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花綴り  作者: つま先カラス
第三章 京
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第41話 内藤新左衛門

 去る文久二年、深刻化する京の治安悪化を憂慮した幕府は、市中の治安維持・御所警備のために、新たに京都守護職を設置した。その職の担い手として、白羽の矢が立ったのが会津藩である。

 当初、藩財政の逼迫などを理由に再三辞退した会津藩であったが、抗しきれずついに拝命を決意。同年十二月、弱冠二十六歳の藩主・松平容保は千人の兵を率いて上京した。

 その兵の一人に、内藤新左衛門という武士がいる。

 

                         *


 草月が内藤と初めて会ったのは、六月の半ば、祇園祭の山鉾巡行も終わり、京の町も祭りの興奮から落ち着きを取り戻してきた頃のことだった。

 その日草月は、うるさいほどに蝉の鳴く炎天下の中を、暑いというより、もはや全身を焼かれているような感覚になりながら、吉田屋へ稽古に向かっていた。途中、三条大橋下の河原に集まる人だかりを見つけて、なんだろうと好奇心に駆られて近づいた。ちょっとでも見えないかと後ろから首を伸ばしていると、ひょいと前の男が横を向いて、その拍子に綺麗に視界が開けた。

 ――生首だった。

 時間にすれば、ほんの一秒にも満たなかっただろう。だが、その光景は一瞬にして草月の脳裏に焼き付いた。

 無念そうに、かっと見開いた目。ざんばらに乱れた髷。歪んだ唇からだらりと覗く舌。

 吐き気を覚えて後退り、たまらずその場に踞る。

 そこへ、

「――大丈夫か?」

 ためらいがちに、気遣わしげな声がかけられた。

 それが内藤だった。

 歳は四十を僅かに越えたくらい。げじげじの太い眉と、大きなどんぐりまなこが印象的な武士だった。

 内藤は、草月を近くの木陰に連れていき、落ち着くまで背中をさすってくれた。

 内藤に支えられるようにして吉田屋に現れた草月を見て、幾松は珍しく慌てた様子で駆け寄った。

「どないしはったん、草月はん」

「すみません……、河原で晒し首を見て、気持ち悪くなっちゃって」

「晒し首!? あんたはもう、また辻斬りにおうたんかと思て、心配したやないの。最近は物騒なんやさかい、あんまり危なそうなとこには近づいたらあかんえ」

 叱りつけるように言いながらも、幾松は柳眉を気遣わしげに顰めた。いつもなら即座に注意される言葉づかいも、この時ばかりは何も言わない。代わりに、内藤へ深々と頭を下げる。

「うちの草月が、ご迷惑をおかけしました。うちはここの芸妓で、幾松言います。良かったら、上がってお茶でも飲んでいかはりまへんか。暑い中歩いて喉が渇いてはるやろし」

「いや、この後少し寄る所があるゆえ、長居はできぬ。だが、水を一杯頂戴出来れば有難い」

 幾松がすぐさま用意した水を、内藤は美味そうに一息で飲んだ。

「馳走になった。しからば、御免」

「内藤はん」

 そのまま出て行こうとする内藤を、草月は急いで追いかけた。幾松の顔を見て安心したせいか、随分と気分も良くなっている。

「ほんまおおきに。あんじょうようしてくれはって、ほんまありがとさんどす。あの、お礼を……。うちで出来ることがあったら、何でも言うてください」

「礼にはおよばぬ。……だが、心に留めておこう」

 微かに目元を緩ませて、内藤は今度こそ雑踏の中へ消えていった。


                     *


 七月に入っても、相変わらず京は連日蒸し風呂にいるような暑さが続いている。

 桂の使いで東山まで行った草月は、帰り道、あまりの暑さに耐えかねて立ち止まった。拭いても拭いても、顔から汗が流れてくる。

(これじゃ、藩邸に着くまでに倒れちゃいそう……。お使いも早く済んだし、どこかで涼みがてら、ところてんでも食べて帰ろうかな)

 甘味処を探して、きょろきょろと通りを見回していていると、少し先の呉服問屋の店先に、見覚えのある姿を見つけた。

「内藤はん」

 近づいて声をかけると、内藤は一瞬訝しそうな顔をした後、すぐに得心した顔になり、軽く会釈した。

「お買い物どすか」

「うむ。ちょうどよかった、草月殿。ちと相談に乗ってくれぬか」

 国許に残した妻と娘に土産を買いたいが、何が良いかというのだ。

「そうどすなあ……」

 草月は最近ようやく板についてきた京ことばで、

「こういう反物も良いどすけど、値が張りますし……。手頃なもんで言うたら、やっぱり、櫛や簪が喜ばはるんやないか思います。小さい女の子やったら、手毬とかお手玉とか……。せや、ちょうどいい店を知っとりますよって、良かったらご案内しまひょか」

