第43話 幕間
(一体、どこへ行ったんだ)
江戸から届いたばかりの手紙をくしゃりと握り、桂は深く眉間に皺を刻んだ。
『家に帰ります』
短い書き置き一つを残して、草月が姿を消してから、もう一月近くになる。だが、懸命の捜索にも関わらず、その行方は杳として知れなかった。一縷の望みを託して、たつみ屋の女将に連絡を取ってみたのだが……。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
茶器の乗った盆を手に、山田が入ってくる。桂の手元に目を留め、
「江戸から返事が来たんですか」
「ああ、……たつみ屋には戻っていないそうだ」
桂は、皺の寄った手紙をそっと机に置いた。
「女将の方でもあちこち心当たりを探してくれたようだが、いずれにも姿は見せていないらしい」
「そうですか……」
山田はうなだれて下を向いた。町人風に結った髷が頼りなげに揺れる。
今、桂と山田、そして品川は京市中にある大黒屋という商家に使用人として潜伏していた。八月に起こった政変以来、長州人の帯京が厳しく制限されていたせいである。
あの日、京を落ちた長州藩士と七人の公卿は、兵庫から船で長州へ向かったが、桂をはじめとする数人は復権工作のため京に引き返した。山田と品川は、真っ先に京行きを志願した者たちの中の一人だ。
現在長州藩邸に残っているのは、帯京を認められた家老の益田右衛門を始め、留守居役の乃美織江らわずか数名ほど。その他の藩士らは桂たちのように、幕吏の目を避け、町屋に潜伏することを余儀なくされている。
これまでさんざん遊興や接待で金をばらまいたおかげか、京の人々は概ね長州に同情的で、なにかと便宜をはかってもらえるのが有難い。日夜公卿の間を駆け回り、長州と親しい対馬藩に協力を求め、薩摩・会津の情報入手、朝廷への根回しに努めているが、叡慮を覆すまでには至っていない。
草月と内藤という会津藩士との顛末は山田と品川から聞いていた桂だったが、正直、藩の立て直しに手一杯で、草月の心配をするどころではなかった。
しかし――。
「草月が稽古に来ない?」
半月前、大黒屋を訪ねてきた幾松から聞かされたのは、思いもかけないことだった。
「へえ。あんなことがあった後やさかい、取り込んではるんやろう思てたんどすけど、それにしては何の連絡もおへんし」
慌てて藩邸に使いを出し、草月の部屋を調べさせたところ、部屋はきれいに片付けられ、文机の上に短い書き置きが残されていた。
「俺のせいです。草月が、俺達を裏切るわけないのに。一瞬でも、あいつを疑ってしまった。俺は、自分が許せない」
悲壮な顔で己を責める山田の様子を桂は今も覚えている。
「もうすでに、京にはいないのかもしれないな。だが、たつみ屋に戻ったのではないとなると、あとはどこをどう探せば良いのか――」
「……俺達、あいつのこと、何も知らないんですね」
山田が、ぽつりと言った。
「あんなに一緒にいて、長州の一員も同然じゃったのに。生まれも、家族のことも、何も知らん。こんなこと、いなくなって初めて気付くなんて……」
「市――」
その時、番頭が廊下から遠慮がちに声をかけてきた。
「桂はん、対馬藩士と会う段取りがついたそうどす」
「……分かった、今行く」
桂は瞬時に頭を仕事用に切り替えた。
「市、草月はきっと無事だ。そう信じて、我々は我々の仕事をしよう。いつか草月が帰って来た時に、肝心の長州がなくなっていたのでは困るからな」
「――はい」
自分に言い聞かせるようにそう言って、桂は政治の場へ身を投じるべく立ち上がった。




