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番外編 ブラン・ブノワと平凡で善良な先輩(二)

 周囲の予想とレイモンの心配に反して、ブラン・ブノワは見習いの仕事をこなしていた。どうやら地頭は相当に賢いようで、最初に説明した事をきっちりと覚えて、必死に雑務をこなしている。

 ただまあ体型が丸々とし過ぎているので、水汲みや荷物運びなどの動きは、どうしても鈍い。しかしながら中々に、頑張っていた。


 ひと月ほどすると、レイモンが一周する間に小走りで半周進むほどになっており、着実に体力と脚力がつき始めている事が見て取れた。

 剣は持たせてみたが、肉が邪魔をして構えられなかったので、ブランには走り込みだけをさせている。通常なら不満に思うだろうが、ブランはそれに関しては愚痴一つこぼした事はない。

 見た目はアレだが、真面目でやる気のある後輩が、レイモンは段々とかわいく思えてきた。何せブラン以外の見習いは、レイモンが貧乏貴族である事を知って、あからさまに馬鹿にした目で見てくるのだ。いや見るだけならともかく、態度からして軽じられている。

 そんな中で、先輩先輩とポテポテと駆け寄ってくるブランの姿は、割と癒されるものであった。まあまだ、肉に埋もれて表情がよくわからない難点があるが、糸目で笑っているように見えるので、多分嫌われていないと思いたい。


 レイモンがブランを気に掛けるようになるにつれ、体型を揶揄ったり小突いたりしているのがやたらと目に付くようになった。

 初日に、走れなくなって倒れたブランを嘲笑した連中だった。

「お前みたいなのが騎士団にいては迷惑だ。臭いんだよ、豚小屋に帰れ」

 そういった酷い言葉を投げつけては、ブランを嘲笑するのだ。レイモンが気付き止めに入っても、それは無くならなかった。むしろレイモンも一緒に、貧乏くさい匂いがこびり付くだの、金持ちに媚びた卑しい奴だの、嫌味を投げつけられたのだ。

 そうしているうちに、他の見習いまでもが、ブランの足を引っ掛け、運んでいる荷物ごと転がして笑いものにしだした。

 さすがにこれはいけないと、レイモンが厳しく注意をするが、見習い達は口では謝罪しつつも舐めた態度のままである。

 彼らの後ろ盾には、レイモンよりも立派な実家の後ろ盾がある。レイモン如きが喚こうとも、痛くも痒くもないのだ。


 その日もまた、ブランは見習い達に虐められていたようだ。なんでも昼食用のスープの入った鍋を運んでいる最中に足を引っ掛けられ、頭から被ってしまったそうなのだ。

 偶々レイモンが席を外しており、戻って来た時には酷い有様だった。全身スープまみれで、着ていたであろう服で床を拭いていたのである。

「……お前の服は雑巾以下だって言われたんです……」

 そんなわけあるかと、レイモンは思ったし、これ以上は見過ごせないと、部隊長に掛け合おうと立ち上がった。だがそれを止めたのはブランだった。

「大丈夫です、先輩。もっと酷いことになる前に、自分でどうにかしますから」

「……でも」

「大丈夫ですって」

 そう言って必死にレイモンを止めるため、最終的には折れた。もしかしたらブランにも何か事情があるかもしれないと思ったからだ。

 だがもっと普段から、注意してブランを見守ろうとレイモンは決意した。何せブランは、レイモンにとっては可愛い後輩なのだから。


 レイモンが手伝い床掃除をおえ、着替えを貸してやると、ブランの腹が盛大に鳴った。

 昼食用のスープを駄目にしたからと、食事を抜かれてしまったらしい。

 少しばかり考えてから、レイモンはブランを食事に誘った。お金持ちの子息が行くような店じゃないんだがと言ったが、ブランは行きたいですと嬉々として後ろをついて来る。

 短い付き合いだが、騎士団で出される食事を嬉々として食べている姿を見て、多分自分が普段行くような店でも普通に食べるだろうと予想してのお誘いだった。


 行きつけの食堂は、薄給のレイモンでも通い易い値段設定な上に、味が良い。肉と魚と野菜、その三つの日替わりメニューがある店だ。だから注文は簡単、肉が食べたいか、魚が食べたいか、それとも野菜が食べたいかを店主に言えば良いのだ。