「むむむ」

 内藤は女人と連れ立って歩くなど武士の心得に反する、と難しい顔をしていたが――なんと会津には、外で女と話してはならぬ等と定めた『什の教え』なるもの(!)があるらしい――、家族の笑顔には代えられぬと思ったのか、お頼み申すと律儀に頭を下げた。

 後日、改めて一緒に出かけることを約してこの日は別れ、そして約束の日。出かけようと部屋を出た草月を見て、品川がにやにやしながら声をかけてきた。

「よう草月、逢い引きだって? なかなかやるじゃないか」

「違いますよ。もう、すぐ変な方に勘ぐるんですから。単に、家族に贈るお土産選びを手伝ってくれって頼まれただけです」

「分からないぜ~? 男ってもんは、多かれ少なかれ、下心を持ってるもんなんだよ。そいつも、家族にかこつけて、お前と深い仲になろうって腹かも」

「失礼なこと言わないでください。そんな人じゃありません。それに、内藤さんは、前に助けてもらった恩人なんですから」

「ふうん。それより、草月の踊り、いつ見せてくれるの。正式にお座敷に出るようになって大分経つんだろ。俺たちだって、草月の踊り見たいのに、絶対呼ぶなって言うし」

「だって恥ずかしいじゃないですか。知り合いの前で改まって踊ったりお酌したりするの」

「けど、見世出しは桂さんのお座敷だったんだろ?」

「ええ、まあ」

 草月は思い出して苦い顔をする。桂には上手くできていたよと言ってもらえたものの、緊張と気恥ずかしさのあまり、自分では何を話したのかまるで覚えていない。

 今でも人前で踊るのは緊張するけれど、客に喜んでもらえると嬉しく、もっと精進しようと素直に思える。

 未だ面白がって見ている品川に行ってきますと告げると、待ち合わせ場所の茶屋で内藤と合流し、三好屋へ向かった。

「女将のお絹はんとは、共通の知り合いを通じて仲良うなったんどす。手頃な値段で質が良いもんを色々揃えてはるよって、そら評判がええんどすえ」

 中天を過ぎてもなおぎらぎらと照りつける陽射しを避けるように、日陰を選んで歩きながら説明する。

「この前の祇園会の山鉾巡行も一緒に見に行ったんどす。内藤はんは、行かはりました?」

「いや、生憎勤めがあった故」

「ええっ、もったいない。お仕事やったらしょうがおへんけど、京にいてはるなら、一度は見とかんと。豪華な山鉾がぎょうさん京の町を曳かれて行って、それは綺麗だったんどすえ」

 力を込めて言ってから、草月は照れたように言い添えた。

「……まあ、偉そうに言うても、うちもこの春に京に来たばっかりやさかい、実際に見たんは初めてやったんどすけど」

「草月殿は、京の生まれではないのか」

 内藤はわずか驚いたように目をしばたいた。

「京なまりゆえ、京の出だとばかり思っておったが」

「前は江戸におったんどす。京ことばは、幾松さん姉さんに弟子入りしてから覚え始めて。せやけど、まだまだ注意されてばっかりで、なかなか身に付きまへん」

「うむ、言葉の難しさは拙者も良く分かる。故郷の会津なまりでは、同郷の者以外にはまるで通じぬのだ」

 堅苦しい武家言葉を使うのは、そのためらしい。長州の砕けた気風に慣れた草月からすれば、少々肩の凝ると思っていた内藤だったが、照れたように笑う様子に、朴訥な素の内藤が透けて見えて、たちまち親しみを覚えた。

 訛り談義で盛り上がりながら三好屋まであと二、三町ほどのところまで来た時、少し先の辻にお絹の姿を見つけた。

 誰かを探すように、せわしなく通りに目をやっている。

 内藤に、案内しようとしてた店の女将さんどす、と断ってから、草月はお絹に駆け寄った。

「お絹さん? どうかしたんですか」

「まあ、草月はん!」

 お絹は、この暑さにも関わらず青い顔をしている。

「うちのたあ坊を……、太助を、どこかで見かけまへんどしたやろか?」

「たあ坊ですか? いえ、見てませんけど……」

 お絹の剣幕に戸惑いつつ、何かあったんですか、と尋ねる。

「それが、半刻前にお使いに出したきり、帰ってこんのどす。先方に確かめたら、とうに帰った言わはるし」

 なんでも、使い先は五条大橋の袂にある華道の師匠宅で、三好屋からその師匠宅までは往復四半刻くらい。これまでにも何度か使いに出したことがあるため、迷子になるとは思えない、とのことだった。

