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些細な変化と望まぬ言葉

「それでレオナールは、お茶会にまた参加させてほしいとお願いしてきたから、無碍にも出来なくて手を払うことも出来なかったそうなの」


 それならそうと早く言って欲しかったわと、ヘルディナは困ったような表情を浮かべて話し続けている。

 先日の衝撃的な夜を過ごしてから幾日か経った後、アランは再びヘルディナに呼び出され一緒にお茶を飲む事となった。ヘルディナの呼び出しはいつも唐突で、大抵は誰か別の相手を応対した後の空いたちょっとした時間に、アランと過ごしているのだ。


 アランはそれが嬉しかった。


 ほんの少しでもヘルディナと一緒に過ごせるし、それだけアランに会いたいのだと、そう思っていたから。

 幼い頃から、兄に約束をすっぽかされたヘルディナと過ごす時間が好きだった。ヘルディナだけが、アランの話を聞いてくれたのだ。そして一緒に喜んだり笑ってくれる、唯一の存在だった。

 アランが庭で摘んだ花を渡せば、顔を綻ばせてくれたし、好きだと言えば私もよと言ってくれた。けれどもいつからか、好きという言葉は気軽に言ってはいけないわと、困った顔をされるようになってしまった。花だけではなくアランが何か物を贈る事すら、それは駄目だと止められるようになってしまった。

 だからヘルディナと婚約出来るかもしれないという話を聞いて、アランは誰にも咎められる事なくヘルディナに好意を伝えられると喜んだのだ。

 なのに結局、それは駄目だった。ヘルディナは第二王子レオナールの妻となってしまい、アランから気軽に声を掛けれるような人物ではなくなってしまった。親戚でもないアランは、ヘルディナが呼び出してくれなければ、会う事すら出来ない。

 だからこそこのお茶会は、細く繋がったヘルディナとの縁だった。誰がなんと言おうとも、決して離したくない、大事なヘルディナとの繋がりなのだ。


 けれども、アランは僅かにヘルディナから視線を外して思い返した。

 

 こうしてヘルディナと過ごしていても、結局アランは好意を伝えることも、何かを贈る事すらも、許されはしない。目の前にある細いその手を握る事すら出来ないのだ。自分にはそんな権利などないと、アランは俯き目を伏せた。


 自身の手に視線を向けた時、不意に細い指先がなぞる様に動き、絡めとるように手を握り締められた事を思い出した。 

 耳元に掛かる吐息と共に紡がれるショコラの言葉。

 甘く淫らな夜の時間を思い出して、アランは思わず首を振ってそれを振り払った。結局、初夜以降は同じ寝室で共にしているわけで。自分は決して色香に惑わされたりしないと思っていたのに、今の状況はまさにそれだった。

 頭を抱えるアランに対し、ショコラは大人の男なら当たり前の普通の事だから、気にする必要もないと恬淡としている。それで良いのかと問えば、好きな人に尽くせて幸せだものだなんて笑っている。


 本当にそれで良いのだろうかと、アランは段々と思うようになってしまったのだ。


 だってアランはヘルディナから好きという気持ちを返して欲しい。もっと一緒にいたいし、言葉を交わしたい。そして、触れ合いたいのだ。

 ショコラーテと結婚してから、人肌の温もりというものを知ってしまった今は、こうしてヘルディナの気紛れで呼び出される現場に、少しばかり不満を持ち始めていたのだ。


「…アラン、アランてば。もう、どうしたの?」


 ヘルディナから何度も名前を呼ばれ、アランは我に返った。いつもだったらヘルディナの声に聞き入っていたというのに、考え事をしてしまうだなんて。

 慌てて取り繕うが、ヘルディナは何とも言えない顔をしていた。

「…ねえアラン、何か悩み事があったりするのではなくて?」

「え、いや、…別に大丈夫だが」

「いつもそう言って誤魔化してばかり! 結婚してからというもの、様子がおかしいわ。ねえ、私は貴方のことを大事に思っているの。本当に嫌ならば、私からレオナールに頼む事だって出来るのよ」

 ヘルディナからの大事に思っているという言葉は、アランにとって何よりも嬉しい物だった筈なのに、もっと直情的な愛を囁くものが欲しいと心が訴えている。


 ショコラがアランに言わせた『俺以外見るな』という言葉。


 あれをヘルディナに囁きたいという欲が、アランの内側に宿ってしまっていたのだ。

 その所為だからなのか、アランはヘルディナに返せる言葉が見つからない。言い淀むアランに対し、ヘルディナは真剣な眼差しで口を開いた。

「貴方が望むのなら、離婚して別の人と結婚させる事だって…」

「……ヘルディナ様」


 ショコラと離婚したって、ヘルディナはアランの妻にならないのに。


 そう叫んでしまえたらどんなに楽だろうか。

 待っているのは破滅でしかないのに、言ってしまって終わりにしても良いかもしれないとも思ってしまう。

 その衝動をなんとか抑え込もうと、じっと黙っていたアランの前に、新しいお茶が出された。

 顔を上げると、見慣れないメイドがこちらを気遣うような表情で立っている。いつもならヘルディナとアラン以外には女官すら一歩離れた場所に居させるのに、今日に限ってはこの見慣れないメイドが一人給仕をしていた。

 めずらしいなとメイドへと視線を向けていると、ヘルディナが笑みを浮かべながら言った。

「もう、アランたら、そんなにこの子が気になったのかしら」

「あ、いや…」

「この子はネリーよ。最近来た、私のお気に入りなの。とっても気立てが良くてね、刺繍も上手で働き者なのよ」

 ヘルディナがそんな事を話すのは初めてかもしれない。メイドであれ、そういったお気に入りがいるのは良い事かもしれないなと頷きながら聞いていると、思いもよらない事を言われた。


「ねえアラン、貴方にはネリーのような娘が良いと思うの。穏やかで幸せな暮らしをして欲しいのよ」


 言葉を理解するよりも早く、アランの思考は真っ白に焼き切れた。そこで怒鳴り散らしたりしなかった事こそ奇跡だったかもしれない。

 アランは全ての言葉を飲み込んで、ヘルディナに一礼するとその場を辞した。


 引き止める声を無視して、ただひたすらに逃げたのだった。

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