 もっともブランは、三種類全部食べたいと豪語したわけだが、レイモンでも充分に払える額だ。

「美味しいです! 先輩、美味しいです!!」

 ブランの周りに花が咲いて見えるような気がした。それ程までに、ブランの声が浮かれているのがわかったのだ。

 綺麗な所作なのに、高速で手を動かして食べる姿に、レイモンはただただ感心した。


「めずらしいね、あんたが誰かを連れてくるだなんて」


 ブランを飽きずに見ていると、店主が話しかけてきた。もう随分と長い付き合いだから、レイモンのことをよく知っているのだ。

「新しく出来た後輩だよ」

「それにしたって此処に連れて来たのは、あの子が初めてじゃないか。貴族の子にしちゃ、素直な良い子ってわけか」

「……まあね」

 貧乏貴族のレイモンが、同僚から蔑まれることがあるのを、店主は知っていたのだ。

「あんたも貴族なんだろうに」

「名ばかりだよ。金がなくて士官学校にすら入れてもらえなかった。ずっと騎士団で働いてきたから、今更別の仕事にもつけそうにない」

「若いんだから、どうとでもなるだろ」

 どうにもならない現実があるので、レイモンは肩を竦めるだけにした。

 そんな二人の会話など露知らず、皿を空にしたブランが店主に賛辞をおくった。

「素晴らしく美味しい料理でした! あの、日替わりって事は明日来ればまた違うものが食べれるんですか!?」

「そんなに気に入ってもらえて嬉しいねぇ。ある程度の量を作りおいてるから、二日か三日おきに内容がかわるよ。なくなりそうになったら、新しく作るのさ」

「なるほど! 毎日通いたくなる……!」

 今日食べたのも美味しかったと、空になった皿をブランは凝視していた。本当に気に入ったらしい。

「毎日通うだなんて、光栄だな。…ただまあ、申し訳ないんだが、もう少ししたら店を閉めようと思っているんだ」

 店主の唐突な言葉に、レイモンもブランも驚きの声をあげる。そんなどうしてと問えば、店主は眉を寄せて言った。


「通りの反対側に、酒場が出来てね。そっちに客を取られちまったんだよ」


 その酒場の事は知っている。レイモンの行き付けのこの店より、少々値が張るので、入った事はないけれども、一部の騎士連中に人気で、溜まり場になっているのだ。

 騎士だけじゃなかったらしい。レイモンがよく見かける労働者達も、食堂にはいなかったのだ。店主に問えば、彼らもまたそちらの酒場に入り浸っているそうだ.

「どうしようもなくなったら、故郷に帰るよ。あっちで親戚が海運業を営んでるから、雑用するのに雇ってもらえるだろうし」

 そういうわけだからと、店主は気落ちした様を隠すように笑ったのだった。


 行きつけの食堂が閉まるという事実に、レイモンはどことなく寂しさを感じていた。


 出来る事ならまだ食堂を続けて欲しいが、レイモンでは店の売上にあまり貢献出来ないのだ。

 自身の無力さに打ちひしがれながら店を出ると、ブランがじっと反対側の酒場を見詰めている事に気が付いた。

 どうしたと声を掛けるが、ブランは佇んだまま動かない。

「……先輩は、あのお店に入った事がないんですよね」

「あ、ああ、あの店の値段だと、私の給料じゃ心許ないというか、……はぁ。肉串が人気なのは知っている。ほら、店頭で売ってるだろ」

 店頭で売っている肉串もそれなりのお値段である。あれ一本分の料金で、行き付けの店では三回ほど食事が出来るのだ。

 一度食べたら忘れられない味だと噂だが、残念ながらレイモンは買ったことがなかった。

 ブランはポテポテと走っていって、店頭で肉串を二本程買っていた。両手にそれを装備したブランは、その肉串を食べず匂いだけを嗅いでいる。


「……ふうん」

 