「おっしょはんに聞いたら、とうに太助は帰った言わはるし。今、うちの若いもんに頼んで探させよるんどすけど、もしかして、川に落ちたり人拐いにでもおうたりしたんやないかって心配で……」

 声をつまらせたお絹を見て、草月はすぐさま自分も探しますと申し出た。同じく助力を買って出た内藤と共に、五条大橋への道をしらみ潰しに探す。

 子供が道草しそうな団子屋や辻の大道芸。寺の境内で遊んでいる子供たちにも聞いてみたが、答えは皆、知らない、見ていない、だった。

 あっという間に五条大橋まで来てしまい、途方にくれる。

「おりまへんなあ……。子供の足やさかい、そう遠くへは行けへんはずやけど」

 じっとりと額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。

(まさか、本当に川に落ちちゃったとか?)

 眼下の鴨川には何艘もの舟がひっきりなしに往き交い、川沿いに立つ船問屋ではせわしなく積み荷の上げ下ろしをしている。この人混みでは、子供一人落ちたところで、誰も気付かないかもしれない。焦燥に駆られて手を胸の前で握りしめた時、じっとそばの船問屋を見つめていた内藤が、おもむろに船の荷下ろしをしている男に近付いた。

「御免。ちと物を尋ねるが」

「へえ、なんどっしゃろ」

「半刻ほど前、ここから何か大きな荷を舟に乗せはせなんだか」

「へえ、」

 男はぱちぱちと目を瞬かせた。

「確かに、反物を入れた長持ちを乗せましたけど」

 内藤はなおも二、三質問すると、草月を促して足早に歩き出した。

「あのう……?」

 内藤は足を止めぬまま、

「拙者にも覚えがあるのだが、子供というものは、一つのことに夢中になると、周りが見えなくなってしまうものなのだ。もし、舟の荷に興味を惹かれて入り込んで、そのまま舟が出てしまったとしたら……」

「そっか! たあ坊はその舟の中に」

 それで舟の特徴や行き先等を細かく聞いていたのだ。

「伏見で大坂行きの船に乗せ替えると言っておったゆえ、急げばまだ間に合う」

「あ、でも待ってください。伏見まで歩いて行くおつもりどすか?」

 草月はさっと頭の中に地図を広げた。

「この先に知り合いの船頭がいてはります。その人に舟を出してもらえるよう、頼んでみまひょ」


                          *


 最速で、との注文通り、草月と内藤を乗せた舟は他の舟の間を上手くすり抜け、あっという間に伏見に着いた。目的の船問屋に事情を話して荷を調べてもらうと、果たして太助が長持ちの反物の間に入ってすやすやと気持ち良さそうに寝息をたてていた。

 自分がもう少しで大坂まで行ってしまうところだったとは露知らず、とんぼ返りで戻った三好屋の店先で待っていたお絹にぎゅうぎゅうと抱き締められてきょとんとしていた。

「ほんまおおきに。お二人は太助の命の恩人や」

 お絹は何度も何度も頭を下げた

「いえ、見つかって良かったです。……たあ坊、もう勝手にかくれんぼしたらダメだよ」

 しゃがんで太助に目線を合わせながらそう言うと、太助はちょっと拗ねたように頬を膨らませた。

「……せやかて、恐い犬がおったんやもん」

「犬?」

「通りの真ん中で、じーっとうちのこと見てたんや」

「それで隠れたんだ!」

「もう、この子は……」

 お絹は脱力したように太助の肩を抱いた。

「そうだ、太助。実は拙者、妻と娘に贈る櫛や簪を探しておるのだ。選ぶのを手伝ってくれぬか」

 太助はたちまちぱっと顔を輝かせた。

「へえ、うちにまかせとくれやす」

 内藤を引っ張るように店の中へ入っていく。途中で振り返り、

「お母はんと草月姉ちゃんも早よう!」

 催促するのも忘れない。

「あらら、すっかりなついちゃったみたいですね」

「ほんまに」

 お絹と顔を見合わせ笑い合い、

「はーい、今行くよって」

 草月たちもまた二人を追って、三好屋の暖簾をくぐった。




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