番外編 ブラン・ブノワと平凡で善良な先輩(一)
レイモンの住む王国には、貴族でも平民でも入団できる騎士団があった。とはいえ、王宮の警護に着けるのは貴族でなければならなかったり、細かい身分の隔たりはあるものの、王都ではそれなりに人気の職種でもあった。
レイモンは第三騎士団所属の騎士である。
見習いから騎士へと昇格して三年、任務や鍛錬にも慣れそろそろ後輩の指導をと部隊長から任され、そうして引き合わされたのが、齢十二歳のブラン・ブノワだった。
こりゃ、とんでもない役目を押し付けられた。
ブランを見てレイモンは、即座に思ったのである。
レイモンの腰くらいの身長は、十二歳にしては小さい方だ。だが身長に関しては、これから成長する可能性があるので、そこは問題ではない。
問題があるとすれば、縦の長さに対して、横幅がおかしい事になっているブランの体型だろうか。
太っているのだ。
それもとてつもなく。服の下に樽が三個括り付けられているのかと思うほど、パンパンである。多分間違いなく、自分で靴を履けないんじゃないだろうか。
騎士に憧れる者は、それなりに自主的に鍛錬を積んできており、ある程度の体が出来ている。中にはまったく体が出来ていない見習いの少年が来る事があれど、騎士へと昇格する頃には立派な肉体を得ているのだ。つまりそれだけ、騎士となる鍛錬は厳しいものであり、途中で挫折する者も多々いるわけで。
少なくとも、こんな肉の塊にしか見えない少年が、見習いとしてやっていけるわけがないのだ。
「え、えーと、ブラン・ブノワだったか?」
「はい! よろしくお願いします!!」
声を掛けると、意外に元気で素直な返事があった。肉の塊というか、ほぼ球体にムチムチの手足が付いている、凄まじい我儘ボディのブランは、悪名高きブノワ家の長男であった。
ブノワ伯爵家は少し前まで、没落寸前の貧乏貴族だったのだが、平民あがりの男が婿となり、伯爵家を乗っ取ったのだ。浅ましい平民出の男が好き勝手にやった結果、ブノワ伯爵家は莫大な財力を手に入れた。
成金と言われ他の貴族から倦厭されようとも、ブノワ家はレイモンの実家より大金持ちだ。多分、第三騎士団長の実家よりも。
なので貧乏伯爵家の三男であるレイモンなんて、気に食わなければ簡単にどうこう出来る存在である。だからいざ問題が起きた時、簡単に切り捨てられるであろうレイモンに、ブランを押しつけたのだろうけども。
「君は見習いという扱いになるので、雑用と鍛錬の日々になるわけだが。その覚悟はあるかね? 無理だと思ったら、すぐに申し出るように」
一応、見習いの指導にあたるからと考えてきた言葉を言ってみる。ブランの不興をかって騎士団を追い出されたら二度と言えないので。
今のところブランは、甘やかされ我儘な貴族令息にありがちな癇癪を起こす様子はない。両脇に手を当てて大人しくレイモンの言葉を聞いている。いまいち表情は見えないし、肉に埋もれて糸目になっているので、目が笑っているのか怒っているのかすら判断出来ないでいた。
まあともかく、ブランの面倒を見なければならないので、レイモンは遠くで嘲笑している同僚達を視界から外し、名前を名乗った。
「私はレイモンだ。よろしく」
「はい、よろしくお願いします、レイモン先輩!!」
肉に埋もれて表情が見えないが、細い目元が更に下がったようだったので、多分笑ったのだと思う。
「騎士は任務に当たる時、全身鎧を身に付ける。式典の時もそうだ。騎士服というものがあるが、あれは基本的に内勤の日に身に付けるんだ」
もっとも全身鎧で顔が見えないより、騎士服で顔が見えた方がモテるので、若い連中は鍛錬の後わざわざ騎士服に着替えて、酒場に繰り出すのもいる。
レイモンも若い連中の一人だが、貧乏貴族故に薄給をやりくりしていて、酒場で飲んで騒ぐだなんて、部隊長の奢りでなければ不可能であった。貧乏人には縁遠く、世知辛い世の中である。
「内勤…、あ、書類仕事ですか?」
「報告も騎士の重要な任務だからな。君の場合だと、文字や計算を覚える必要は…」
「家庭教師に習ったので、一通り出来ます」
「ならやはり鍛錬を主にやってもらおうか」
今のままじゃ鎧どころか騎士服も、見習い用の服すら入らない。ブノワ家だから金に物を言わせて、特注サイズを作ってきそうだけども。それはそれで、面倒臭い連中から目を付けられそうだなと、レイモンは思った。
騎士団内は身分は関係ないと言われているが、貴族と平民は扱いに差があるし、昇格にも差がある。そして実家の後ろ盾というものも重要だし、権力者に気に入られる事こそが役職を手に入れる術でもある。
レイモンには貴族の血筋というものはあれど、実家の後ろ盾も権力者への伝手もない。この先も、うだつの上がらない平騎士どまりだろう。
レイモンは仕方のない事だと諦めてはいるものの、やはり騎士の中にはそうはならない連中もいる。言わば出る杭を打ちたい輩だ。
ブラン・ブノワは平民の血が入っているとはいえ、金持ちである。袖の下を通せば、部隊長くらいにはなれるであろう人間だ。そうなるとつまり、集りの標的に成りかねない。
レイモンが付きっきりで守ってやる義理はない。けれどもしかし、何も知らないこの丸っこい子供を放り出すほど、レイモンは薄情でもなかった。
「取り敢えず、走り込みから始めようか。苦しくなったら途中で休んでここに戻ってきて良いから、無理はしないように」