 流石にブランでも腹がいっぱいなのだろうか。

「あの酒場に入り浸っている騎士というのに、心当たりはありますか?」

「うん? あ、ああ、まあ。……ほら、お前によく突っ掛かってる連中だよ。実家が食材の仕入れに、投資しているとかなんとか聞いたなぁ」

 男世帯とはいえ、噂話は常にある。むしろ自慢話だろうか。そういった話に参加出来ないレイモンは、ただ聞いているだけだが。

「へえ、そうなんですか」

 お子様なブランには言わなかったが、酒場の裏手は娼館であった。娼館の入り口はまた別にあるが、建物が中で繋がっているので、酒場の給使を娼館で働く女性が行っているという噂もある。

 美味い料理に酒と女とくれば、まあ通わない男はいないだろうなと、レイモンは思った。金のないレイモンには関係のない話であったが。

 そんなレイモン達の目の前を、女連れの騎士達が酒場に入って行く。ブランを虐めていた連中で、此方には気付いていないらしい。酒場に入る前から酔っ払っているのか、顔が赤く陽気に騒いでいた。

「この店は本当最高なんだよ。今日はご馳走するから、さあ行こう」

 そんな事を囁いて女性の腰を抱いていた。女性達は頬を染めて頷き、酒場へと足を踏み入れていた。どこかで見たことのある女性達である。多分だが、鍛錬を見に来て歓声を上げていたお嬢さん達の誰かだろう。衣服からして、貴族の令嬢ではなく平民のようだが。


「先輩、先輩はあのお店、お金があったら行ってみたいですか?」


 不意の問いだったが、レイモンはいいやと答えた。

 きっとああいう店に行っても、心から楽しめないだろう。

 以前まだレイモンが見習いだった頃、小遣い程度の給料を貯め、それなりの店で食事をしようとした時、入店すら断られた事があった。それを同僚、ブランを虐めレイモンを馬鹿にする連中に見られ、散々揶揄われたのだ。

 以来、どうにも少し高めの店での食事は、居心地が悪くて仕方ない。ましてやブランが訊ねた酒場は、その連中の溜まり場である。

 肉串は食べてみたいが、金があっても行く気にはなれなかった。

「……ああいう店は、居心地がな」

「なるほど」

「……ブラン?」

  傍らのブランが何か言ったような気がしたので、聞き返すがなんでもないですと言われてしまった。

 そうして、迎えの馬車が来たと言って、再び走り出す。肉串を持ったままだ。

「先輩、今日はありがとうございました。また、明日」

 見習いには不釣り合いな豪華な馬車に乗り、ブランは帰ってしまった。その辺の貴族など目じゃないくらいの金持ちっぷりに、果たして本当にブランは気分を害していないだろうかと、レイモンは少しばかり不安に思った。

 だが煮込み料理を飲むように食べていた姿を思い出して、いやそれはないかと不安を振り払ったのだった。



 そうしてレイモンがブランと出かけた翌日、鍛錬場へ行くといつもと様子が違っていた。

 空気が違うというか、ピリピリとした雰囲気というべきか。レイモン以外の騎士もまた、困惑しているようだった。

「先輩、おはようございます! ……あの、なんだか偉い人が来ているみたいですよ。部隊長と団長が焦って頭を下げてるの見ました」

 あの二人が頭を下げるだなんて、もっと上の方の人間がいるという事になる。何が起きたんだと思っていると、集まれと鋭い声が響いた。

 号令を掛けたのは、第三騎士団の団長ではなく、滅多に見かけない高位貴族の第一騎士団長だった。

 軍事パレードでしか見た事ない、エリート中のエリートの登場に、騎士団員はどよめいた。

 静かにしろと怒鳴られ、そうして報告されたのは、第三騎士団員の捕縛だった。

 なんでも街の酒場で、禁制の薬物を未許可で売り捌いていたそうだ。中毒性の高いその薬は、口に入れると高揚感を得られると有名で、その薬を料理に仕込みばら撒いていたらしい。

