めたような表情をすることが増えた。
俺たちの間に、目に見えない壁が、また一枚、できてしまったような気がする。
放課後の、響の部屋。
いつも通り、ピアノのリハビリを終え、二人で夕食を食べていた。
だが、今日の食卓は、いつもより、ずっと静かだった。
響は、何かを考え込んでいるようで、ほとんど箸が進んでいない。
「……響? どうしたんだよ、美味しくないか?」
俺が心配して声をかけると、彼女は、はっと我に返ったように顔を上げた。
「ううん、そんなことない! すごく、美味しいわ」
そう言って、慌ててご飯を口に運ぶ。
だが、その表情が、無理して明るく振る舞っているだけなのは、明らかだった。
俺は、ため息をつくと、自分の箸を置いた。
もう、見て見ぬフリは、できない。
「何か、悩んでるんだろ。橘さんたちのことか?」
俺が核心を突くと、彼女の肩が、小さく震えた。
図星だったらしい。
彼女は、しばらく逡巡した後、意を決したように、口を開いた。
「……私、わからなくなっちゃったの」
「何が?」
「奏くんと、私のこと」
彼女は、テーブルの上に置かれた、自分の手を見つめながら、ぽつり、ぽつりと、言葉を紡ぎ始めた。
「橘さんたちといる時間は、すごく楽しい。今まで知らなかった、普通の女の子としての毎日が、すごく新鮮で……。でもね、そうやってみんなと笑っていると、時々、すごく不安になるの」
「不安に?」
「うん……。みんなが、奏くんのことを聞くから。『音無くんって、どんな人?』『ひびきんと、仲良いよね?』って。そのたびに、私、どう答えていいか、わからなくて」
彼女の言葉は、俺の胸に、鋭く突き刺さった。
俺も、同じだったからだ。
隼人に、彼女との関係を問われた時、俺は、何も答えられなかった。
「私にとって、奏くんは……ただのクラスメイトじゃない。専属調律師で、恩人で……そして、誰よりも、私のことをわかってくれる、大切な人」
彼女の、まっすぐな告白。
その一言一言が、俺の心を、甘く締め付ける。
「でも、それを、なんて説明したらいいのか……。橘さんたちに、この特別な関係を、わかってもらえるはずがない。そう思ったら、なんだか、嘘をついているみたいで、苦しくなっちゃうの」
彼女は、顔を上げた。
その潤んだ蒼い瞳が、助けを求めるように、俺を捉える。
「ねえ、奏くん。私たちは、一体、なんなの?」
それは、以前、彼女が俺に問いかけた言葉と同じだった。
『どうして、私に構うの?』
あの時、俺は、答えられなかった。
今なら、答えられる。
俺が、彼女の隣にいたい理由。
それは――。
「好きだからだ」
そう、口にしようとした。
だが、言葉は、喉の奥でつかえて、出てこなかった。
今、この気持ちを伝えてしまったら、どうなる?
この、心地よくて、曖昧で、でも、かけがえのない関係が、壊れてしまうかもしれない。
『好き』という言葉で、この関係を定義してしまったら、俺たちは、もう、今までのように、自然に笑い合うことは、できなくなるんじゃないか。
その恐怖が、俺の口を、固く閉ざさせた。
俺が答えられずにいると、響は、何かを察したように、少し寂しそうに、目を伏せた。
その表情が、俺の心を、ナイフのように切り裂く。
違う。
そんな顔をさせたいんじゃない。
でも、言葉が出てこない。
部屋に、重くて、気まずい沈黙が、ただ、流れていく。
答えのない問い。
俺たちは、その問いに、二人して、迷子になってしまっていた。
出口の見えない、甘くて苦い、迷路の中で。




