番外編 このすべてに名前をつけるならば(中)
「なんて素晴らしい!!」
「最高の演技だ!!」
「さすが本国の大女優!!!」
そんな歓声と溢れんばかり拍手の中で、ランファは微笑みを絶やさず客席へ向けて手を振った。
女優と言われるようになってどれくらい経っただろう。
でも今日が最後の大舞台だ。
まさかこんな事になるだなんて、人生とはわからないものだわと思ってしまう。
きっと自分の過去を語って、誰も信じはしないだろう。舞台劇の脚本を書いている弟分あたりは、面白い作り話だとか言って、本にしそうだけれど。
ランファは熱狂の覚めない観客席に向かって、衣装の裾を持ち上げて、淑女らしいカーテシーを行った。
***
ランファは、ランファという名前は自分のものじゃなかった。
ランファが生まれ育った国で政変があり、新政府に追われる身となってしまった。そのため真夜中の山の中を駆けずりまわることとなり、そしてとうとう、足を踏み外して崖から川に落ちて、流れ着いた先に野営していた旅の劇団に拾われたのだ。
「あんた、隣の国から逃げてきた貴族か?」
助けてくれた青年に問われても答えることができずにいると、行く当てがない方が都合が良いと言われた。そしてランファと書かれた旅券を渡された。
「……うちの主演女優が、金を盗んで逃げたんだ。旅券は座長が管理してたから、持ってかなかったけどな。これが本国にバレたら、全員捕まってバラされる。だからあんた、今日からランファになってくれ」
そうして、ランファはランファとなったのだ。
しかしながらランファは、旅の劇団というものをよく知らなかった。青年に問えば、丁寧に説明をしてくれた。ランファが知っている男という生き物よりも、だいぶ親切だ。
「本国にいる興行主が、俺たちの代わりに旅券を発行してくれるんだ。それから、巡業の金も。一年から二年くらいかけて、いろんな国を回って興行するんだよ。それで本国に戻った時に、借りた金を利息も含めて返す。本国内じゃ、根無草のような三流以下の劇団は食っていけない。だからこうして、他の国を回るんだ」
旅先で逃げてしまえば良いのではと訊ねると、それは無理だと青年は言った。
「本国を出る時と戻る時に人数が違うと、その場で劇団員全員が捕まって終わりだ。それから、領と領を移動する時にも」
だからランファの代わりが必要だったようだ。もし領から領へ移動するときに人数が変われば、強制的に本国へ帰還させられるらしい。そうしたらバラされると、青年は何度も言った。
「バラされるってのは、その言葉の通りだよ。本国じゃ、人間の内臓を乾燥させて、薬と称して売ってるんだ。罪人は格好の材料だ」
吐き気が込み上げてくるような話に、青年は少しだけ申し訳なさそうな顔をして謝ってきた。
「脅すわけじゃないけど、本当のことだ。ランファがいなきゃ、俺たちはまずい。あんたも川に飛び込むくらいだから、国には戻れない身なんだろ」
だから協力してくれという青年の言葉に、ランファは頷いた。
ただしすぐに、ランファが歌と踊りが下手くそなのを見て、青年はため息を吐いたのだけれど。劇団員たちはランファを邪険にしたりせず、いつも気にかけてくれていた。
だからランファはお礼として、貴族との付き合い方を教えた。
すると見目の良い青年は街の有力者に気に入られるようになり、劇団の待遇が少しずつ良くなっていった。
旅を続けながらいろいろな街をまわり、本国にも隣国にも行った。
普通の生活をしていたら、それこそ王国にいた頃だったら、絶対に行けないような場所にまで、ランファは旅をした。
――そして劇団が評判になった頃。
青年が興奮した面持ちで、すごい機会に恵まれたのだと早口で捲し立ててきた。
「王都の劇場で公演ができるんだ! これがうまくいけば、俺たちも一流の仲間入りなんだ!」
すっかり可愛い弟分となった青年に、ランファは騙されているんじゃないのと落ち着くようにと諭す。
「嘘じゃない、この小切手を見てくれ! それから契約書に、劇場の使用許可証も……」
そのどれもが本物で、青年の言う通り、すごい機会に恵まれたようだった。けれどもうまい話には、絶対に何かしらの厳しい条件がある。
