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第18話:氷の姫君と、優しい陽だまり


 反復横跳び事件以来、響のクラスでの立ち位置は、劇的に変化した。

 『完璧でミステリアスな氷の姫君』から、『実はちょっと抜けてるところが可愛い、親しみやすい美少女』へ。


 その変化を最も喜んだのは、誰よりも響と友達になりたがっていた、橘美桜さんだった。


「ひびきん、おっはー!」

「……その呼び方、やめてくれないかしら」

「えー、いいじゃん可愛いじゃん! ね、みんなもそう思うでしょ?」


 朝の教室。

 橘さんを中心に、数人の女子が響の席に集まり、楽しそうに談笑している。

 響は、呆れたような顔をしながらも、その表情はどこか嬉しそうだ。

 いつの間にか、彼女はすっかり、その輪の中心に溶け込んでいた。


 俺は、少し離れた自分の席から、その光景を眺める。

 まるで、陽だまりを見ているような、温かい気持ちになる。

 彼女が、学校という場所で、自分の居場所を見つけられたことが、心から嬉しかった。


 だが、同時に、俺の心の中には、小さな影が落ちていた。


 放課後、俺たちの時間は、変わらず続いていた。

 響の部屋で、ピアノのリハビリをし、一緒に夕食を作る。

 その時間は、以前よりも、もっと穏やかで、親密なものになっていた。


 だが、彼女の口から語られる話題は、確実に変化していた。


「今日ね、橘さんたちと、駅前のクレープ屋さんの話をしたの。すごく美味しいんですって」

「へぇ、そうなんだ」

「今度、みんなで一緒に行こうって、誘われちゃった」


 そう言って、彼女は、少し照れくさそうに、そして嬉しそうに笑う。

 俺の知らない、響の世界。

 彼女の毎日が、俺のいない場所で、どんどん彩られていく。


 喜ぶべきことだ。

 頭では、そうわかっている。

 俺は、彼女が孤立しているのが心配で、お節介を焼き始めたのだから。

 彼女が友達と笑い合えるようになったのなら、俺の役目は、もう半分終わったようなものだ。


 なのに。

 どうして、こんなに胸が、ちりちりと痛むのだろう。


 俺だけが知っていた、彼女の秘密の笑顔。

 俺だけが知っていた、彼女のポンコツな一面。

 それが、もう俺だけのものじゃなくなっていく。


 その事実に、俺は、自分でも気づきたくなかった、醜い独占欲を、はっきりと自覚させられていた。


 そんなある日の、昼休み。

 俺が屋上で弁当を食べていると、響がやってきた。

 最近では、これがすっかりお決まりになっていた。


「奏くん、こんにちは」

「おう」


 彼女は、当たり前のように俺の隣に座る。

 だが、今日の彼女は、いつもと少し様子が違った。

 何か、言いたそうなことがあるのに、言い出せずにいる。そんな雰囲気だ。


「……どうしたんだよ。悩み事か?」


 俺がそう尋ねると、彼女は、もじもじと指を絡ませながら、小さな声で言った。


「あのね……橘さんたちに、聞かれたの」

「何を?」

「……奏くんと、どういう関係なの? って」


 その言葉に、俺は思わず息をのんだ。

 ついに、来たか。

 クラスでの響の変化と、俺たちが屋上で一緒に過ごしていること。

 周りが、俺たちの関係を不思議に思うのは、当然のことだった。


「……で、なんて答えたんだ?」

「……ただの、クラスメイト、だって」


 そう言って、彼女は、俯いてしまった。

 その声は、ひどく、寂しそうに聞こえた。


 ただの、クラスメイト。

 それは、事実だ。

 だが、その言葉だけでは、到底言い表せない、深くて、特別な関係が、俺たちの間にはある。

 彼女も、きっとそう感じてくれているはずだ。


 俺たちの関係を、一言で表すとしたら、なんだろうか。

 友達? それも、少し違う気がする。

 ピアニストと、専属調律師? それは、俺たちの関係の、ほんの一面に過ぎない。


 俺たちの間に流れる、甘くて、少しだけ切ない空気。

 この、心地よい関係に、名前なんて、つけたくなかった。


 だが、彼女が、周りの友人たちとの関係を築いていく上で、俺たちの曖昧な関係は、足枷になってしまうのかもしれない。


 俺は、響の成長を、誇らしく思う。

 彼女が、優しい陽だまりのような友人たちに囲まれていることを、嬉しく思う。

 でも、その陽だまりが、俺と彼女の間にだけある、特別な場所を、脅かしているような気がして、怖かった。


 俺は、どうすればいいのだろう。

 彼女のために、身を引くべきなのか。

 それとも――。


 答えの出ない問いが、俺の心を、重く支配していた。


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