 しかも街の娘を言葉巧みに誘い込み、薬漬けにして娼館に売り飛ばしていたとか。

 何も知らぬ人まで、勝手に薬を摂取させられていたという事実に、レイモンはそんな恐ろしい事があるんだなと驚愕した。

 しかもそんな事をしでかした店は、騎士団員も関わっていたらしい。いや捕縛された時には騎士を除籍されたので、元とつけて良いと第一騎士団長は言い切った。


「犯罪者が、騎士団に居てその身分で女を娼館に売り飛ばしたなどという事実は、あってはならない。消し去らなければならないし、口外した者は厳罰に処す。良いか、彼らは勝手に騎士団員を名乗り、権力を振り回した。つまり詐欺行為を働いたのだ。わかったな」


 そういう事にしたいらしい。いつだって物事は、権力者の都合の良いように書き換えられるのだ。

 なんとも言えない気持ちになりつつ、レイモンは第一騎士団長を見送ったのだった。


 しばらくの間、騎士団員の行動が厳しく制限された。不祥事にさらに不祥事を重ねるわけにはいかないとの事だ。

 なのでレイモンもまた、その間は外出する事ができず、行きつけの食堂に顔を出す事は出来なかった。

 もしかしたらもう店はなくなっているかもと思いつつも食堂へ向かうと、予想外に繁盛していた。

 驚くレイモンに、店主が何とも言えない顔で言った。


「あの店、潰れたんだよ」


 店主の話によれば、第一騎士団が動いたとかなんとか。王家の命令で、禁制の薬を使った罪で大捕物があったそうだ。

 そんな事があって、昔ながらに堅実に商売をしていた食堂には、客が戻ったという。

 レイモンとしては、薄給でも通えるこの食堂が閉店しなくて良かったので、嬉しい限りだが。

 その騒動で捕まった騎士団員は、ブランを嘲笑したり小突いたりしていた連中だったので、なんとも言えない気持ち悪さが残る。


 あの日、ブランは自分でどうにかすると言っていた。


 あの日、ブランはあの酒場で串肉をその場で食べずに持ち帰っていた。


 いくつかの行動に疑念が浮かぶが、しかし確信は何もない。

 それにブノワ家は、第一騎士団に何らかのコネがあるという話も聞かない。

 第一騎士団はエリート中のエリートだから、彼らに命令出来るのは王家か高位貴族くらいなものだ。


 考え過ぎだな。


 レイモンは微かな違和感を振り払らい、店を出た。すると街に遊びに来ていたらしいブランと出くわした。

 道の反対側にいたのだが、レイモンを見付けるとポテポテと走って来るのが見える。

「先輩、先輩じゃないですか! お買い物ですか? あ、そうだ、またあのお店に連れて行ってくださいね」

 あそこの食事は美味しかったから、また食べたいのだとブランがせがむ。その姿は食い意地の張ったお子様そのものにしか見えない。

 やはりレイモンの考え過ぎだったのだろう。

 そんなに食べるのが好きなのかと問えば、ブランは首を上下に振って肯定する。


「美味しいものが食べられなくなるのは、嫌なんです。それに食事は居心地の良い場所で、家族や友人と楽しく取らなきゃって僕は思うんです。……だから」


 居心地が良くなるように改善しなきゃいけません。


 そう言ってブランが笑ったような気がしたが、相変わらず肉に顔が埋もれているので、実際にはどんな表情を浮かべたのかは、レイモンには分からなかった。

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