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第11話:抱えた秘密と、友の優しさ


 月宮が泣き止むまで、俺はただ、黙って彼女の背中をさすり続けていた。

 どれくらいの時間が経ったのか、わからない。

 窓の外が、少しずつ白み始めていることに気づいた時、ようやく彼女の嗚咽が、小さな寝息に変わっていた。


 俺の胸に顔をうずめたまま、彼女は眠ってしまったらしい。

 涙で濡れた頬には、まだその跡が生々しく残っている。

 その寝顔は、ひどく幼く、そして痛々しかった。


 俺は彼女をそっと抱き上げると、ベッドまで運び、毛布をかけてやった。

 そして、静かに部屋を後にする。


 自分の部屋に戻っても、眠気は全く訪れなかった。

 彼女の涙と、衝撃的な告白が、頭から離れない。


 コンクールでの失敗。

 母親からの、罵倒。

 それが、彼女からピアノを奪った原因。


 なんて、残酷な話だろうか。

 世界で一番、自分を理解してくれるはずの母親に、才能も、未来も、心さえも、全てを否定されたのだ。

 その絶望は、俺の想像を絶するものだった。


 俺は、彼女の秘密を、一人で抱え込んでしまった。

 その重圧が、ずしりと肩にのしかかる。

 ただ食事を届けるだけの関係では、もういられない。

 俺は、彼女の心の、もっと深い部分に触れてしまったのだから。


 これから、俺はどうすればいい?

 彼女のために、俺に何ができる?


 答えの出ない問いが、頭の中をぐるぐると回り続ける。


 結局、一睡もできないまま、月曜日の朝を迎えた。

 寝不足の重い体を引きずって、学校へ向かう。

 教室に入ると、月宮はまだ来ていなかった。

 今日は、休むのかもしれない。


 ホームルームが始まる直前、教室のドアが静かに開き、彼女が入ってきた。

 少し腫れぼったい目元を、前髪で隠すように俯いている。

 だが、その立ち居振る舞いは、いつも通りの『氷の姫君』だった。


 彼女は、俺の方を見ることなく、自分の席に着く。

 その横顔からは、何の感情も読み取れない。

 昨夜の出来事など、何もなかったかのように。


 俺は、声をかけるべきか迷った。

 だが、今ここで俺が彼女に話しかければ、クラス中の注目を集めてしまうだろう。

 それは、彼女が最も望まないことのはずだ。


 俺は、何もできないまま、ただ自分の席に座っていることしかできなかった。


 昼休み。

 食欲もなく、一人になりたくて、俺は屋上へと向かった。

 冷たい風が、火照った頭を少しだけ冷やしてくれる。


「よぉ、奏。やっぱりここにいたか」


 背後から、聞き慣れた声がした。

 隼人だ。


「……なんだよ」

「なんだよ、じゃねえよ。お前、今日隈がひどいぞ。それに、明らかに様子がおかしい」


 隼人は、いつものからかうような口調ではなく、真剣な眼差しで俺を見ていた。


「月宮さんも、今日は元気ないしな。お前ら、週末に何かあったんだろ」

「……別に、何でもない」


 俺は、そう答えるのが精一杯だった。

 隼人には、話せない。

 これは、俺と月宮、二人だけの秘密だ。


 俺の頑なな態度を見て、隼人は、ふぅ、と大きなため息をついた。


「そうかよ。まあ、お前が言いたくないなら、無理には聞かねえけど」


 彼は、それ以上は追及してこなかった。

 ただ、隣に立つと、俺と同じようにフェンスの向こうの景色を眺めている。


「でもな、奏。一つだけ言っとく」

「……なんだよ」

「一人で抱えんなよ」


 その、ぶっきらぼうな優しさが、かえって俺の胸に重くのしかかった。

 誰にも言えない秘密を抱えることの、孤独と重圧。

 それを、改めて思い知らされた気がした。


「……サンキュ」


 俺は、消え入りそうな声で、それだけ呟いた。


 放課後。

 俺は、迷っていた。

 今日も、月宮の部屋に、夕食を届けるべきだろうか。

 昨夜、あれだけのことがあった後だ。彼女は、俺の顔など見たくないかもしれない。


 でも、ここで俺が行かなければ、彼女はまた、食事を抜いてしまうだろう。

 俺たちの関係は、また振り出しに戻ってしまうかもしれない。


 いや、それだけは駄目だ。


 俺は、スーパーに寄ると、温かいスープの材料を買い込んだ。

 今日は、彼女の心と体を、少しでも温められるようなものがいい。


 アパートに着き、自分の部屋で手早く調理を済ませる。

 完成した野菜たっぷりのポトフをタッパーに詰め、俺は、意を決して隣の部屋のドアの前に立った。


 チャイムを、鳴らす。

 心臓が、ドクドクと大きく脈打っていた。


 数秒の沈黙の後、ガチャリ、とドアが開く。

 現れたのは、部屋着姿の月宮だった。

 彼女は、俺の顔と、俺が手に持っているタッパーを、黙って見つめている。


 その瞳は、揺れていた。

 気まずさと、戸惑いと、そして、ほんの少しの安堵。

 そんな、複雑な感情が入り混じっているように見えた。


 先に口を開いたのは、彼女の方だった。


「……入って」


 それは、俺が待ち望んでいた、優しい響きを持った、招待の言葉だった。


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