合同で行う剣の打ち込みなどの鍛錬時間は決まっているので、それまでは個人の自由だ。レイモンのように見習いの面倒を見ている者は、同じように走り込みや剣の持ち方、そして鎧の付け方などを説明している。中には実際に鎧を着せてやったり、馬に乗せてやったりもする場合もある。まあそれは、お金と実家と権力とかが絡んでのことなので、普通の見習いはそんな事ないのだけれども。
今のところ、ブノワ家からはブランをよろしくという言葉以外に何ももらってないようだ。だからこそのレイモンなのだろうけれども。
走り出したレイモンの後ろを、短い手足を必死に動かしてポテポテとブランが付いてきた。大分遅い。レイモンが歩いた方が早いくらいのスピードである。
それでも必死になってついてくるので、レイモンは大分速度を落としてブランを気遣った。いつもなら鍛錬場の周りを五周ほどするのだが、ブランが半周で力尽きたので、日陰まで連れて行くことにした。
「おい見ろよ、豚が泡吹いて倒れたぜ」
「見苦しいな、養豚場に引き取ってもらえ」
倒れたブランを見て、ゲラゲラと笑う声が聞こえてくる。
だがレイモンは、真面目にやろうとして出来なかった人間を笑うほど、悪趣味ではないのだ。
というかブランの体重が重過ぎるので、自分で走るより運んだ方が鍛錬になるのではと、一人思った。
「…ぜひゅっ…ひゅっ…ひゅーっ…ふぅっ」
何かを必死に言おうとしているブランだったが、まったく言葉になっていない。レイモンは取り敢えず落ち着けと、水筒を手渡した。中身を煽ったブランが咳き込み、仕方なく背中をさすってやる。これはもう、このまま帰宅して見習い終了かなと思いつつ、地面に寝転んだブランを見た。
と、その時、鍛錬場の外から女性の甲高い声援が聞こえてきた。そちらに視線を向ければ、騎士団長や部隊長らが鍛錬しているのを、どこぞのお嬢様達が見て歓声を上げていた。それらに便乗して、顔のよい騎士団員が、女性陣から差し入れを貰っているのが見えた。
「…すごい」
ブランが体を起こし、女性陣に囲まれている騎士をキラキラとした目で見ていた。少年にありがちな、異性にモテたいとかそういう感じだろうか。騎士を目指す者の中には、そういう動機でくるのもいるのだ。
ブノワ家の長男なら、何もしなくとも親が婚約者とか用意しそうだが。
「姉さんが、見た目が良ければ色々と貰えるって言ってたの、本当なんだ」
レイモンは思わず吹き出すが、ブランはもっと頑張って鍛錬しなきゃと一人意気込んでいた。ブランの姉といえば確か、ショコラーテといっただろうか。相当な美少女だとかなんとか。少しばかり変わり者という噂もあるが、弟にそんな事を吹き込むという事は、そこそこ真実かもしれない。
「もしや騎士団に入れと言ったのは、君のお姉さんか?」
「いいえ、…えっと、はい」
「どっちだ」
「姉さんと出掛けると、姉さんばかりお菓子のおまけを貰うのズルイって泣いたら、世の中の人間の大半は見た目で判断しているから、仕方ないわって教えてくれたんです」
ショコラーテ嬢は中々に辛辣なようだ。実の弟にも容赦ない。
「それで、顔はイマイチでも着ているだけで格好良いって言われるのは、騎士服よねって。騎士なら沢山動くだろうし、いっぱい食べても太らないし、お菓子の差し入れをいっぱい貰えるんじゃないって言われて、それもそうかもって思ったんです!」
だから騎士団に入れるように父にお願いしましたと、ブランは多分満面の笑みで言い切った。
こりゃ、本当にとんでもない役目を押し付けられたと、レイモンは一人頭を抱えた。
食い意地がとんでもない。というか、差し入れ目的で入団する人間なんているのかと、遠い目をしてしまった。
「……差し入れがもらえるかどうかは、…本人の器量によるかな」
「それは姉さんも言ってました」
「そ、そうか」
ブランは転がるように体を揺らし、そして立ち上がると、レイモンに向かって深々と頭を下げた。
「すみませんでした、先輩。僕のせいで、鍛錬を中断してしまって」
「い、いや、まあ、初日だから仕方ない」
「久しぶりに走ったんですけど、こんなにも体が動かないだなんて思っても見なくて…。普段はどれくらい走るんですか?」
ブランの問いにレイモンは素直に答えると、成程と神妙に頷いている。
「今の僕には、それはとても厳しそうです。……すぐにそれくらい走れないと、やっぱり退団でしょうか?」
「いや、それはないけど。そうだな、見習いの子供が一般的な騎士の鍛錬に着いて来れるようになるのは、大体半年から一年くらい掛かるよ」
「成程、わかりました。では、それを目標にします。今日のところは、歩いても宜しいでしょうか?」
まだやる気はあるのかと、レイモンは驚いた。てっきりもう嫌だといって投げ出すのではと思っていたから、意外過ぎる言葉である。
「あ、ああ、それは別に構わないが。この後は剣の持ち方とか、鎧の説明とかをするから。あと、雑用についても説明するが、大丈夫かな」
「……………はい」
大分間があったが、やる気だけは本当にあるようなので、レイモンはそれならと言って、走り込みを再開した。少し走った先で振り返れば、短い手足を必死に動かして、ブランが歩いている姿があった。
思ったより、いやかなり真面目な性格なのだろうか。動機はともかくとしてだ。
レイモンを貧乏貴族の三男だと馬鹿にしないし、先輩として立ててくれているようにも思える。まあ初日だからかもしれないし、明日からは来ないかもしれないけれども。
それでもまあ、少しばかり良い気持ちで、レイモンは走り込みを続けたのであった。