青年に訊ねれば、それはと言い淀んだ。やっぱり何かあるのだろう。
「……新しい物語をお望みなんだ」
既存の人気のある物語じゃない。ほうらやっぱり大変じゃないのと、ランファは弟分をみやった。
新しい物語というのが、王都の劇場への公演を取り付けた出資者が持ちかけた創作話らしい。金持ちの道楽かしらと、ランファは思った。
虐げられた娘が幸せを掴むお話で、多分出資者はこの娘かその関係者だと直感的に感じた。いつだって世の中は、お金と権力のある人間が、自分の都合の良いようにお話を作るのだ。きっとその娘に良い噂が立つように、この劇を利用するのだろう。
そういえばランファがいたあの国の、あの人は悪い噂ばかりだったことを思い出す。
男女問わず手を出す色狂い。それから政務もせず放蕩三昧。弟君とは大違いな、愚鈍な王子様。
本当はそうではなかったのに、結局その噂を消すことはできなかった。噂が消える前に、国がなくなってしまったのだから、仕方のない話だろうけど。
ランファが過去のことに思いを馳せていると、弟分は契約書類の中から紙の束を取り出した。弟分が走り書きしたようで、その紙束を受け取ったランファは、これは何かと尋ねた。
「……出資者が持ってきた話の内容だよ。この可哀想な娘が主人公。そして娘を虐める義理の姉を、とにかく馬鹿で、強欲で、わがままな娘として演じてほしいと言っているんだ」
まったくなんていう話だろう。ランファは肩をすくめてから、それなら私がやるわと弟分に言った。憎まれ役を演じると、そのまま人気がなくなるというのを、ランファは知っていたのだ。だから可愛い妹分たちには、可哀想な娘役の方が良いと思っての言葉だった。
それにランファは劇団の中では年上で、そろそろ舞台から降りた方が良いだろうなと思っていたからだ。
人気がなくなっても問題はない。
「姐さんがそれで良いなら……」
この劇団は小規模なものだったから、台本通りに配役を決めると、一人二役以上やらねばならなかった。
ランファとて何かしらの役で歌って踊らねばならない。その他大勢の役になったって、ランファの下手くそな歌と踊りは悪目立ちしてしまう。どうせ目立つなら、憎まれ役の方が良いだろう。
そうしてランファは、可哀想な娘を虐める義姉の役を、王都にある大舞台で演じることとなったのだった。
渡された台本に書いてあったセリフを言いながら、昔のことを思い出す。
ランファは、馬鹿で強欲で、とびきりわがままな人間のことを知っていた。そんな人間ばかりを見てきた。他人を見下しても何の罪悪感も持たない、むしろそれが当たり前であると思っている人種。人の悪口を言いふらし、嘲笑し、それから妬みから短絡的な行動を起こす。
ランファがいた国には、そういった人間がたくさんいたのだ。
彼らのことを思い出しながら、ランファは可哀想な娘をこれでもかと虐めた。
だって演じるのは得意だ。
演じなければ、生きていけなかった。
楽しくもないのに笑って、怖くてたまらないのに笑って、それから。
泣きたくても泣かないで、笑って見せた。
舞台の上で、可愛い妹分をいじめる演技なんて、簡単なことだった。
終わった後で弟分が鬼気迫るものだったと言っていたけれど。
その時のランファは、ただただ必死だった。だから観客が、ランファを食い入るように見ていたことに、気付かなかったのだ。
ランファが演じた義姉役は、観客におおいにウケた。
王都にある劇場での公演は一週間。
ランファが娘役を罵るたびに歓声が上がり、下手くそな歌と踊りを披露すれば拍手喝采に見舞われた。最終的に悪役であるランファが罰を受けるときなど、観客は大興奮である。
日に日に観客は増え、立ち見客まで現れる始末。
出資者は大いに満足したらしく、今後もよろしくと言い、さらには貴族のパトロンまで出来た。弟分は泣いて喜び、他の劇団員も同じように喜んだ。一流の仲間入りが出来たことで、興行主への借金がなくなったのだから、当たり前なのかもしれない。
こうしてランファは、ありえないことに劇団の看板女優となってしまった。
そしてそのまま、ランファは悪役を演じ続けたのだ。
まるで自分が、生まれてからずっとランファと呼ばれ続けているかのように思えるほど、長い年月を。
なにせランファは親にどんな名前で呼ばれていたかはもう、覚えていない。気がついた時には、ランファはあまり綺麗とはいえない建物で、お客様のおもてなしをさせられていた。その時はお客様紹介する店の主人が勝手につけた名前で呼ばれていた。もしかしたら名前じゃなかったのかもしれない。
でもランファは生きるのに必死で、名前なんて気にしていなかった。
なにせ理不尽に殴られないように、少しでも待遇が良くなるように、お客様に気に入られるために一生懸命だったからだ。
そうしたらいつの間にか男爵夫人の身分と名前を与えられていた。
その時の名前だって、男爵が勝手につけた名前だった。
男爵夫人になったって、お客様のおもてなしをするというのは変わらない。ただそこに、肉欲があるかないか。むしろ金や権力が絡んだ男爵夫人としての役目の方が、とても大変だったのを覚えている。
――男爵の屋敷で開かれた仮面舞踏会。失敗は許されないからと、とても緊張していた。
あのとき、初めて男性から、ダンスを誘われた。
「美しき貴方。どうか一曲、踊っていただけませんか?」
差し出された手に驚いてしまって、うまく答えられなかったけれど。
ランファは普通の女性のように扱ってもらえて、感動すら覚えたほどだった。
そしてそれが、王国の王子様だというのなら、なおのこと。
御伽話のようだと、思った。
けれどもランファは御伽話に出てくるような善良な娘でもなければ、美しい娘でもない。
王子様の手なんて取ることなんて、できやしなかった。
一度目は断って、二度目の時もやっぱりランファは王子様の手を取ることができなかった。
男爵が王子様についていってやれと言って、ランファを大公領へ送り出してくれたけれど。すぐに政変が起きたせいで、何も伝えることもできないまま、王子様と別れることになったのだ。
一緒に行こうと伸ばしてくれた手を離したくなかった。
でもそれと同じくらい、生きていてほしかったのだ。
誰からも見向きもされず、嫌悪の対象でしかない自分。そんな自分に優しい言葉をかけてくれて、笑いかけてくれた彼は、まるで太陽のよう。
温かな場所で友人や家族に囲まれて、笑って過ごすのが似合っている。
断頭台で首を切られて処刑されるのも、雪山で凍えて死ぬのも、絶対にダメだ。
そんな最後を迎えさせてあげたくなかった。
だからランファは、あの手を離したことを、後悔などしていない。
どうか生きていてくれることを信じて、毎日を過ごすだけ。
***
そんなある日のこと。
可愛い弟分が、ランファに言った。
「なあ、姐さん。あんたとは長い付き合いだ。話してくれなくとも、なんとなくわかる」
青年は十年以上経っても、あまり姿が変わっていない。この前それを言ったら、姐さんもだと言われてしまった。舞台に上がる人間はこういうものだと笑ったけれど、目元の皺が年齢を感じさせた。きっとランファもそうなのだろう。
「本国の興行主に頼んで、最後の舞台をハイロンでやらないかって掛け合ってきた。ハイロンからも、大女優の舞台を見たいって、何度も要望が上がってるんだとさ。引退したら自由だ、そのままハイロンにでも住めばいい」
あそこは本国よりも連合王国のようなものだと青年は言った。
「本国の人間と、現地住民と、それからいろんな国の商人が集まってるんだ。きっと、あんたが探してる誰かもいるんじゃないか。本国に住むより馴染めるだろう」
「……ありがとう」
ショコラーテ夫人がハイロンへ渡ったのは知っていた。
だからあの人も、きっとハイロンにいるのだろうと、そう思っているけれど。
会えるなんて思っていない。
奇跡的に会えたところで、ランファのことなど覚えていないだろう。
ランファは過去の亡霊だ。
一緒に過ごした時間なんて、ほんのわずか。
気持ちを伝えたことも、肌を合わせたことも、ましてや手を握ったのだって別れるあの時の一度きり。
三度目などあるわけがないと、そう思いながら。
ランファはハイロンで、最後の舞台に立ったのだった。




